PC-UNIXがもたらす淘汰


 去年当たりからパソコン界ではLinux、FreeBSDといった単語が 大空をびゅんびゅん飛びまわってます。トキオは空を飛ぶ〜。 ん、歳がバレる。

 知らない方のために一応説明。UNIXはWindows95やMacOSなどと 同様、コンピュータを動かすための基本ソフト(OS)です。ワープロだの 表計算だの、実際にわてらが使うアプリとコンピュータとの間に 存在する橋渡しソフトとでも思ってくれぇ。

 んで、なんでPC-UNIXが今こんなにもてはやされてるかってと、 「OSなのにタダ」「タダなのにそこらのOSより安定してる」 ってこと。それで今ユーザからベンダから右や左やの大騒ぎに なってるってのが現在の状況。

 以上めっちゃ乱暴なPC-UNIXの説明、終わり。興味あったら てきとーに本なりWebなり漁ってくれぇ。

 以上。

 終わってどうすんだよ。こっからだろ話は。

 ちなみに私、実はまだPC-UNIXバージン(あるんかそんな言葉)なんですよねぇ。 触っておかなきゃなぁ等と思いつつもいまだ触ってません。 という訳で(今のところ)門外漢の私がでっち上げてみるPC-UNIX進化論もどき。

 いきなりなんですけど私、いわゆるアプリを作ったり売ったり 直したり、といったいわゆるソフトウェア産業、今後衰退していく んだろうな、と予測してます。

 ってそこで「来年マイクロソフト潰れる」とかに話持ってくんじゃ ねぇぞ、そこの早とちりな御方。20年、50年、もしくはそれ以上の 長いスパンで見てってこと。

 もちろんコンピュータなりパソコンなりは手を変え品を変え、 残ってはいくと思うんですけど、それに対する「作り手の必要性」は 今後消え失せていくんじゃないかな、と思って。

 かつてはコンピュータも専門的な知識、経験を持ったプロじゃないと できなかった仕事でした。だからこそ知識、経験に付加価値が 付いて商売にすることができた。だけど、今はそこそこパソコン触ってれば 使う分に関しては大抵プロの手借りることもないでしょ。必要最低限の ハード代、ソフト代、資料代程度で済んじゃう。昔に比べれば 確実に食い扶持は減っているような気がします。

 この前提に対して「今はパソコン儲かってるじゃんか」という 意見もあると思うんですけど、なんとなく「今だけ」って雰囲気が するんですよね。少なくともパソコン=エンドユーザ向けの商売として考えるならね。

 今後はこれがますます加速して、どんどん食い扶持減って いくんじゃないかな、と思ってて。漠然とだけどね。 技術の進歩で使うのも作るのもずっと簡単になっちゃって。 今までプロがやってたことをパートのおばちゃんが世間話しながら こなし、かつてプロと呼ばれていた人は知識を持て余したまま 職にあぶれちゃう。案外、そう遠くない将来にはこうゆう状況が 訪れるのかもしれません。

 さて、なぜこんな話をしたのか。というのも、やっぱり PC-UNIXって確実に食い扶持を無くす要素を多大に持ってるんですよ。

 まず根本的に、今までOSってのは一般的なユーザや開発者 にとっては聖域でした。こんな難しいものトーシロに触れる 訳が無い。ましてや作れる訳が無い。 だから既にあるものをありがたく頂戴して使って いくしかない。この大前提があったからこそマイクロソフトや アップルが大手振って商売できた、と。

 でも、PC-UNIXはその安楽の地に土足で上がり込んで 荒らしまくって草一本生えない状態にまでしてしまいます。 そりゃそうだ、価格タダ。しかもオープンソースだからやろうと 思えばこれ参考にして勝手にOS拡張できちゃう。従来の ブラックボックス化されたOSじゃ考えられないこと。

 現にサーバひとつ取ってみても既に「高いクセに訳わからん NTなんか使うよりもLinux使ったほうがいいもんね〜」という 声の多いこと多いこと。OS持ってれば金は入ってくる、という 図式が音立てて崩れ始めてるいい証拠です。もし、このまま PC-UNIXが突っ走るようなことになれば・・・もう言わずも がなですな。まぁもっとも現時点では「金出せばいいもん 買える」と思い込んでる石頭が会社とかいう所にごろごろ してますからなんとも言えませんけど。

 で、この動きが他のソフトウェアさまざまな分野に波及 する可能性、すごく高いと思うんですよ。

 たとえばLinuxベースでそこそこ動くワープロがフリーで 出たとします(もうあるのかな?)。それがいい、と ユーザが気付いちゃったら、誰もMS-WORDなんて 買わなくなりますわね。もともとWORDなんて金出して買う 価値の無いソフトだから比較として出すのはまずいかもしんないけど。

 重要なのはソフトの善し悪しを決める要素から「金額」が すっぽりと抜け落ちてしまうってことなんです。使えない 有料ソフトより使えるフリーソフト。金出す立場のエンド ユーザだったら誰だってこう思うでしょ。命の次に大事な 金張ってんだもん。

 でもこうなると今までのやり方で金稼いでた立場にとっては たまったもんじゃないだろうね。現に私の会社だってそうだと 思うよ。場合によっては今の不況なんか比べ物にならないレベルでの 「淘汰」が始まる。

 仮にPC-UNIXが普及しちゃったとしましょ。まず「PC-UNIX? あんなタダ配りOSなんぞ安心できるか」などとほざいてる会社が 真っ先に潰れる、次にこの動きについていけなくて、ユーザの ニーズに応えられなくなるような会社も潰れる。

 とここまではいろんな所で言われてます。でも私、そっから さらにほけ〜と考えちゃうんですよね。上がりに上がった品質に 誰も追いつけなくなるんじゃないかなって。そしてそのまま 業界ごと淘汰されちゃうんじゃないかなって。

 スペシャリストの手を借りることなく、ユーザが一人で 完結できてしまう。ソフトウェアに「金を払う」必要も感覚も 無くなる。ごく少数の本当のスペシャリスト以外のプログラマ、 SEはすべてクビになり、コンピュータそのもので飯を食う 人間が激減する。そん時が来たら私も別の食い扶持を探さなきゃ いけないんだろうな。生きていれば。

 そんなことを想像してしまいます。所詮根拠ないただの妄想かも しれないけどね。逆を言うと、PC-UNIXが本気で成長したら、 今の産業構造ごと根本からぶっ壊れてしまいそうな可能性を秘めている ような気がするんですよ。PC-UNIXに対する極端な神性化に 対する懸念はありますが、私はPC-UNIXにはこれら吹き飛ばす 爆発力はあるような気がしてます。

 もちろんこの動きに眉潜める人もいればもろ手を挙げて喜ぶ人も いると思います。PC-UNIXをもっといいものにしようと目論む人が いる一方で、PC-UNIXを今の内に潰そうと企む人もいる(言葉 悪いけどね)。当分の間は この二者間で、熾烈な綱引きが展開されるんじゃないでしょうか。

 でも、結局はなるようにしかならないんじゃ ないですかね?「いいものが最後には残る」という大原則に 従えば、ね。


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