roots(4):五村富士編
つー訳で第4回。局単位での文章としては今回が最終回になります (まだ総論が残ってるけど)。つー訳でトリはここに務めて頂きましょう。
これまで同様の質問を同じように投げ、番組内でのトークの形で 回答を頂きました。
質問が読み上げられた後、一同「うーん・・・・。」
あ、困ってはる困ってはる(笑)。
理由は簡単に把握できます。この投げた質問、「過去の回顧、総括」 を非常に意識しているんですが、五村富士メンバー(特にメインの 回答してくれた川勝氏)にとってはミニFMという存在がまだ 「現在進行形」なんですよね。
まぁそうなんだろうなぁ。実際地元のコミュニティFMで お仕事として喋ってたりということもありますし、現在は電監に目 付けられているために一時休止しているミニFM(五村富士が主催 しているのではなく、別の方が主催しているミニFMに川勝氏が 参加している)の方も、再開でき次第またやると明言してますし。
本人が終わったと思ってないんですから、そこで回顧させようとしても 無理があるのは一目瞭然でした。いやはやワガママ言ってすいませぬ。
それでも何とか、今までの経緯とか思い出話とかをひねり出して 頂きましたのでこれを基にまとめてみましょう。
こちらの場合も前回のFR-FM同様、スタート時がブームの全盛という こともあり、かなり盛況していた模様。
加えて地理的条件も大きかったようです。電波出していたのは 集合住宅(団地)のアンテナからこの団地内をサポートする範囲内。 それほど強く電波を出す必要もなく、その上聴取可能人数が 非常に多いという、よく考えたらめちゃめちゃ恵まれた環境です。
で、この恵まれた環境ってのがここの場合いろんな二次効果を 産み出してるんですね。今回注目したいのはこの部分。
いきなり結論から言ってしまうと、ここの成功理由ってのは明確で、 「徹底したコミュニティー(聴取範囲内=団地)の密着」なんです。
現に作る放送も徹底して地域的に根付いて作っていた模様ですし、 逆にリスナーサイドから局に対して「○○やって」と要請が来たり するなど、相互的なコミュニケーションが活発に動いていた。
コミュニケーションを目的に作り側が番組を制作し、同じく コミュニケーションを求めるリスナーがそれにレスポンスする。 極めてシンプルながらも理想形に近い運営ってのができていたんだと思います。
でも、こうゆう形が実現できたのって結構シビアな条件が クリアされてるんですよ。ちょっとその辺を推測してみるのですが。
・聴取エリアが極端に特化されていること。
団地、という空間の特殊性とかはかなり大きいと思いますよ。 これがもうちょっとエリアが大きくなったとしたら、果たしてここまで 広がったのかな、とは思いますね。
意図的に対象を絞り込むことで、宣伝活動もやりやすくなるし、 番組的にも的を絞ったものが作り込めるメリットもある。
・作り手側と聞き手側の「壁」がもともと高くないこと。
これも上と似たようなもんなんですけどあえて別項目で。
元来、ミニFMがなくても顔を合わせるような間柄だった場合なら、 本人達が意識しなくともコミュニケーションは深くなっていくものです わね。いわゆる「ご近所さん」感覚。
この場合、この感覚がかなり大きかったんじゃないかな、と思うな。
・時代背景的なもの。
あんまり使いたい言葉じゃないんですけど、 「古き良き」感覚ってのはあるような気がします。
ミニFMに対する認知度が元々高かったために、聞き手側がそれほど 抵抗なくミニFMに馴染めたこと。作り手側が今みたいにプライバシーに 敏感になる必要がなかったこと。ミニFMに関係なく、元々地域交流 的な活動が活発だったこと。その他もろもろ。
こうやって見てみるとこうまとめることができるんじゃないかな。
「コミュニケーションを高めたいという欲求・土壌が元来から 存在しており、かつその提供手段としてミニFMが活用できた。 だから、番組・局がリスナーに受け入れられ目的を果たすことができた。」
うーん、もしこれをゼロから組み立てていこうとすると、それにかかる 労力って相当なモンがあるような気がするなぁ。たとえ宣伝したとしても、 前提としての「コミュニケーションの要求」が存在しなければ 上滑りしていくだけかもしれんし。
そう考えると、こうやって現実にミニFMができて番組も流せて レスポンスも帰ってきて、ってのは相当に幸福なことなのかもしれないなぁ。
こんな感じでひとつ。まさかあの話がここまで真面目な文章になってる とは予測すらできてないでしょうがひとつ事後承諾つーことで。
次回にて総括したいとおもいまふ。