朝は眠い


 私の会社は9時始業、6時終業。でも今の派遣先がフレックスなので 会社の同意を(ムリヤリ)受けてフレックス的に、つまりかなり いい加減に出社・退社してます。もっとも早く帰りたいから9時〜9時15分 には会社いるんだけどね。それでも本来のタイムテーブルに沿えば 毎日遅刻してるようなもんです。

 私が今かろうじてメシ食ってるコンピュータ業界、総じて朝に 弱い人が多いです。一般人にとっての朝9時はコンピュータ業界 では朝6時とでも思っててください。朝のフレックスタイムは どこの机もがらがらで、 コアタイム(この時間までに来なきゃいけない)突入間近に なるとようやくわなわなと人が増え始めます。みぃんな眠そう に目を腫らしながらやってきます。だって眠いんだもん。

 それでも私ら幸せなんよ、他の人に比べたら。だって日本企業 大企業から中小企業まで、「9時2分に来た。遅刻。はい減給」 ってやってるところがまだまだ大多数なんですから。もう私 なんか絶対毎日遅刻。「あ、電車混んでる〜、一本遅らせて座ろ〜」 なんて日常茶飯事ですからね。今の会社タイムカード無いから いいけど、あった所で意図的に押さない可能性高いし。 という事は時間感覚では完全に「社会人の自覚なし」の烙印 押されますね。当たってますけど。

 そもそも9時に会社に来なければならない理由・根拠って 一体なんでしょう。 例えばブルーカラーや接客みたいに 日々の時間概念が仕事に組み込まれている場合、非常に わかりやすいです。 9時に来ないと他の人も作業を開始できない。9時に来ないと お客様の相手をすることができない。いたって単純です。 実際5分遅れる事は5分に値するお金を損することに なりますからね。こうなるとそれでメシ食ってる訳ですから どうのこうの言ってられないぞと。 遅刻すると周りが迷惑するぞと。明朗会計8000円 ぽっきりの非常にわかりやすい説明ができます。

 でも、業務がホワイトカラーになると事情が全然変わって くるんです。というかボヤけてきます。 特に開発系のプログラマーなんかその典型なんですが、 遅刻しようが何しようが、別にその時その瞬間そこにいなくても 別に困らない事の方が多いんですよ。極端な話、あらかじめ 決められた期限までにきめられた業務を遂行するのが目的、 結果こそすべてなんですから。だから「5分遅れたところで 困るの俺だけじゃん。最後にモノができなかった時、その時に 然るべき責任を取ります」って論理が通用してしまうんです。

 プログラマーに限らず、仕事の上での目標・成果物に取りかかる スパンが長ければ長いほど、中間での作業効果は意味をなさなく なる。それがホワイトカラー系業務の大きな特徴です。

ついでに一言書いておくかなと。あくまで中間時点での業務報告や各種チェック ってのはあくまで最終的にちゃんと所定の成果を挙げるための リスクヘッジが目的だからね。この辺を履き違えてやたらと 中間だけにこだわるヤツがどこの世界にもいますけど、木を見て 森を見ずの世界ですね。考えが浅はかすぎます。

 この辺の考え方が、実際に作業する人間とそれを管理する人間との 間で食い違っているな、というのを働くようになってから特に感じます。 5分遅れてどったらこったら、ってのは価値観のズレを端的に表しています。  例えば上司に「遅刻ばっかりして、周りの迷惑も考えたまえ」なんて 言われたところで、当の本人にしてみれば「誰に?どんな風に?」 程度の認識しかありませんからね。実際私もそうだし。 罪悪感なんてものはこれぽっちも持ってませんもん。 本人は「最終目標さえ達すればいい」と考えるのに対して、 管理する側はその過程を大事にしすぎます。結局本末転倒して 本来の目標を忘れてしまう悲しい現実があるんですね。涙。

