寄り道回り道。


 「文章書くの得意?」

 どきーん!なんだその妙に胸に刺さる質問は!って別に驚くことじゃ ないんですけどね。

 雑談がてら、簡単な心理テストの話になって、手の組み方なり 足の組み方なりを組み合わせて考えると、私はそうゆうことに なるらしいんです。

 「う〜ん・・・・苦手ではないですけど・・・得意でもないですねぇ」

 こう答える私。

 なんでも私は、情報は絵でイメージされたのを受け取り、言語で それを外に出すタイプなんだそうです。その心理テストによれば。 根拠全然わかんねぇんだけどね。

 「んじゃ文章書くの好き?」

 またよりによって返答に窮する設問だなぁそれ。

 「う〜ん・・・好きでもないし嫌いでも・・・ないっすねぇ」

 そっか、って感じでその後雑談が続いた訳なんですが。

 「文章が好きかキライか」と問われても、実はまったく 答出せないんですよね。言ってしまえば好きでも キライでもない、ってのが答えになっちゃう。こうやって雑文 乗っけて自己満足に浸っている割にはね。

 確かに、自分の頭の中にあるのを絵で表わすのはムチャクチャ 苦手。それは当たってると思う。これやる位なら文章でやった方が 千倍ラクだってのも当たってる。

 でも、じゃあ文章が一番ラクかっていうと、言い切れる自信は無い。 自分は文章の人間だ、と言い切れる確証もどこにもない。

 ていうかさ、わずかこのWeb作ってたった1年半で「文章だな」なんて 確信持てる訳がないじゃん。これだって所詮は猿の真似事に過ぎない 訳だしさ。現にある意味自分の限界感じてる面もあるし、一生続けていく 自信なんて微塵もないよ。

 実際にさ、「自分はこれだ!」と言い切れる人なんて日本に何人いるか、 という世界になっちゃうんじゃない?ほとんどの人はこれだと言えるものを 探すために試行錯誤を繰り返してるんだと思うけどな。

 さて、なんでこんな話をしたか、ということなんですけど。

 やっぱり見る側にしたらあれやこれや詰め込んだ幕の内弁当タイプの Webよりも味一本勝負の専門特化Webの方が受けがいい、という話は 前にもしましたが、実際作る側にしたら、 実は正直しんどい部分もあるんですよね。

 というのも、やっぱり人間ですから「飽きる」「息詰まる」 「マンネリに感じる」というのを感じてしまう。

 もうこれはどうしようもないことでしょう。宿命的な ものと言ってもいいと思います。

 そうゆう時に作り手はどうこの閉塞感を打破していくか、という ことになるんですが。

 使い古しの精神論持ち出すんなら「弱音吐くな!これと決めたなら 突き進め!」っていう解決策にも何にもなってないタコ発言で片付いて たんだろうけどな。現に今の社会のアイデンティテイーも 「止まることを許さない」ことによって成り立ってる訳だし。

 でもなぁ。止まらず突き進んでそのまま崖から万歳三唱しつつ 飛び降りました、じゃなんの意味もないんよ、やっぱり。

 自分が文章書くの息詰まって、それでも文章に固執し続けた所で 自分も面白くないだろうし、読むほうも面白くないでしょ。 こんなの火見るより明らか。

 そんな中ひとつのことだけ見続けても何の効果もないんだよね。 だって、その見据えてるものが本当に自分に必要なものかすら わっかんねぇんだもん。簡単にわかってたまるか。

 だから「飽きたからしばらく別のことやろ」とか「しばらく気分転換に こっちで遊ぼ」とかって、思いっきり正当な理由なんじゃないかな、って 最近思います。

 いろんなものいじくって遊んで、長所短所見極めて比較して。 その結果そっちがよければそのまま突っ走ってもいいし、元の位置に 戻ってきてもいいんだし。

 寄り道したって、それで得るものがあればOKなんじゃないです?

 時にはのんびり道草しましょうや。


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