偏食家バンザイ


 ただいま〜。ごはんある〜?あ、テーブル?うい、 さっそく食べる。いっただきまぁす。ばくばく。 ん〜と、漬物かなんかある?あ、浅漬け?いるいる。 ぼりぼり、ん〜、この渋味がいいねぇ日本人たるもの 最後はここに落ち着くね〜ばりばり。

 むさぼり食うフジハラの姿を眺めつつ、親がぽつりと 呟きました。

「あんたの味覚もずいぶん変わったね〜」
「うい。」

 私、年少の頃は類希なる偏食家でした。現世における 日本三大偏食家としては元TM Network小室哲哉(野菜しか食わない)、 オリックスのイチロー(過去野菜一切食わなかった)、 そしてベルマーレ平塚の中田英寿(野菜一切食わない) 当たりが有名だとは思われますが、かつての私でしたら このお三方に肩並べることも可能だったと自負しています。 言うならば日本四大偏食家。えっへん。

 いばるなってばよ。

 ちょっと昔食べられなかったモノ、列挙してみましょうか。 まず野菜と魚、無条件にダメ。この時点で食べられない食物の 種類は軽く100をオーバーします。さらに、チーズがダメ、 マヨネーズがダメ、ケチャップもダメ。これらが料理の 中に1ミリでも混ざっているともう体が拒否反応を起こします。
 そして天敵中の天敵、豆。特に大豆。想像するだけで 吐き気を催すパブロフの犬状態。

 こんな子供でしたので、普通の子供にとっては天国だった はずの給食も私にとっては地獄そのもの。献立にひとつか ふたつは必ず食べられないのが出る。しかも「子供に 豆をもっと食べさせよう」と春日井市教育委員会が 画策したのかどうかわかりませんが、やたらと豆類が 献立に出る学校だったんです。

 昔、給食時間も終わってお昼休みも終わって5時間目になったのに、 先生に怒られても泣きながら給食食べるの拒否してる子供って いませんでしたか?そ、それ私。
「早く食べなさい!もう5時間目でしょ!」
「だって〜」
「それ食べない限り、夜まででも残ってもらいますからね!」
「やだ〜、食べたくない〜」
周りの児童の冷ややかな目も自らのプライドも関係ありません。ただ ひたすら食べるのを拒否してました。今思うとバカな ことで先生に迷惑かけたよなぁ。今も元気でやってるのかな、 奥村先生。

 学校ですらこうですから当然親も苦難の連続だったようです。 「どうやったら宏樹にモノを食べさせるか」が毎日の 献立のテーマ。いかに宏樹に感づかれることなく、 キライなものを食べさせるか。よくよく考えれば 本末転倒のような気もしますが、親曰く「まぁ苦労したわ。 入ってると気付いた瞬間に一切食べるの拒否した からねぇ」とのこと。かなり重症だったようです。

 ここまで偏食激しいと一体どうなるんだろう、とさすがに 親も心配したらしいのですが、そんな中、転機とも言える 出来事がありました。小学3年か4年のときだったかな。 お腹空いてて「なんか食べるもの〜」と冷蔵庫を開け、 なんかチョコレートっぽい銀紙に包まれた小片を発見 しました。「?」と思ったのですけど、お腹空いてた んでそのまま口に入れてしまいました。

「・・・・?」

 チーズでした。さらにしばらくして、

「・・・・・・んまいじゃん。」

 おいおい、チーズ嫌いじゃなかったんかい、藤原よ。 要するに典型的な食わず嫌いだったんですな。まずいまずい と勝手に思い込んでて、おいしいのをおいしいとすら 感じなくなってたんです。

 それがきっかけになったのかどうかはわかりませんが、 以後次第に「嫌いな食べ物」の種類は減っていきました。
「あ、漬物も食べられる」
「スパゲッティっておいしいねぇ」
「グラタン、食べられるじゃん」
信じられないでしょうが、これ全部、以前は食べられなかった ものです。

 そして現在、フジハラヒロキ25歳。ごく一部のモノは 除いてほぼ食べられるようになってしまいました。 食べられると言ってもおいしいと思って食べられるのと、 まずいんだけど我慢して食べられるものと二分されて はしますが、まぁ大抵の物(豆以外)は口に入れることができます。

 おかげでちょっとお腹のぜい肉も気になる体になって しまいましたが、それでも「食べる喜び」には変えられません ね。食べ過ぎに注意しつつ、親や先生に感謝しつつ、 いただきます、と。

 おい、小室にイチローに中田。聞いてるか。ちゃんと肉も 野菜も好き嫌いなく食えよってば。

 殺されるっつ〜の。


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