 さて、時間の話に戻しましょうかと。

 実際問題、普通の勤労者にとってはただうざったいだけの時間規定 ですけど、管理者・経営者にとっては時間は有効な意味を持ちます。

 それは「査定」。世の中のほとんどのサラリーマンは、 時間を単位にして働き、お金をもらいます。理由はごく簡単。 社員に対してつける絶対的、かつ公平な判断基準が余りにも少ないからです。

特に目に見える成績を持たないホワイトカラーの査定方法 には昔から悩まされてきたと言っていいでしょう。 数字に表れない、態度にも表れない所で会社に多大な貢献を したところで、それを客観的に評価する方法が無いから なんですね。どうしても評価には主観が入り交じってしまう。 最近でこそこうゆう不確定要素の高いプラス評価を取り入れよう という動きもありますが、まだまだ評価は減点主義、マイナス要素 中心の査定がほとんどなんですよ。だってこの方が平等に 見えるじゃん。みんな条件一緒だし、減点基準明確だし。

この点から見ると時間ってめっちゃ便利なんです。 誰でも一日24時間。同じ条件・基準ができるし、減点の対象として 明確な線引きができる。一番わかりやすく一番簡単にできる 評価方法なんです。だからどの会社でも「何時から何時まで」という 線引きをしてそっから査定の判断材料にすると。

 でもこうやって改めて書きながら考えてみると、やっぱりひねくれ者 なんで一方的な考え方だなと反発したくなってくるんですね。 これこそひねくれ者の性というやつなのでしょうか。 という訳でこの際、この判断方法にもチャチャを入れてみようかと。

 そもそも「公平」って言った所で、所詮は「管理側から見た公平」 であって「すべての人にとって公平」ではない、という点を見落としてる と違いますか?

 めっちゃ単純な例として通勤時間、ですかね。 会社に行くのにAさんは30分、Bさんは2時間かかりますと。 9時出社するためにAさんは8時半、Bさんは7時に家を 出なければなりません。Aさんは寝坊して7時半に起きて しまいました。30分の遅刻、減点です。でもAさんが 飛び起きた7時半にはまだBさんはぐーぐー寝ています。

 もし時間による査定が公平だというのなら、 これ矛盾抱えてませんか?意地悪でしょ?小学生、いや、 それ以前から「約束の時間には遅れないようにしましょう」って 叩き込まれてるんだもん。当たり前すぎて逆に気付かないよね。 こんなんは単なるヘリクツだって一蹴する奴がほとんど なんでしょうね。お前ら頭切り替えろぉ。

 しょせん平等だの公平だの言ったところで、どっか叩けば 必ず埃は出てくるんだつぅの。それをさも完全なフリして 振りかざすなっ。目障りだ大迷惑だっ。

 とは言うものの、依然管理する側は時間を「ものさし」と して使いたい。その一方で管理される側はそんなものに縛られたくない。 これはもう感情的要素も介入してきますからまともに議論 した所で泥沼になるのはわかりきってます。

 だから時間を守る=モラルを守る、の論理を利用してるんだろうなぁ。 「時間を守れないようなヤツは社会人としての基本もできていない奴」 とプレッシャーをかけ続ける事によって、感情的不満を言わせない。 戯言ぐだぐだ言う奴自体をダメな奴と決めつけ遠慮無く評価を 下げていく・・・。

 なんか釈然としないよな。都合が悪くなるといいかげんな言い訳して 逃げ回る自民党議員と姿がダブって見えるし(偏見)。 なぁんか都合のいいように公私混合(私々混合?)してるような 印象を受けます。

 本当に仕事効率の優先考えているのなら、時間なんてかなりちっぽけな ものだと思うんですけどね。細かい事にこだわり過ぎて肝心な事が 見えてないんじゃないですか?根本的だから、正しいに決まってるから 変えない。変わらない。そんな事やってる内はいくらブレイクスルー だのビッグバンだのぬかした所で何にも変わりゃしねぇって。 とっとと底無し沼にはまって溺れ死んでろや。

 ・・・・・・しかし単に「朝眠いのたっかるい」って書きたかった だけなのに、なんでこんなに文章長くなるかね?


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