日本代表とシステム化される努力

 最近の日本代表が気になる。いや、確かに今までも純粋なミーハー として気にはなってたんだけど、そんな浮かれ気分とは別の、な〜んか 見ててイヤな気分になってしまう事がある。そう思いません?ねぇ。

 やっぱり今度のUAE戦なんだかんだ言って興味はあります。 既に頭の中だけは日曜日の国立、正確には国立を映し出してるテレビの前 に幽体離脱してる情報です。
 だってそうでしょう。加茂監督が解任されてからの後任岡田監督の 真価が問われる試合ですし、何より日本に自力2位の可能性が出てきた 事で、フランスW杯を考えても大一番になるのは間違いない。 そんな訳で日曜日が待ち遠しくてしょうがない状態に陥っているので 新聞やWebを漁りながら興奮を押さえ続けている状態です。

 でも。なんか記事とかを読んでいると「おお、日本も頑張って るなぁ、必死だなぁ」と思えない。読んでて「あれ?何か 違ってないか?」と不安にかられてしまうん。

 原因はこれ。「超ハード合宿」「休日返上」「練習に殺気」 「練習中に激突して歯欠ける(小村)」「洗濯でも靴磨きでも やるからチームに(井原)」「非情の強制送還(西沢)」・・。 これ全部、ここ数日間の新聞のキャッチです。

 「ファイトしない奴は使わない」という方針の元、全面的に 闘志をむき出しにする、という意図はわかるんですが、 こうやって記事眺めてると勝つ・負ける以前にこうゆう 方向性になぜか拒否反応が起こるんです。

 分かるんですよ、闘志が必要だってのは。でも、何か 違うんです。今日本代表が手に入れようとしてるものって。 代表が手に入れようが勝手だけど俺はごめんだね、という ひねくれ感覚が頭を離れません。

 「なんかなぁ、何が違うんかなぁ」と考えてました。 考えながら、前回の学校関係の文章書いてたら、ふと答えが 出てきました。

 あ、そうか。今の代表って学校なんだ。

 個性よりも統制。才能よりも努力。たとえ個人で素晴らしい ものを持っていても集団に対応できなければ切り捨てる。

 なぁんだ、どうりで生理的に嫌な気分になる訳だ(笑)。

 いや、別にこれ自体が悪いという訳じゃないよ、念のため。 「試合に勝つ」のが最大かつ唯一の目標な訳だし、それを 目指すためにやれる事はすべてやってる訳だしね。 その要求に答える事ができるからこそのプロな訳だしね。 という訳で西沢、これからも頑張ってくれぃ。

 私が「?」と思ってるのはもっと別の側面。これ、実は 結構前から思ってることなんだけど、ひょっとして日本人 って努力をシステムに取り入れないと信用できない、 もしくは力を発揮できない人種じゃないですか?

 やたらと精神論をぶちまける事が多い日本人ですが、 こうゆう努力とか根性とか、どうも自分で自発的にやると いうより、圧倒的に他人に強制される事の方が多いような 気がするんですよね。よく言えば精神論を学習してる、 悪く言えば洗脳してる。他人に強制されて初めて感情的な 起伏が起こる。

 今の学校の現状なんかまさにこれだし、今の日本代表見てても、 本来暴論だったはずのこの考え方が やけにしっくりくるんですよね。悪いけど。 学校で、職場で、さんざん叩き込まれてきた自己放棄の 集団軍隊主義、そのまんまやってる感じがする。 正確に言うなら今のマスコミ等が現在の代表を そうゆう目で見てる(それを望んでいる?)と言うべき なんだろうか。

 他人に押し付けられた精進なんてて、そんなに有効なのかなぁ。 そりゃ何もやらないよかよっぽどましなんだろうけど、 しょせん押し付けられたものなんて、自分から得たものの 半分も役に立たないような気がする。 「むかつくぅ!見てろよ!あいつ殺す!」と「ほら、むかつくだろ。 だからあいつ殺せ!」ほら、この2つ全然迫力が違うでしょ。 (しかしなんつぅ例えじゃ>俺)

 本来、努力とか気合とかって「あればあるほどいい」のプラス要素が 強いものだと思うんです。でも周り、特に上の立場にいる人ほど 「あって当然、なければクズ」のノルマ思考、減点方式の考え方 なんだよな。やっぱ違うんでないかい。

 「上に行こう」て気が無いヤツに何したところで所詮何もできない と思うんだけどね。

 ま、日本代表のメンバーの闘志が決して「刷り込み」では無い事を 願いつつ、応援させてもらいます。わぁぁ。

(しかしミーハーなんだからミーハーらしくきゃっきゃ言ってれば いいものを>俺)


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