それは夕立のように


 それはいつもいきなりやってくる。「やってくるかやってくるか」と身構えている 内は決して姿を見せない。もう二度と来ないであろう、そんな時に限って奴は 現われる。

 今までもそうだった。

 中学校の卒業証書授与式、略して卒業式。別に略ってことでもないか。

 愛知県の公立中学、ましてやその中でも新設校だったということもあり、 比較的規律は厳しかったと記憶している。それでも高校の厳しさに比べれば竹槍と 核ミサイル位の差があったが。そのためか、たかが紙切れ一枚 もらうためだけに、約1ヶ月もの間、毎日毎日「卒業式の練習」をさせられた。

 今考えたらよくもまぁ高校受験の真っ只中こんなくだらないことに 時間を費やせたもんだなと逆に感心したりするものだが、当時は、いや今も、 そこまで頭が回らないので素直に卒業式の練習に従っていた。 起立、礼。前30度に3秒間礼をし、膝を落とすように着席する。 これを何十回と生徒全員が揃うまで繰り返すのである。 誰かが間違えると先生の罵倒が飛び交い、揃うと誉められる。やっぱり どう考えても馬鹿。

 その甲斐あってか、そんな甲斐あっても嬉しくないが、ほぼ百発百中で 全員の起立礼着席が揃うようになり、迎えた晴れの卒業式本番当日。

 式は淡々と進行していた。証書の授与、校歌斉唱、来賓挨拶、送辞答辞 と進み、最後の閉会の「一同礼」を迎えた。前日教師に「ここで間違えたら 殺すぞ」とまで言われた最重要ポイントである。

 「これにて卒業証書授与式を終わります。一同起立。礼。着席。」

 見事に全員の呼吸が見事に調和した礼が披露される、はずだった。

 約1名。起立もせず礼もせず、座り続けてる男がいた。よりによって 男は卒業生席の最後列にいたため、その背後にいる父兄、先生から はなおさらその光景は異常に見えた。

 何だ、何が起こったんだ。管理教育を暗に批判した最初で最後の抵抗か。 父兄席がざわつく。先生の視線が集中する。

 しかしどうも様子がおかしい。上半身がかすかに揺れている。首から頭が こっくりこっくりとリズムを刻んでいる。事態を察した生徒が、つんつんと横腹を 突っつく。

 「・・・・・んへ?・・・・」

 寝てやがったのである。よりによってこの時この場所この状況で。 状況を察したのか、男はびっしょりと汗をかき始めた。寝汗と冷汗。

 卒業生退場。父兄の拍手に見送られながら、ハンカチで目頭を抑える女子学生、 涙をこらえながら退場する男子学生に交じって、「あんた一人夕立でも浴びた?」 とツッコミたくなる大量の汗をハンカチで拭いながら退場する男の姿があった。 教師とすれ違いざまに小声で「お前後でちょっと職員室来い」と言われたが 速攻でバックれた。

 いやぁ、今となってはいい思い出だねぇ。俺かい。

 この類の失敗を今までに何度もやらかしている。通常では考えられない シチュエーションで、極端な眠気に襲われ、そのまま寝てしまう。

 赤点取ると冬休み返上が決定する期末テストの真っ最中。大学試験の真っ最中。 会社訪問における社長挨拶中。入社初日、研修中に上司の目の前で。 いずれも一回は確実に居眠りしている。

 少し弁解させて頂くが、こうゆう時の居眠りは、普通の居眠りとは 明らかに違う点がある。

 寝てしまう本人も「今寝たら一巻の終わり」ということは重々承知している。 現に社会人になってからも幾度となく居眠りはしているのだが、大抵は 事前に「あ、ヤバい」というサインが体の中で響き渡る。 そうゆう時は大抵、前日1時間しか眠れず、眠くて、眠くて、しょうがない。 もしくは春も夏も一年中通してあけぼの状態で、眠っても、眠っても、まだ眠い。 あくまで体が睡眠を欲しているのであり、そこには歴然とした理由がある。

 しかし、卒業式の時は違う。大学受験の時も違う。今思い起こしてみても 「眠い」という予兆がない。気が付けば眠りにつき、気が付けば 目を覚まし、気が付けば寝汗と冷汗をかいている。無自覚の内に 一人夕立状態になっている。

 特に社会人になった時には、それまでの生活リズムの変化からか、 この突然睡眠が頻発した。 さすがに恐くなって調べてみた。そしてこんなのを見つけた。

<ナルコレプシー>
どのくらい寝たかに関わらず、日中に短い眠気が 何度でも襲ってくる症状。運転・食事・立っている間など通常では 起こりにくい状況下でも眠気を感じる。筋肉が弱まり、 起きている間に一時的な麻痺(カタプレクシー)を感じたり、鮮明で 恐ろしい幻覚を見る。入眠後10分程度でレム睡眠に入り、まだ 意識がある状態で鮮明な夢を見る。不眠、頻繁な目覚め、うつ病を伴う こともあり、しばしば遺伝する。
(「ぐっすり眠りたい人の快眠法」(C.インランダー・C.モラーン著:香山リカ監修:アスペクト刊)より引用、一部藤原加筆)

 これを見つけた時にはさすがに背筋が凍った。確かに いつの間にか寝てる時は、事前緊張してることがほとんどだ。 よく考えれば、いや、考えなくても、こんな状況で寝てしまうなんて どうかしている。

 一時は真剣に検査してもらおうか考えていたが、ここ最近に関しては 極度の緊張状態におかれることがめったにないのと、病院に行くのが めんどくさいのとでそのまま放置しており、結局自分が本当に ナルコレプシーであるかの確信は持てない。 ここら辺はやはり人間のクズなのか私は。

 というか、最近はもう「眠いんだから寝ちゃえばいいじゃん」と 開き直ることにしている。ナルコレプシーという単語を知ってからの約1ヶ月が まさにそうだったのだが、「今度いつ眠くなっちゃうんだろう」と怯えながら 日々生活するのは精神的によろしくない。非常に疲れる。 それに昼間に無理に寝ないでおこうと意識し過ぎてしまい、肝心の夜に 一睡もできなくなるという悪循環も引き起こしてしまった。

 眠いのは本能だ。眠るのは快楽だ。そう強く思い込むことが、 ナルコレプシーにせよ不眠症にせよ、自分の中での睡眠障害予防策になってると 思う。眠いんだから寝ちゃう。眠れないんだから寝ない。社会的道理だの 責任だのといった邪魔な概念は排除し、己の欲望だけを考える。

 こう考えると案外、気はラクになるから不思議なものだ。

 先日、今後の仕事のやり方を決める重要な会議の席、上司先輩勢揃いの 中で、派手に眠りこけてしまった。眠いという予兆は全く無かった。 ナルコレプシー型の睡眠である。上司にやんわりと起こされて、その時には 罪悪感と後悔が頭をよぎったが、その後一瞬、別の感情が芽生えた。

 全身寝汗と冷汗でびっしょりになっている。 体を起こすために、一度オフィスを出て、外の空気を吸いに行く。 ドアから屋外に出た瞬間、風がふわっと駆け抜ける。 体が冷える。汗が引いていく。夕立だっていつかやむ。

 爽快。

 寝ちゃったけど。上司の視線は冷たかったけど。

 そんなのも、ちょっとわるくない。


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