匿名の優位性


 私ここ数年はハンドルは使わず、すべて本名、もしくは サインとして「hiroK」を使っています。「hiroK」ってのも 単にいちいち「ふじはらひろき」って打つのが面倒くさいし 重苦しいだけなのでこっちを多用してるだけの話、 特に何か特別な意味がある訳ではありません。

 やっはりハンドル(全般的にペンネームでもいいですが)、 日常的に使わないいわゆる一般の方にとってはかなり 気持ち悪い存在みたいですね。大の大人が訳のわからない 暗号みたいな名前で呼び合ってる風景を目の前にして ひいていくか寄っていくかで、バンピーかヲかを 見分ける((C)水玉蛍之丞)ってのももはや通説になりつつ あります。

 ハンドルがなぜネットワーク上においてノーマルなものに なったか。より相手に親近感を持たせる、簡単な名前で 相手に覚えてもらうなど、いろいろありますが、やっぱり一番 大きいのが匿名性だと思うんです。という訳で今回は この話を。

 まず始めに態度明確にさせておきますが、私はハンドルによる 匿名容認してます。「名前なんて記号、個人さえ特定 できるのなら本名だろうがハンドルだろうが構わない」ってのが ひとつ。もうひとつが「匿名だからこそ言えることがある」ってこと。 特に後者の方が大きいですね。

 匿名ってのはひとつの立派な逃げ道である、ってのがその根拠。 確かに匿名によって起こる弊害ってのもあるんですけど、 それ以上に匿名だから言えるメリットってのを重視したい んです。全員が全員言いたいこと言える世の中なんかじゃ 決して無いですからね、特に日本は。意見そのものでなく 意見を言った人間に攻撃の矛先が行く。正しい、 間違ってるの判断じゃなくて、発言すること自体、表に出る こと自体を間違ってるとする考え方、絶対にありますよ。 こうゆう保守的過ぎる奴らから身を守るためには、匿名って 数少ない保身の術だと思うんです。 言いたくても言えない状況なんかよりは、匿名によって ある程度でも言える状況ができあがる。この効果を もっと真剣に検討するべきだと思うんですけど、 どうもそうゆう風には思ってない人間がこの世の中多いらしい。

 ま、確かに感情的にはわからんでもない。上で挙げた 論理全く別にして「よぉそんな恥ずかしいハンドル名乗れるな?」 って言いたくなるってのは実際よくある。 心の中で「あんたが自分でそう名乗るのは構わんけどなぁ、 それ口に出して呼ばなきゃならんこっちの事も考えてよ〜」 と思うこともしばしありますし(笑)。

 でも、「匿名で喋るヤツの言うことなんか信用できない」 ってのは嘘でしょ、やっぱ。(面食らう人もいるかも しれないけど、こうゆう意見は少なからず存在します) 本名使ってても嘘つく奴はやっぱり嘘つくじゃん。 その一方で、匿名(=ハンドル)ながらもまっとうな 意見を堂々と声に出してる人だっている訳だし。 あくまで意見、主張の是非ってのが最優先事項であって、 それが誰のものなのかってのは二次的な側面しか 持たない訳。

 結局こうゆう戯言ほざく奴ってのは、意見そのものの 是非とか価値とか、そうゆうのを全く見てないから こんな事言えるんだと思うよ。放っておけって感じですか。

 確かにこの世界、匿名に名を借りた言われなき中傷や デマ、ってのもイヤになる位目にする。でも、これって 匿名だからムカつくんじゃなくて、意見そのものが ムカつく訳でしょ。現に同じ意見を本名出して書いた 所で結局周りからボロクソ叩かれるのは一緒なんだし。 要はそれ書いてるヤツが腐ってるだけの話じゃん。 「こうゆうヤツがいるから匿名は」ってのは まったくの筋違いだよ。

 でも、こう書いてても日々こうゆうトラブルは生まれては 消えていくんだよね。何をそんなしょーもないことで ケンカしてんだか。もっと他にやることあるだろ。

 発言者云々じゃなく、内容を見て議論できる人がもっと 増えない限り、いつまでたってもなくならないんだろうね、 こうゆうのは。

 不毛。


新着別 分類別
Index