Click R@dio〜くりらじ〜評(2) 〜雲散霧消解消法〜


 という訳でして、「くりらじ」が1周年を機に大幅に番組編成を変更してきました。既存の半数以上の番組にメスを入れ、見た目からするとまったく違うサイトになってしまった印象さえも受けます。ここまでがっさりやると潔くて好きです。

 それにしてもなんだかんだで私、ここ数ヶ月は「くりらじ」聞いてる頻度高いよな〜。一本につき10分〜20分の編成ってのはやっぱり「耳付き」(こんな単語があるかどうか知らんが)はいいのかもしれないね。

 という訳でまた改めてレビューを書いてみようかと思う訳なんですが。

 従来からのくりらじのポイントであった「ある程度のマニアックさ」は堅持しているので、ジャンル別番組(コンピなりスポーツなり時事なり)を好んで聞いているリスナーにとってはほとんど違和感はないと思います。

 が、そんな中唯一異彩を放っている番組が登場しました。

 総合型エンターテイメント番組「カガヤクセボネ?」。

 ・・・なんでこんなタイトル、しかも疑問形?(笑)まぁこの辺がいかにもくりらじらしい、というか。

 まぁそれはいいや。この番組、要は改変前にあったいろんな番組を全部取っ払って、ひとつの番組に押し込めちゃいました的なコンセプトなんですけど、実際のところには馴染み深い「雑談」がそのコアを占めている印象ですね。

 要は同じく改変前の雑談番組であった「ベルエキップ」がそのままシフトしていた感じです。

 だからやっぱり始めは不安でしたよ。わざわざこれを新番組にする必要性がある?「ベルエ」のままでもいいんちゃう?という感じでね。

 でもね。第1回、第2回の放送聞いて確信しましたね。

 絶対に「カガヤクセボネ?」形式の方がいい。

 なんでここまで言い切るか。ちょっと長くなりますけど、これを紐解くためにもちょっと書いてみます。ついてきてくらはい。

 従来の「ベルエ」は当日集まったメンバー全員でひたすら喋る、いわばメンバー全員がスタートラインに並んでヨーイドン、と。そうゆう形だったと。

 それに対して「カガヤクセボネ?」の場合、メインとして2名(ころん・カムパネルラ両氏)を置いた上で、毎週2名のレポーターを交代制で登場させてます。【お昼休みの校内放送形式】と勝手に命名(笑)。

 で、このふたつのやり方によって何がどう違ってくるか。

 まず、制作側の「作った」という満足度に関しては間違いなく「ベルエ」の方が充実感高いと思うんですよ。内容がどうこう言う以前に「メンバー全員がマイクの前に座ってる」という目に見える形での満足感が実感できますからね。

 でも。じゃあそれが果たして作り手側に伝わってくるか。ここにジレンマを抱えてるんですよね。

 これは以前にも指摘したことなんですが、全員一緒にヨーイドン、だと10回中10回、BJ氏が絶対に勝ってしまう。つまりマイクの前にいると「全員で作ったモノ」に見えてもリスナーにしてみると「毎回BJが突っ走ってる番組」という印象しか残らなかった。こうゆう問題を内包してるんですよ。

 で、念の為に書いておきますが、これが絶対に悪い、という意味ではありませんからね。リスナーなんて無責任なものですから、その聞いてる時が面白いんならそれでいーや的な俗物根性を多大に持ちあわせてます(当然私も含む)。ですので毎回BJ氏が突っ走ってそれが面白きゃいーや、だったらこの路線でいこーや、つう選択も一応はあり。

 でも実際にはこれが原因でオーバーワークの土壌を作り出してしまいましたし、「他のメンバーがBJ氏に依存してしまう」という状況になりかねないリスクも相変わらず背負ったまま。要はドーピングと一緒で、「長期にわたって作り手として受け手にモノを提供する立場」としては結局はマイナス方面に傾いてしまうリスクが非常に高い、ということになってしまっていた。と。

 ふー。長いよー。でもこれだけ説明しないと次に行けないんだよー。(だったら短く書く努力をしろよ>俺)

 という訳で、これらの今まで抱えていたデメリットを「カガヤクセボネ?」が如何に変えていくか、という視点になるんですけど。

 いやね、正直な話、目からウロコもんでした。そっか、こうゆうやり方があったかと。ひょっとしたらその場の思い付きで決めちゃった番組方針なのかもしれませんけど、これ実に理にかなってるんですよ。

 というのも「カガヤクセボネ?」の場合、その番組の是非を決めるのは完全に当番で廻ってくるレポーター次第になります。メイン2名ってなってますけど、実はこのメインですらスタートラインには立ってないんです。横から「がんばれー」と応援していればいいだけ。サンドイッチぱくつきながら。

 その結果。イヤでもレポーターは走らざるを得ないんですな。ほら、運動会で100m走とかやるじゃないですか。そん時に横に誰もいなくてたった一人で走らなきゃいけない、そんなイメージ。

 で、これによってリスナーは何が楽しいか。レポーターの「キャラクターとしての面白さ」が全面に出始めてくるんですな。

 その他の番組ではどうしてもカテゴリー中心の話になってしまう関係でなかなか見えてこない、人間の喋りそのものとしての面白さがにじみ出てくる。これはリスナー、特にリピーターにしてみたらすっごい魅力に感じるはずですよ。あ、この人こうゆう一面も持ってるのかぁ、と言った類の意外な発見ってのは案外リスナーにとっては大きく感情を揺さぶられる一要素なんですよ。

 その結果として「カテゴリーの面白さ」に「キャラクターの面白さ」が加味されれば、くりらじの存在価値って間違いなく厚みを増してくる。そうなれば「BJ依存体質」のリスク断ち切ることにも十分に寄与できますよ。

 ま、もちろんレポーター次第によっては「あかんかったなぁ」と思う回とかも出てくるかもしれないです。その辺の新たなリスクってのはありますわね。イヤでも実力をさらけ出してしまう訳ですから。でも。それはそれでいいんじゃないですかね?それこそトライ&エラー精神で、お気楽に考えちゃってもいいような気もします。それよりは「こうゆう面白さもあるよ」と多様なアドバンテージをPRできる場所が存在する、という事の方が重要。そんな風に思います。

 これでほぼくりらじの経営戦略(?)は固まってきたかな。各カテゴリーの情報提供で客を呼び寄せ、キャラクターのプッシュでリピーターに仕立て上げる。シンプルながらも現実味のある戦略だと思います。つーかある意味これくらいわかりやすくやらないとリスナーには伝わらないかもしれませんね。

 ま、ここまでできたらあとはやるだけです。頑張ってくだされ。

 <追記:00/10/10>

 2000年秋の段階で、くりらじ番組改編により、この形式は消滅しました(爆笑)。 こらこら。

 ただしこの方法論、多人数でのパーソナリティの個性を追い求める方法としては 今でも十分に有効、というかひとつの王道なんだろうね。

 したがってこの文章そのものは残しておきます。


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