新着別 分類別仕事と生活。
8月に入ってから鬼のような忙しさに見舞われてしまいました。 残業なんか当たり前。下手すると休日も潰れるかも。当初30日に予定していた 東京上京(ウルトラは出られないけど別目的のため行くだけ行く つもりだったのだ)も正直断念せざるを得ない状況にすらなっています。
くっそ!俺の一番求めていないライフスタイルじゃねぇか! 金払うから俺を家に帰せってのうがぁああああ!
と発狂したくてしょうがない気分をなんとかこらえて、精神ギリギリの 所でこらえて仕事してます。ていうかね、忙しくてそこまで 考えてる余裕無いの、勤務中は。
てな訳でここ数日残業してまで仕事してるのですが、 どうも周り見てると不思議で不思議でしょうがないです。
定刻過ぎて会社にいるってことが今まで皆無に等しかったんで 気付かなかったんですけど、周りの人間、表情とかを見ている限り、 「残業を苦痛に感じてない」ような気がするんです。 いや、むしろ「残業時間になると次第に目が輝く人」ってのが 少なからず見受けられるみたいでして。 6時過ぎ、7時過ぎになるにつれな〜んか空気が軽く なってる。
うーん、俺にはわからない感覚なんだよなぁ正直。 ま、単純に残業手当って考え方もあるんですけど、 どうもそれだけじゃないような気がする。
何なんだろう、この隔たりは・・・と考えてて、 ふと喫煙室でのこんな会話を思い出しました。 未だにネタとして使えるのか、トヨタ喫煙室。
確かこんな内容だったかな。
「○○さん、大変じゃないです?」
「ん?何が?」
「今月入ってからずぅっと午前様続いてるでしょ。 土日出勤も多いし。」
「あ〜言われてみればそうだね。」
「体持ちます?」
「それは大丈夫だよ、ヤバいと思ったら休むから。 ていうかねぇ。」
「はい?」
「仮に仕事暇で、定時で帰れたとするじゃん。でも そうだとなんか物足りないんだよね。ほら、帰っても大抵は メシ食って寝るだけじゃん?」
「まぁ確かにそうですねぇ。」
「早く帰ってもねぇ、時間ムダにしてるだけの ように感じちゃうんだよ。それよか残業してでも 仕事してた方が充実感あるんだよなぁ。」
「そんなもんですかねぇ。」そんなもんですかねぇ。ま、この方、今やってる 仕事が充実してるんだろうね。だからこうゆう事も 言えるのではないかとは思うのですが。
それよりも体持つとかしんどいとかのネガティブな 意味でなく、充実感とかのえらい前向きな形で 残業・仕事に向かってるってのが妙に気に かかりました。
で、思ったんですけど。
私なんですけど、はっきり言って今やってる仕事ってのは 自分にとって「日常」ではないです。週の内5日間40時間を 勤務時間に持っていかれようが、私にとっては仕事は 「非日常」です。第二の生活の場という言い方もできますか。 あくまで仕事ってメインじゃないんですよね。
一方、上の話に出てきた人でも、会社で当たり前のように 残業してる人達でもそうなんですが、仕事というものが 完全に日常として定着してるんじゃないかと。
この辺に差があるのかもしれないなぁ。
予め断っておきますが「仕事=生活」を否定する 訳じゃないです。実際私も「好きなことやって飯食う」 が理想だと思うし、それを目標にしてる訳だしね。
でもやっぱ、仕事を事実上唯一の生活の場にしてしまう という発想に関して言えば、ものすごく危険かな、と思ってます。 仮にこの考え方が通用した としても、それは昭和の時代までの話じゃないかな。
もちろん、どんなに会社のために働こうが、その会社 自体5年後には無くなってしまっても不思議じゃない、 という風潮、ってのもある。でもそれ以上に 気にかかるのが、自分のパーソナルな部分のほとんどを 会社「なんかに」預けてしまってもいいのかな、という ことなんです。
言ってしまえば会社依存症。定年過ぎたおっちゃん達が やることなくて呆然としたまま無気力になってしまうアレね。 これが元で自殺しちゃう人もいるからね、根は深いです。
これと同じ予兆が、必死こいて残業してる人達にも そのまま当てはまるような気がしてくるのよ。 当人が好きで残業やってるならなおさら。 ある日突然「ごめん、君クビね」となって、さて 改めて自分を見直してみたら仕事以外に自分の 価値見つけられませんでしたと。これじゃあまりにも 寂しくないですか?逆に評価されて定年まで しゃにむに働いたとして、それを誇りにできたとしても、 それだけで定年後アイデンテティー保ち続けることが できるのかな?「会社の犬」呼ばわりされたときのショック ってハンパじゃないと思うんだけど。
不平をぶつけるでもなく、ただ惰性的に残業し続ける 人達を眺めていると、「仕事だけで本当にOKなの?」 と問いただしたくなってくるんですけどね。
だって寂しいじゃん。一度きりの人生仕事だけで終わっちゃ。