居場所ゾンビ
(2019/08/28)
んども部屋キャンパーです(2019/08時点実務経験ゼロ(腰痛リハビリ継続中))。
なにせ当方生まれて四十数年、徹底的にインドアを貫いてきたものですから。「キャンプに興味がある」と話した時点で仰天されます。明日雨降るぞとか日本沈むぞとか。そこまでは言われてない。
普段は説明するのめんどくさいのでゆるキャン△の単語を出すと「あーーーーーー」で話終わるまでが様式美になっているのですが。今日はこの「あーーーーーー」をもちっと掘り下げてみたく。妄想とも言います。いつものこと。
とはいえだ。昨今は第二次アウトドアブームともいわれていますが。そこにゆるキャンが貢献した数字って実はそんなに大きくないと踏んでいます。少なくとも経済的な側面においては。
そりゃ確かに局所的な数字はありますよと。
- 原付市場がガラパゴスに沈む中でヤマハビーノだけが馬鹿売れ
- モンベルムーンライトテントの年間在庫が蒸発
- 聖地となったキャンプ場がいっつも満員御礼
などなど。でも、それでも全体としては「あ、こんなもんか」に収まってしまうような気もします。言い方を変えればそれだけアウトドア市場ってのがデカ過ぎる。そらそーだわな最終的にはインフラや不動産まで巻き込んでしまいますから。
じゃあそのデカさはどうやって形成されるの?市場を支える何万人何十万人もの人々はどっからやってくるの?
・・・・・・・・ミもフタもないんだろうけど。この1単語に集約されるんだろーな。
おっさん。
90年代前半のアウトドアブームを凌駕する"爆発前夜"の今を『BE-PAL』発行人が語る
このインタビュー記事が参考になります。正確に追うなら女性が環境を切り開いて、その後ろをおっさんが使わせてもらってる・・・・といった図式になるのかな。第一次アウトドアブームが90年代とのことなので、この時子供として連れてこられた団塊ジュニア世代を含む膨大な数のおっさん達が大挙して押し寄せてることになるかと。それだけで「あーーーー」となってしまう訳です。若干遠い目をしつつ。
でもちょっと考えてみて欲しいのよと。外見から見たらハンコで押したよに無個性なおっさんの集団にも見えるのでしょうが。その属性は大きく異なるよと。
- 子育てもひと段落して自分のことに手が回り始めたおっさん
- 自分よりも家族子供最優先のおっさん
- 天涯孤独の目うつろなおっさん(俺)
ほっとけ。でも立場も年収も将来もバラバラのおっさん達が、その属性関係なしにアウトドアに向かうってのは「あれぇ?」となりますよねと。
さて唐突に自分語りに流れます。興味無い方は飛ばして読んでください。なんだそれ。
自分がゆるキャンの洗礼を受けたのは2018年年末から年始にかけてなのですが。もちろん作品としてのゆるキャンに惹かれたというのもあるのですが。
これに前後して、個人的にふたつの大きな出来事がありました。
ひとつはこれまで自分の中で大きな趣味だった「スポーツ観戦」と「ゲーム」に飽きてしまったこと。これが一時的なものなのか、あるいは恒久的に飽きてしまったのかはこれ書いてる今でも判断できないのですが。要はこれで平日夜間や休日の時間がぽっかりと空いてしまいました。特に目的もなくPCの前でぼーーーーーーーーーっとしてる時間が増えました。
もうひとつが、年末に飛び込んできた高校時代の親友の訃報でした。まぁこうゆうトシですし、こうゆう話もぽつぽつと出てくるのは仕方がないのですが。同級生ってのがすごくショックで。正直まだひきずってる部分もあります。やっぱり人間寿命ってのはあるんだなと。
こうゆうのが重なると不思議なものでして。これまで「インドア上等!一生引きこもるぜ!」だった自分の城(=部屋)が、途端に窮屈に見えてくるんです。「あれ?ここに引きこもってていいのかな?」てな感じで。そんなタイミングでゆるキャンを見て読んでしまったものですから。そらーコロリってなもんですわと。
でも一方でこんな事情をいちいち説明してたらキリが無いし場が重くなるし。だったらどしょっぱに「ゆるキャン」というハイコンテキストなパワーワード出してしまった方が結果ラクなんですな。影響受けたのは紛れも無く事実ですしね。
さてそんな自分も重ねつつ、有象無象のおっさん達に憑依してみる・・・・・までもなく自分もおっさんですが。
そこに見えてくるのは「居場所探し」なのかなぁと思えてくるのです。悪く言えば自宅あるいは職場からの「一時逃避」求めて彷徨ってるゾンビみたいなもんです(タイトルに使っておいてなんだけど字面が酷い)。貴方もゾンビ私もゾンビ。
自分の居場所を少なくとも3つは持っておけ、とは節々でよく見る話なのですが、それでなくてもおっさんはどこに行っても肩身狭いです。そんな中でキャンプ場行ってテント張ってメシ食って寝る。これだけで自宅でも職場でもない「第3の居場所」になりえるよなぁと、すんごく腑に落ちるのです。
この大義さえ整っていれば、形態はある意味どうでもよくなるよね。上で抱いていた属性への疑問も消えます。家族サービスに徹してデカいテント持ってくも良し、一人でポツンとテント張るも良し。違う場所に居るという事実自体が心の拠り所になる。
ここまで読み取れれば「キャンプ場行ったはいいけどおっさんばっか」の謎も解けてくれるのかなとも思います。おっさんのひとりとしてお願い申し上げます。そっとしといてあげてください。これが私達の安らぎなのです・・・・・・いかん、憑依するはずが憑依された。誰だ今の。
最後に余談というか蛇足。インタビュー記事内でさらっと予言されてます。
「オリンピック後の日本で、抜け殻のようになった日本人を救うのがアウトドアなんじゃないかなあと、私は考えています。」オリンピック関係無く日本人は既に抜け殻ですし(偏見)。不況に強いというか、不況だからこそ盛り上がりそうな気すらします。好景気もじきに終わるでしょうし、今のうちに道具だけでも揃えとくか(こら)。