世界の冠。


 大阪人は阪神タイガースと運命を共にする。一蓮托生覚悟で 阪神タイガースに身も心も捧げ、苦楽を共にすることで己の アイデンティーを確認するのである、ってのは案外嘘で、 実際には近鉄バッファローズもあればオリックスブルーウェーブス もあるので、それなりに分散化ってのができている。

 その点で言えば名古屋ってのは融通が利かない。野球といえば 中日ドラゴンズなのである。それしか無いのである。唯一無比である。 天涯孤独である。名古屋において 中日以外を応援するのであれば、周囲の冷たい視線は常に 覚悟しておいた方が妥当だ。うっかり「私は横浜ファンです」などと 口走ろうものなら、非名古屋民だの魂を悪魔に売り渡しただの、 あらぬ罵声が浴びせられる。 無謀にも名古屋通勤圏内の電車座席でうっかり読売新聞でも広げようものなら、 たちまち取り囲まれてボコボコにされた上に身ぐるみ剥がされ コンクリ詰めにされたまま名古屋港深くに沈められてしまうのだ。 ああおそろしやおそろしやなんまんだぶなんまんだぶ。

 ってなぜにわかりやすい嘘つきますか俺。

 まぁ何にせよ名古屋=中日びいきってのは否定のしようがない 事実であり、テレビもラジオも 当然ながら中日戦が毎日毎日飽きずに繰り返される訳である。 我々大半の名古屋人も飽きもせず「野口がんばれ〜」とやってる 訳なのでまぁどっちもどっちなのであるが。

 しかしそんなヤク漬けならぬドラゴンズ漬けの名古屋においても、 ドラゴンズから離れなければならない日は存在する。 例えば試合そのものが無い日。勇んでビジターに乗り込んだは いいがお天道様に嫌われて中止となってしまった日。 そんな日であってもナイター中継に穴を空ける訳にはいかない、という 放送局の思惑もあって、この時だけは中日戦以外の中継を 拝むことができる。

 この日、ドラゴンズはデーゲームであったため、在名各ラジオ局は 夕方までに全精力を使い果たしていた。つまり夜は適当だった。 「好きだったらてきとーに見ろや聴けや。ドラゴンズ負けちゃったし、 とっととニュース原稿作ってさっくり帰って寝るわ」と言わんばかりに 東京ドーム阪神巨人戦を垂れ流していた。惰性である。

 それは聴く方も一緒であり、「ああ阪神巨人かぁ」といった怠惰な 姿勢でラジオを付けっぱなしにしていた。目は完全にパソコンの ディスプレイに奪われていた。ってそれは私だけど。

 本当ならばラジオなんか聞く耳持たず、ひたすらキーを叩くだけ、 だったのだが。思いもよらぬところに、私の集中力を著しく欠く敵が 現われたのである。

 その日の中継はTBSがキー局で、全国ネットされていた。 TBSと言えば。そうだ、あいつだ。あいつが現れやがったのだ。

 「打った〜!!!!ライトへの大きなフライ!!!入るか入るか 入るか!!!ライト楽々とキャッチ2アウト〜!!!」

 大きな声さえ出せば何を言っても許されると思いこんでいる 「脳味噌スピーカー」アナウンサー、松下某である。なんでも 本名は松下賢次とか言うヤツらしいが、詳しいことまでは知らん。 ていうか知りたくもない。

 こやつは自己紹介の時、常に「世界の」という枕詞を乗せる ことで有名な輩でもあるが、「世界一のバカ野郎アナウンサー」 という意味でだったら誰もが否定しないであろうと思われるので、 本稿ではこやつを「世界の松下」と称することにする。

 で、この世界の松下。とにかくうるさい。とにかく叫ぶ。 ストライクだの四球だのヒットだのアウトだのセーフだの よよいのよいだの。

 しかもどうやら当の本人にとっては「叫ぶのが仕事」という意識が 強すぎるらしく、肝心の野球の経過がどうなってるのか、流し聞きでは 何がどうやってるのか全く理解できない。 横に座っているであろう解説者の「通訳」を通してかろうじて 状況を把握するのがやっとである。

