学校は万能じゃない
最近、朝日新聞では盛んに「学校崩壊」をテーマに特集が組まれています。
めんどくさいんでイチイチ記事の転載もしませんけど、 要は授業中だろうがなんだろうが、生徒が先生の言うことを無視して 好き勝手な行動を取るため、授業が成立しなくなっていると。 無断欠席・遅刻・早退当たり前。先生が注意すると逆に生徒に ボコにされると。こんな状況が淡々と(?)語られています。
う〜ん、実は現実味のない記事なんだよな、私にとっては。 現実に学校でこうゆう状況が起こっている、としても、 自分が学校行ってた時の状況と180度違う光景に、 正直自分の体験をダブらせることができないんですよ。 イメージがわかない。
私の学生時代ってのは管理教育の全盛時代。 なにせ自分が生徒の立場だった時には先生に逆らうことは 「死」を意味していましたからね。精神面でも 肉体面でも。生徒全員の目の前で頭髪にハサミ入れられる風景、 無抵抗の生徒が殴られ続ける風景、何度か目撃してきましたし。 わずか10年足らずでここまで変わるんだなぁと思って。
ただその時でも「こうゆうやり方してるといつか潰れるな」とは 思ってました。今、こうゆう学級崩壊の記事眺めていると 当時の考え方、少しは当たってたんだな、というのを感じたりしてます。
なんで学校崩壊という現象が起こっちゃったのか、議論は尽きない と思います。現場の指導力の低下、生徒の忍耐力の低下、 個人の能力に即してない学習カリキュラム、現場と上層部の意識の ズレ、死にかけのジジイのエゴ。それぞれの側面からいろんな 考え方できると思うし、それぞれの結論は出てくるんでしょう。
でも、やっぱり根本的な部分での「ズレ」ってのが修正できて いないような気がするんだよな。昔も今も。
なんだかんだ言われてるけど、結局未だに「学校=聖域」って 考え方ってのがはこびってるような気がする。学校が何でも 引き受けてくれる万能教育機関だって思い込みね。
生徒は学校で勉強、生活習慣、常識その他いろんなことを 学ばなきゃいけません。だから学校は何がなんでもこれらを 生徒に叩き込まなければなりません。
こんな発想が学校側もその周りも骨の髄まで染み込んじゃってるから、 何かあるとすぐ学校に頼る。そのくせ不都合は学校に責任押し付ける。
学校なんかにそんな万能な能力は存在しない、ってなぜいいかげん 気が付かないのかね?学校なんてイザというときには何の役にも 立ちませんってなぜ言えないんかね?気付いても言っちゃダメな訳?
今起こってる様々な議論見てても、「学校はすべての問題を解決 できる場所でなければなりません」ってのがどうしても前提条件に ちらついてくる。だから現実離れした解決策しか出てこないし、 蚊帳の外でわぁわぁ言ってる間にも状況はますます悪化してくんよ。
いい加減「学校は解決なんかしてくれない」ってのを認識せぇよ。 そっから「この部分は学校には解決する能力がありません」ってのを 掘り下げていって、んじゃどうするかってのを考える。 その結果、学校を解決の選択肢から外すことになっても 全然構わないんじゃないの?
役立たずに仕事おしつけても全く片付かないのと一緒。 学校は病院でも警察でもないんだから。餅は餅屋に任せても いいと思うんだけどね。そんなに過激かね?この意見。
学校が歪んでいます。わかってます。社会も歪んでます。わかってます。 所詮は現実と折り合いつけて、それでもどこか壊して進んでいかなきゃ いけません。
でも、社会は壊してよくっても学校は壊したらいけないってどうゆうこと なんですかね?「学校を守れ」の主張、私にはこうとしか聞こえないんですけど。
学校は社会の中の一部じゃないんですか?
ねぇどうなんですか?ねぇ?