失って気づくもの。

(おことわり)
すまん、今日は完全に自己中心&昔話モード&支離滅裂です。


物事には常に始まりがあれば終わりもある。そしてそれは突然に知らされる。


 寝つけそうなんだけど寝つけないので、布団の中で横になりながら 本屋で買ってきたばかりの「EYE-COM」を読んでました。

 一通り読んで「さぁ、眠くなってきたし寝るか」と思いつつ 最後のページをめくった3秒後、一瞬にして目が覚めてしまいました。

 「え・・・・?EYE-COM休刊・・・?」


 EYE-COMとはアスキーが発行している初心者〜中級者向けの総合パソコン誌。 言っちゃ何だが、私は初めてパソコンなるものに手をして以来約6年間。 ずうっっとEYE-COMを愛読してきた。理由はひとつ。自分に合っているから。

 EYE-COMの記事の難易度は決して高くない。より高度・詳細な内容が 欲しければそれ用の雑誌はいくらでもある。現に私は「Internet Magazine」 「月刊アスキー」「DOS/V Magagine」等の完全な専門雑誌も買ってはいるが、 読んでない。あれはあくまで資料&お買い物&調べ物用。
 読み物として面白くないと手にする気すら起こらない。だからこそ EYE-COMは貴重だった。ある程度のレベルも保ちつつ、それ以上に・・・ バカだった。うん。

 私が常々思っている「パソコンマニアなんぞくそくらえ」 「パソコンだけできてそれが何になる」「パソコンで何をするかが重要だろ」 といったある種偏った精神(偏見?)は少なからずEYE-COMの影響を 受けていると思われる。EYE-COM読んでなかったら今のパソコンに関する 達観(?)は得られなかったと思う。

 そのEYE-COMが休刊になるという。いや、正確にはEYE-COMを休刊に した後EYE-COM編集部がそのまま週刊アスキー編集部に大移動。 週刊アスキーはパソコン専門紙として改めて創刊される。つまり 考え方を変えれば「EYE-COMが週刊化される」ということであり、 実はめでたいのだ。

 確かにうれしいといえばうれしい。これからも読める訳だから。 多分、いや絶対買う(笑)。

 でも、なんか寂しい。長年「あって当たり前」だったものがぽつん と姿を消すような寂しさがある。毎月1日と15日は「本屋に行って EYE-COMを買う」のが習慣になってた。それが無くなるのが、 なんか寂しい。


 とまぁ、結構感傷的になってたりします、今。他の人にしてみれば なんてことは無い、ただの休刊ですけどね。

 今までいろんな本や雑誌買ったりしてるけど6年も欠かさず 買い続けた雑誌 なんて今までなかったからね。大抵は1、2年でお金が尽きるか、 興味が無くなるか、雑誌が消えるかでしたし。


 こうゆう事がある度にいつも思い出す事があります。中学生から高校生に かけて、異常なまでにラジオに固執してた時期がありました。 学校の人間なんか誰も信用できない、勉強もやる気しない、家に帰っても 家族がうっとおしいだけ。唯一ラジオ聞いてる時だけが没頭できる。 みんな忘れて集中できる。今にして思えば完全に現実逃避以外の何者でも ありませんな(笑)。 睡眠時間極限まで削って(毎日2〜3時間睡眠)ふらふらになって学校行く。 んで授業中寝る。そんな毎日しか送ってないから今こんな人間になって しまっていますが。

 そんな毎日を送っていたある時、自分の一番好きな番組が終わってしまった んです。「その番組の価値」=「自分の価値」でしたから、ショックでしたね。 終わってから1ヶ月以上、今の会社嫌い なんか比べものにならない位鬱入ってしまいましたから。

 ま、今、こうやってアホ面ひっさげて生き延びてるんですから、 しょせん一時的なものだったんですけどね。今冷静に思い出すなら。 でも今でも何かを失うたび、あの時のショックをふと思い出す事が あります。人の死に目に遭遇した時とか。


 今まで「あって当たり前」だったものがなくなってしまう。 当たり前と思ってた期間が長ければ長い程、ショックは大きくなる。 その究極的なものが死なのかな、なんてことも思ったりもする。


 たかがひとつの休刊の話なだけなのに、ここまで飛躍してしまった。 やっぱ俺妄想癖激しいんかの?


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