抗議の理由


 ぎゃははははははは。

 いや、失礼。久々に新聞記事読んでひっくり返ってしまいました。

 まぁまずは記事をご覧くださいな。細かいツッコミはそれから。

 男性背広なのに女性はビキニ

 「人権」冊子 セクハラ批判

 東京弁護士会製作 市民団体が抗議

 東京弁護士会が、世界人権宣言の採択50周年として 中高生向けに漫画の啓発冊子を作った。ところが、登場する男性が全て 背広姿なのに、女性主人公が水着のような衣装で登場していること などに対して、東京の市民団体が「女性べっ視のセクシャルハラスメント」と 批判。啓発活動に使うのを見合わせ、「弁護士の人権感覚を疑う」という 抗議文を付けて冊子を送り返すとともに、配布の中止や回収を求めている。

 漫画冊子は「ブルー スカイ アゲイン」と題したA5版22ページ。 ビキニの水着に腰飾りのような衣装をまとった女性主人公「やよい」と、 人権宣言を使いこなす特別の能力を持った男性主人公「宣男」が 協力して世界人権宣言や六法全書を使い、巨大な怪物「シンガイ」と 闘って勝利する物語だ。

 欄外に世界人権宣言の簡単な解説をつけたほか、巻末に宣言の全文を掲載。

 東京弁護士会の世界人権宣言50周年記念行事実行本部がストーリー を考え、それをもとに漫画家が描いたという。

 東京・弾地区の小学校や公民館で子供達の人権を守る相談や啓発活動をしている ボランティア団体「子どもひろば」の高橋真佐美代表らは、新聞の告知欄で 冊子の無料配布を知った。学習資料として取り寄せたところ、「なぜ、 人権の本なのにボインでパンツか」「人権を守るのは一人ひとりなのに、正義の味方に 頼る物語の筋はおかしい」といった批判や疑問が相次いだ。

 これに対し、弁護士側は3月下旬、実行本部長の土生照子弁護氏士名で 返書を送り「中高生にはこの宣言がなじみの薄いものであるとの現実を踏まえ、 その存在だけでもしってもらおうとの気持ちから製作した」と説明。 劇画手法やページ数の制限などで「意図が十分に伝わらなかったかもしれない」 と反省した上で、「貴重なご意見をたまわった」としている。だが、セクハラ などの指摘については「そうゆう考え方もあることを知った」(脇田康司副会長) とし、冊子の回収などは「現時点では検討していない」という。

 発想自体が侮辱

 性差別問題に取り組んできた角田由紀子弁護士(静岡県弁護士会)の話

 内容を見てあきれた。視覚的な女性べっ視だけではない。性暴力の告発にせよ、 一部の英雄だけではなく、たくさんの「普通の人々」が世界の隅々で闘い続けてきた 結果であることを理解しているのだろうか。若者には漫画を、大衆には難しいことが わからないという発想自体が侮辱だと思う。弁護士は難しい大事なことを、 わかりやすく的確に表現する能力を磨くべきだ。発行前に弁護士内部から 異論や批判が出なかったことは残念だ。ただちに回収すべきだ。

(朝日新聞 1999/04/10夕刊より)

 まぁ、細かい所でも大きな所でもツッコミいっぱい入れられるんだけど、 まずはネタかぶりを覚悟で小ネタツッコミ。

 まずさぁ、なんじゃその物語は?人権宣言を使いこなす特別の能力? 巨大な怪物「シンガイ」?世界人権宣言や六法全書を駆使するの? なんつー物語じゃ(笑)。

 どうゆう表現技法使おうが勝手なんですけどね、ありとあらゆる漫画 読み尽くしてる中高生に同じ手法で伝えようと思っても「おもろない」 の一言で捨てられるんがオチじゃないのか?「漫画=子供が読んでくれる」 つう発想はもう過去のような気がするのだが。

 まぁここまで聞いて別の意味で読みたくなったのが正直なところ。

 作る方も作る方なら、文句言うのも文句言う方。

 まだ生きてたかぁボイン。死語になったんじゃないのかボイン。 つぅか新聞に出てくるから死語なのか。この言葉に限っては 記事書いた人の意訳入ってないんだろうなぁ。 そのままの言葉がそのまま記事になったんだろうなぁ。

