かえるの合唱


 いつものように遊び散らした後、家に帰ってきた土曜日の夜。

 車のエンジンを切った直後、明らかに異常な音が鳴り響いてるのに気付く。 「あれ?車のエンジン切ったよな?」とキーがOFFになってることを確認。 どうやら自分の車から発している音では無いらしい。

 「?」とドアを開ける。途端に大音響が鳴り響く。

 ぐわーがーがーごわーがーがーがー。

 なんだなんだなんだ?この音は?地響きか?土砂崩れか? 死ぬのは構わんがまだ心の準備出来てないぞ。どうせ死ぬなら せめて最後に牛丼食わせてくれよ。ってなぜに牛丼か。

 とは言うものの、音はすさまじいとは言え、山が崩れてる訳でも 地面が割れてる訳でもない。じゃあこの音はなんだ?再び 耳を澄ませる。

 ぐわっ。ぐわっ。げこっ。ぐわーこぐわっ。げごげごげご。

 なんてことはない。カエルの鳴き声。

 しかしそれにしてもすごいな。確かに我が愛知県春日井市の高蔵寺 ニュータウン、春から秋にかけてはカエルが鳴いてない日はないと 言ってもいい位のカエル王国ではある。しかも私が住んでる一帯は 近所に畑はあるわ水田はあるわ川流れてるわで「おい、ここは 本当に市か?」と疑いたくなるくらいの、まぁ一言で言い切れば 田舎なんですわ。

 しかしそれにしてもこの地に住み着いて以来15年近く経つけど、 ここまでのカエルの大合唱ってのは聴いたことなかったな。 音量図った訳じゃないけど、空港の着陸の時に出る騒音並の 音量出てたのではないだろうか。360度サラウンドで響きわたる スペクタクル状態。

 で、さらに聞き耳立てて解ったのだが、どうやらあまりにも 鳴き声がでかいため、我が家から西方にそびえ立つ山から こだましているらしい。

 げこっげこっげこっげこっげこっ・・・

 がーがーがーがーがーがー・・・・・

 かけることの300倍。うるせぇよ、ていうかすげぇよ。

 こんなにカエルが鳴いてるなんて なにか不吉な事でも起こるのではないだろうか。もしかしたら 起こる起こると言われて20年以上音沙汰無い東海大震災がついに やってくるのではないだろうか。その予兆か。自然の力を駆使し、 自らのあらん限りの声を振り絞って、愚かな人間に警告を 発してくれているのであろうか。

 健気だ。なんて健気なんだ、カエルよ。なんていい奴なんだ。 許してくれているのか。かつて爆竹を口の中に放り込んで 爆発させたり、肛門からストローで空気注入して爆発させたりと いった暴虐の限りを尽くしたにも関わらず、なお慈悲の心を 持ってくれているのか、カエル達よ。

 よし解った。君たちの叫びは不祥ながら私が引き受けた。 まずはこの危機を皆に知らせなければ。家に入り、 既に寝に入っている家族を叩き起こす。

「おい、大変でぇ大変でぇ!」 「ん〜、なによ〜こんな時間に〜」 「カエルだ、カエルの鳴き声だ。普段に比べてあまりにも大きすぎる。 おかしいとは思わんのか?」 「ん〜?・・・・・いつもの事じゃん、この位」 「本当だって!テレビ消せ!窓を開けろ!聞こえないかこの悲痛な叫びが!?」

 がらがらがら。・・・・・・・。

「これのどこがうるさいのよ?いつもの事じゃん?」 「なぜよ?これだけ大きいのに聞こえないのか?」 「うるさいな〜、はいはいうるさいですね。おやすみおやすみ」

 軽くあしらわれてしまったではないか。以後、家族を揺り起こしては それぞれ同意を求めたにも関わらず、冷たく拒否されてしまった。

 おっかしいなぁ。これだけの大音量なのになぁ。

 ひょっとして、これは一種の不感症なのではないか。空港付近に住んでいる 住民の耳が無意識に飛行機の騒音を無視してしまっているように、 高蔵寺ニュータウン押沢台住民の耳はもはやカエルの叫びは届かないという のであろうか。いかんではないか。

 この世界、何が起こるのかわからない。ある日突然、街が消えてなくなって しまってもおかしくない世の中だ。かつて相手は自然だ。自然のメッセージは 自然から得るのが正しい道ではないか。

 もっとも身近な自然界の語り部である カエルの声を聴かずしてどうするのか。我々はもっと努力しなければならないのだ。 カエルの喜びを受け入れ、カエルの警告に耳を貸さなくてはならない。

 そうじゃないのか?うん、そうだ。人類はこの気持ちを忘れてはならない のだ。そう思いつつ、自然の摂理に従い、布団に入る私なのであった。

 しかしカエルうるせぇな。

 ぐぅ。


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