 この世界の松下、あの歴史に残るアトランタオリンピックサッカー予選、 日本対ブラジルを実況した事でも有名、かもしれない。しかし、その中継で まき散らした余りの騒音に「音声消して見ていた方がわかりやすかった」という 意見が世論の圧倒的大多数を占めたという事実の方が遙かに有名なので、 世界の松下の中継を聞いていると必然的に「とうちゃん情けなくって 涙が出らぁ!」状態になってしまうのも悲しいことだが事実である。

 ま、そんなことはどうでもいいのだ。「うるせぇなこいつ。もうラジオ 切っちゃおうかな」と思った矢先のことだった。突然世界の松下が切れた。 激怒した。堪忍袋がビリビリに破れた。

 どうやら阪神の(当日5番)大豊選手がバントをしたらしい。 大豊選手は年に1、2回「サインも出てないのに勝手にバントする」奇襲作戦を やらかす事がある。とは言っても中日ファンからすれば別にたいして珍しい ことではない。「あ、またやりよったか。」程度のものである。

 しかしこの事を知らないとしか思えない世界の松下、火がついたように 叫び始めた。普通はこの表現、赤ん坊が泣くときに使うものだが、精神レベルは 赤ん坊と対して変わらないと思われるのでこのまま流用させて頂く。

「なんてことをするんだぁ!大豊!」吠える世界の松下。 「5番打者がバントなんてするのか!!」絶叫する世界の松下。 「これが仮にもプロの野球選手がすることなのか!恥を知れ!」 あらん限りの声でわめき散らす世界の松下。

「お客さんは大豊のバントが見たくて球場に来てるんじゃない! ホームランが見たくて来てるんだ!客を裏切る、そんな情けない 野球をやるのはやめてくれ!」精神論まで持ち出して罵倒に 罵倒を重ねる世界の松下。

 確かラジオのボリュームは小さめにしたはずだが、お構いなく 世界の松下は叫び続けるため、音が割れて聞こえる。お前は 北朝鮮のスパイ放送か。アナウンサーのくせにハウリング 起こしまくって、全然音が聞き取れなくなる。お前は マイクとマイク近づけてキャッキャ喜んでる近所のガキか。

 あほらしくなって風呂に入りに行ってしまったので、 この後世界の松下がどんな低知能なアナウンスをしたのかは 知る由もない。

 ひとっ風呂浴びて、麦茶片手に部屋に戻ってくると、 野球の方はその裏の巨人の攻撃に移っていた。どうやら その後、阪神が1点をもぎ取ることに成功したらしい。

 カキーン。お、どうやら巨人の選手がヒットを放ったようだ。 途端に世界の松下、喜々として叫び始めた。

「どうだぁ!これがプロの野球というモノだぁ! セコい技に逃げない、正々堂々とした男の勝負だぁ! これこそがお客さんが待っているものだ!!! さぁ見せてやれ〜!!!!!!」

 即座にラジオの電源を切った。

 今回は勉強させてもらったよ、世界の松下。君の実況を 聞いてよくわかった。

 これは認めたくないことではあるが、君の芸風と私の芸風は 残念ながらよく似ていると言わざるを得ない。 君も私も、まず感情が先に出るタイプだ。手より先に口が出る性分だ。

 しかし世の中には「人の振りみて我が振り直す」という言葉がある。 今日、私は君からひとつ、大きな事を学ぶ事ができた。

 よってここに感謝させて頂く。ありがとう世界の松下。 永遠なれ世界の松下。

 語尾に「!」つけないと伝わらない言葉なんぞ、所詮その程度の ものなのである。ぎくっ。


 ちょっとした気分転換も兼ねて、 真剣に「雑文館」パクらせて頂きました。 はっきり言う。しんどい。いつもの3倍以上の時間かかってしまいました。 これであれだけの分量と質を誇る「雑文館」、やっぱりタダ者じゃありませんよ。 でもたまにはこうゆう違った文面に玉砕覚悟でチャレンジしてみるのも 面白いもんですね。


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