 爆笑。

 この2者だけでも十分に笑わせよるのに記事書いた人のバカ振り、 もとい、ユーモアセンスも加わるから更に始末悪い。

 『「ビキニの水着に腰飾りのような衣装をまとった女性主人公「やよい」と、 人権宣言を使いこなす特別の能力を持った男性主人公「宣男」』 という表現もなんだかなぁ。これ、記事に対するツッコミね。 この「やよい」って人物の特徴ってやっぱり風貌のみなの? 物語の中で役割あるんじゃないの?記事を「読ませる」意味では いいテクニックだと思うけど、それわかっちゃうとかなりあざとく見えるよ。

 こうゆうのって、まず記者が要約して書いてるに決まってるしね。 記事強調する余りにどっか歪曲してるような印象を受けるなぁ。

 ま、筋違いのモノを作る作者、さらに筋違いな 抗議をする団体、その上それを歪曲して伝える新聞、まさに三本の矢 重なってこその笑いですね。 がんばれサンフレッチェ。拍手拍手。

 ・・・・え?いいのかそんな事言ってって?そうやって茶化してると 痛い目見るって?

 確かにこうゆうこと言ってるだけだったらいつかボコにされるん だろうね。んじゃちょっと掘り下げますか。こっからギャグ頻度減るよ。

 私今回、この女性描写の表現以前のところでちょっとムカついてるんよ。

 この記事読んで思ったんだけど、もはやこの手のやつって、 読み手にとしては「こんなバカなことやってる ヤツがいるのか」って思う人よりも「こんなバカなことにこんなバカな 抗議やってんのか」と思ってる人の方が多いような気さえするんよ。

 これ、どうゆうことかわかる?

 従来だったらこれ、冊子作った弁護士会の方が一方的に叩かれて おしまいだったと思うんだ。つまりどこかがが常識外れな行動取って それを他方が罵倒する、という図式ね。

 ところが。ここんところの関連記事とか眺めてると 「両方バカ」に映ってみえるんだよ。もっと言えば抗議する側の方が バカに見えることすら多々存在する。

 確かに抗議することそのものは必要なことだよ。

 でもさ、こうゆうの見てるとどうしても重箱つつきにしか見えない んよ。木を見て森を見ずの浅く狭い議論になっちゃってる。

 上の記事で当てはめて考えてみようか。

 この冊子そのものが扱ってる題材ってのはあくまで人権関係 なんでしょ?ボインの姉ちゃん(死語)小学生に見せて 喜ばせたい訳じゃないでしょ?

 んじゃまずこの題材は世に出していいものなのか、その上でこの演出は 良しか否か、そうゆう考えをしてくのが普通なんじゃない? 本来ならその冊子が存在することの意義がまず思考のベースに あるはずでしょ。

 でも違うんだよね。「女性がビキニ=女性べっ視表現=抗議」、 この図式しか見えてこない。存在自体が悪って考え方。

 10−1=9、という考え方を真っ向から否定してる感すらあるんだよな。 「−1の要素があるから」という理由でこれ自体を0とみなしてる。 (まぁ現実には、今回のこの冊子が「作品として」位置づけられるかってのは 甚だ疑問だけどね。10どころか1もないレベルのもんかもしれないし)

 まずい表現がいっこあるだけで作品すべての存在意義を 認めない近視眼。何の進化もしてねえじゃねぇか。 過去の数々の童話や小説や映画がくっだらない抗議のために封印された 事実があっただろ!そこからちったぁ何か学べよ!裸体に条件反射 植え付けられたサルかお前ら!

 ちょっと叫びすぎましたか。

 一見こうゆう抗議ってすごく強大に見えそうだけど、ちょっと離れてみると ホント説得力ないよ。要はサル山のサルどもが自分の縄張りでキーキー 叫んでるだけ。うるさいだけで耳傾ける必要すら感じなくなっちゃう。

 たとえ言ってることが正しくてもこんなヒステリックなやり方されると、 同意する気失せて「うっせぇなあ」「こいつらに関わりたくないなあ」と いった感情の方が先に出てくるよ。現に上の暴言、こうゆう感情滲み出てる のわかるでしょ?

 こんな思われ方するのは抗議する側にとっても本意じゃないでしょ。

 今回のやつでも「感情に頼らず理論だけで相手叩きのめす」ことは 十分に可能だと思うんよ。感情は感情で必要な要素だとは思うけど、 それだけじゃあ相手を説き伏せる前に逃げられちゃうのがオチ。

 さんざ文句書かせてもらったけど、結局言いたいことは極めてシンプル。

 抗議するんだったら抗議するだけの材料を用意せぇ。 んでもって「抗議する理由」を納得させてくれ。話はそれからだ。

 果たして自分にそれを言える資格があるか、自問自答しつつ以上。


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