生放送のデメリット?


 現在インターネットラジオ作ってる方々が口々に、しかもかなりの高確率で口にするお言葉に、こんなのがあります。

「いつかは生放送やってみたいなぁ」

 ナマホウソウ。ある意味作る側からすれば甘美な言葉に聞こえるでせう。自分の喋った言葉がリアルタイムで聞き手に伝わる、聞き手側が送ったレスポンスは、放送中の作り手に即座に伝わり、それがまた喋りに反映される・・・。

 そりゃあ魅力的でしょう。できるならね。まぁ誰だって夢追うのは自由だしねぇ。

 え?なんでそんな醒めた言い方するかって?

 だってしょうがないじゃん。現段階で個人が持ち得るインフラじゃ、どうあがいたって無理だもん、生放送なんて。

 まず立ちはだかる通信速度の問題。クライアント64K環境ですら、ストリーミングの世界じゃ「かろうじて」のスペックでしかないのに(だからこそRealPlayerは支持されるんよ)、1対Nの1にならなきゃいけないサーバ環境じゃ、とてもとても満足できる品質なんか提供できる訳が無い。最低でもT1環境、下手すりゃそれ以上のスペックは必要になるでしょうね。いくらするんだんなもん。維持費だけで破産必至だぞ。

 加えてサーバ環境構築・維持ってのも大きな壁。最低限でも、企業のサーバ管理でメシ食える位のスキルは必要になるでしょう。そうでなきゃ、生放送に辿り着くまでの過程で力尽きちゃうのがオチ。

 で、何よりも問題なのが、これらの要因によって起こる不自由は聞き手側が被らなきゃいけない、ってこと。会話が聞き取れるか聞き取れないかさえ危うい音声品質で、ちょっとしたことですぐにブチ切れる番組なんて誰が聞きますか。リスナーは概してガマン強いもんじゃないよ。10秒放送が途切れたら「あ、ダメだ」と切断しちゃう。それ位のもんです。

 確かに現状レベルでも、パソコンベースでサーバ立ち上げて、聴取者数を数人に限定して・・・みたいな形でやれば、なんとか、なんとかですよ、生放送を成立させることはできるかもしれません。でもそれ、「作り手の実験」以上の意味を見出すことってできますかね?私難しいと思うんだけどなぁ。作り手が満足を得る以上に、聞き手の満足を奪ってるような気がしてしょうがないんですな。そこまでしてわざわざ(現時点では)不便なものをやっちゃう意義は果たしてあるのでせうか?そんな疑問が拭えない。

 てな感じで現状を考えるとネガティブな思考しか出てこないってのが今のライヴストリーミング環境なんですが。まぁこの辺は例の如く「3ヵ月経てば別物」のこの世界の進化の速さに期待するしかありませんですねぇ。どうだろ・・・早くて来年末から再来年位になっちゃうのかな・・・。さすがにこの辺は辛抱強く待つしかないかな、というのが現状私の持ってる認識です。

 とは言え、「だから絶対ダメ」ではあまりにも寂しすぎますわぁね。つー訳で、仮に今後生放送が手軽にできるような技術革新があったとして、じゃあどうするか、つーのをちょっと考えてみたいなぁ、と。

 ここ1、2年でのストリーミング(企業系含む)で、いわゆるヒットした、沢山の人に同時聴取された主なコンテンツってなんでしょ。

 スティーブンジョブスの基調講演。椎名林檎のライヴ生中継。ふと思い付いたのではこのふたつ。

 これがリアルタイム中継された時には、それこそ沢山の人が画像音声をみたいとアクセスが殺到しました。その結果、必ずしも皆が満足にこれらの画像を見られたという訳ではなかった。つーかほとんどの人が細切れブツ切りの画像音声でもガマンしていた。

 なぜそれでも皆は、現状にガマンして見ようとしたか?

 おそらく。「時間の共有」を求めていた、と踏んでるんですけどね。わてら受け手側が。同じ時間に別の地で行われていることをリアルタイムに受け取りたい、つー欲求があるからこそ、アクセス殺到という結果を産むことができた、と思うんですな。

 なんでこんなお話をするか。果たして現状のインターネットラジオに、これらの欲求そのものが存在するのか、つー疑問がどしても残るんですよ。

 というのも。我が身を振り返って思うんですけど。

 常用的にインターネットラジオをチェックするようになってから、明らかに地上派ラジオを聞く時間が大幅に減りました。というか、もはや家ではほとんど聴いてません。せいぜい車に乗ってる時位。

 なぜか。時間を選ばないんですよ。いつでも聞ける。自分の都合のいい時間だけ聞ける。平日だろうが休日だろうが、朝だろうが夜だろうが好きな時に音声を流せる。ひとつの番組30分単位で3日かけて聞ける。気に入ったら何回でも聞き直せる。

 一度このラクを覚えちゃったらね、地上波がうざったくてしょうがなくなっちゃったんですな。なんでこっちがわざわざ時間合わせてラジオのスイッチ入れなあかんねんと(笑)。

 これって、上で挙げた「時間の共有」とはまったく正反対の性格を持ってますよね。「時間からの開放」とでも言うべきかな。制作者側からすれば普段はあまり意識してることではないのかもしれません。でも、聞き手側にすれば「いつでも聞ける」ってのは思いの他大きいメリットなんですよ。

 その上で。果たしてこれらのメリットを捨ててまで生放送の方に傾いていくことに、果たして効果ってあるのでせうかね?

 少なくとも私は、「無い」と判断するんだけどな。

 わざわざ「時間」という制限枠を設けて、リスナー層及びリスナー候補層をはじき出しちゃう必要性は無いんじゃないの?

 リスナーが我慢して時間の制約飛び越えてくれる、そんな甘い幻想はとっとと捨て去った方がいいよ。悪いけどまだまだこの世界、成長もしていないし、認知もされてないんだよ。

 つー訳で、今回はある意味、インターネットラジオに夢抱いてる方々にとっては五寸釘ブッ刺す様な内容になってしまった訳ですが。

 まぁこんだけ書いておきながら今更言ってみても何のフォローにもなりやしないかもしれませんけど。「生放送いつかはやってみたい」と夢を馳せることに関しては私は何も言いません。つーかそれくらいのことは思ってたいよな。

 でも、まだまだこうゆう将来に目を向けるよりは、先に今やらなきゃいかんこと山ほどあるだと、つーのがありましてな。量的にも質的にも。

 理想と現実はあくまで別物です。もっと言えば、現実の打破なしにして理想への到着はありえません。

 まずは、やるべきこと、今できることをやろーぜ、と。そんなとこです。


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