新着別 分類別引き際の攻防
やっぱりずうっとホームページ眺めてたりしてると(ずっとって言っても せいぜい3年位だが)「ホームページやめます。いままでありがとうござい ました」って所に出くわす事があります。でもこうゆう風に予め予告があって、みんなにも惜しまれつつ終了 できる、ってのは結構マレなケースみたい。大抵は「やめます」って 宣言してから何ヶ月も何ヶ月も名残惜しく残骸が散らばり、誰にも 気付かれる事のないままある日ひっそりと「404 Not Found」 メッセージに切り替わる、というパターンの方が大勢を占めています。
こんなページとは言え、同じホームページ作っている立場から すると実はこれ、あんまり責められないんですよね。というか ひとつの夢のシーン(ちと大袈裟か?)が崩れ去っていく現場を 目撃してしまったような、罪悪感と同情が頭をかすめてしまいます。 「作っててつまんなかったのかなぁ、人来なかったのかなぁ、 単にどうでもよくなっただけなのかなぁ」と原因を考えつつ お骨を拾うような心境でページを眺めることも時々あります。
まぁ冷め切ったホームページ感傷的に眺めるようなヤツってのが 既に少数派なんでしょう。実際「あ、無くなってる、次」と インターネットの大海に戻ってしまう人の方が大多数でしょうし、 作ってる本人もホームページ作ったこともやめたことも 普通の事として受け止めているのでしょうし。
でも今までにいい味出してるサイトが消え失せていくシーンを かなり見てるから、やっぱり惜しいなぁ、って気持ちになっちゃう のよ。どうしても。しかしながらこうゆうひっそりと消えていくページにもそれなりのメリット というものもあります。それは100%自分の意志で、言ってみれば 好き勝手にやめることができる、ということ。やっぱり自由好き勝手、 「俺がやめたいからやめる」って言えるんです。 現実社会ですらやめる事を無条件に否定する輩が瓶詰めにして 佃煮にできるくらいごろごろしてる中、「やめる」って自由に 言えるメディアなんだよな、インターネットって。 「やりたいからやる」当たり前の事が当たり前にできるのが 大きなメリットなんですね。
じゃあ一方で、ユーザの支持も人気もある、いっぱいアクセス されてるホームページの作者がある日突然「もうやめる」って 宣言した場合。はたしてこの人はすんなりホームページをやめる 事ができるのでしょうか。これが今日の本題。(ってえらい 長い前置きやったな、俺)
結論から言えばNo。人気があるほど、アクセスあるほど 辞めるためのいらん努力をせなならんという矛盾を 抱えてしまってるんですね、現実的に。
ケーススタディ1。とあるホームページの作者さんがぽつりと 「やめよっかなぁ」と発言。本人後日曰く「本当にやめる気なんか 無いのにぃ」との事だったらしいが、周りが過剰に反応して しまったため、掲示板に「やめないで〜」って来るわ メールで「やめないで〜」って来るわで、かなり後始末が 大変だったとのこと。
ケーススタディ2。「ホームページ作るの疲れた」と ホームページ休止のお知らせが。すると「お疲れの様ですが もう少し頑張ってくれませんか、私も応援しています」と 励ましのメールが。これに元気付けられてまた再開。 でもやっぱりしんどくてもう一度告知。すると励ましメール。 これを繰りかえしてたら、いつの間にか更新が止まり、 ページも無くなってしまった。・・・・・・倒れたんか?
ケーススタディ3。とある有名サイトで「もうやめます」と 告知がある。その日の内にこのサイトの掲示板に「やめないで ください」とのお願いが殺到。そのサイトの作者さんは丁寧にも それらのお願いに対しコメントをつけて説得していたが、 一部の人間が「これだけのお願いがあるのにやめるとは 何事だ」「ホームページを作る責任というのを知らんのか」 (←そんなもん知らんわ[俺注釈])とブチ切れる。 しばらくの間その掲示板は修羅場と化し、混沌としたまま 作者本人がキレてホームページは強制消滅。・・・・あ〜あ。
とまぁこんな感じ。共通してるのは告知に対して いずれも「やめないで〜」と引き止められてるってこと。 会社で言えば慰留やね。本当なら個人の判断だけで 勝手に決められるはずなのに、いずれも第三者の介入に よって妨害されてるってこと。言い方悪いけどね。 たまたまそのページが有名であるために、たくさんの人に 見られているために、想像以上の引き止めになってしまったと。 結果として多数決の押し付けになっちゃったんですね。
引き止める側にすれば確かにそれは素直な欲求なんだろうし、 気持ちもわかる。でも、作り手にとってすりゃやっぱ うざったいぜ、これは。だって個人のホームページの90%以上は 「本人のわがまま」で作ってるんだから。やりたいからやる。 理由なんてこれだけ。インターネットに転がってる大量の 情報だってこの精神に乗っ取ってやりたいヤツがやりたいように やってるだけなんだから。そうやって作り手がわがまま三昧やりたい放題 やった結果、今インターネットの情報がこれだけ膨大なものになってる んでしょ?
作るわがままが許されるんだからやめるわがままが許されて当然と 違うの?それをいざやめるとなったら突然わがままを義務に置き換え るような事ばっかりぬかしやがって。そんなにやめて欲しくないんなら 代わりにあんたが作ったら?やめるページ超えるようなモン作って みろよ。そんな事しようとも思わないくせに、他人に作る事だけ 強制しようなんてそんなバカな話あるか。甘えるのもいい加減に しろっての。
あ、本音が。
でも本来インターネット文化自体が「やりたいヤツが勝手にやる。 使いたいヤツが勝手に使う」という精神が元でこんだけ発展してる だけに、なおさら「義務」って言葉に抵抗を感じます。 いつの間にか利用する側は、提供される事を当たり前のように 錯覚してしまい、作り手は感じる必要の無い義務感に襲われ 本来の自由奔放な動きが失われる。これが一番恐いんじゃない? 制限されたままじゃしょせん完成するものもたかが知れてるし。 そんなんが続いたら結局「あ、価値ないないや、ポイ」と 捨てられるだけでしょ。その程度のモン作って読んで、おもろいか本当に?
という訳で「ホームページめんどくさいなぁ」などと思っている 大手ホームページの皆さん、思い切って一度やめちゃえば? それでまた作りたくなれば作ればよし。二度と手付けなくなったとしても 所詮はそんだけのもんだった、ってわかるでしょ? 周りの声なんか無視してしまえ。自分で決めろ。それが重要。