よそはよそ?
「うえ〜ん、かあちゃんかあちゃん、あれ買ってよ〜」
「うるさい!こないだも買って3日で壊したくせに何言ってんの!」
「だってだって〜」
「ダダこねてもムダ!帰るよ!」
「隣のたけし君も持ってるんだもん〜ボクも〜買ってよ買ってよ〜」
「ウチはウチよそはよそ!比べるもんじゃないの!」人間なら誰しも一度や二度はこのような罵声を浴びたことがあるんじゃ ないでしょうか。にしても最近こうゆうダダッ子見なくなったな。 たまにトイざらス行っても子供以上に親が嬉々としておもちゃ買ってるし。 そうゆう話じゃねぇっての。
「ウチはウチ、よそはよそ」。大人が子供叱るときの常套句ですが、 言葉だけ捉えれば一応正しい側面も持ってます。他人のことなんか 関係ない、自分がこれと思ったらそれを信じて実行せよ。ほら、ちょっと 言い方変えるだけで前向きな言葉になる。腹立つ程。
でもまぁそこまで前向きに使われる機会なんざまず訪れない のが現実でもありまして。大抵はせいぜいその場しのぎのために 出たってのがほとんどですな。だって便利だもん、この言葉。
前にもこんなことがありました。自社でのミーティングでの出来事。
「えっと、今までは外に行ってる人で、相手の会社がフレックスタイムを 採用している場合私たちもこれに合わせていいという方針でしたが、 この度これを改めて、相手の会社の勤務形態に関わらず原則9時〜6時の 出社時間を守ってください、ということになりました。」
え〜〜〜〜!!フレックス勤務者全員(俺含む)からブーイング。
なんでよ〜〜〜?現に派遣先のお偉いさんからも「うちのフレックスの やり方で合わせて頂いて結構です」ってお墨付きもらってんだぜ〜? ユーザさんにいいって言われてるのになんで今更9時ガチガチ出勤 しなきゃいけないのよ〜!!9時に会社着こうと思ったら最低15分早く 起きなきゃいけないやんか〜。朝眠いよ〜。本音。
これらの不満に対し、お答えはこうでした。
「お気持ちはわかります。ですが社内の人(=派遣に出ていない社員) は皆9時〜6時ということで仕事をしています。不公平感を無くす、 社内の規律を保つ上でも必要、というのが結論です。ま、よそはよそで さまざまな考え方があると思いますが、うちはうちですので。 どうぞよろしくお願いします。」
く〜〜。もともと雇用契約の中に9時6時ってのは明言されてるし、 どう理論的に立ち向かっても太刀打ちできないのがわかってるだけに なおさら感情的にむかつく〜。
つぅ訳でそれからと言うもの、毎日私は普段通りに9:15出勤、 つまり遅刻出勤しています。 理由は高蔵寺始発の電車で座って出勤したいという一点だけなんですけどね。 当然会社には9:00と偽ってます。わははは不良分子〜。喜ぶな。
さて、このフレックス談義と、冒頭の子供のダダ。なんか構図一緒だと 思いません?当然合わせて書いてるからってのもあるんですけど、 子供=社員、親=会社って感じで捉えてくれるとわかりやすいと思う。
結局はダダこねる側にすりゃ「だってよそはやってるじゃんか〜。 なんでウチでやってるのよ〜」つう比較基準。それ受ける側は 「他人は関係ない、ウチのやり方」の絶対基準なんですよね。
これ、どっちがいい悪いの問題じゃないのはわかるよね。むしろ バランス保つためにはどっちも重要な要素。比較ばっかりじゃ セルフコントロール失うのがオチだし、自分ばっかりじゃ、暴走の挙句 遠い世界に行っちゃう危険性大。
ただ、どっちがわかりやすいかの観点で見た場合、圧倒的に比較基準の 方が簡単なんだよね。だって感情だもん。一方の絶対基準の場合、どうしても 理性が先に来る傾向強いですから、なおさらとっつきやすい比較論を 優先しちゃう傾向ってあると思います。逆を言えば、いかに理性で 感情を押え込めるか、ってのが絶対基準にとってのテーマだと思う。
で、例えば上のフレックス禁止の説明、果たして感情を押え込む、 言い方変えりゃ丸め込むことはできたのでしょうか?
結論から言えば、逆効果だったと思います。かえって感情的な反発を 招いただけのような気がする。その意味では「よそはよそ、うちはうち」 の表現は蛇足。素直に社内での不公平感を強調するに留めておくべきでした。
結局「よそはよそ、うちはうち」って、比較することそのものを 無条件否定してるに過ぎないんだよね。現にわてら言われる側は 「比較する対象物」を普段から目にしてるだけに、それを認めない と言われたって納得できる訳がないんですよ(逆に普段から見てるが ために、悪い方向に引きずられていくってのもあるけどね)。
あと、これは最近考えるようになったんですけど、人間ってそうそう 絶対基準なんか持ち得ないんじゃないのかな?「ウチ給料安いよな〜」 「あそこはいいよな〜給料多くて休みあって」「でもこっちも一応は休みちゃんと あるし好きなことやってるし」「でもGW12連休は魅力だよな〜」 みたいなこと、誰だって考えるでしょ?私も考えるもん。つーかこんなこと ばっかり考えてるよ。いつも上見て下見て暮らしてる。もちろんそうゆう 感情切り離して判断する努力も必要性もあるだろうけど、完璧な達観なんか できっこねぇって。
だからこそ上から振ってきた絶対論はあたかも「つべこべいわんと 言う通りにせよ」って聞こえてきちゃう。それが理論的に正しいか 間違っているかの判断をする前に感情として上からの意見を否定しちゃう ってのがあると思う。
なーんかこう考えてみると、なんとなくだけど「なんで上の意見に 反発したくなるのか」ってのがぼんやり見えてきたような気がするな。
なんだかんだ言って、いろんな所で「不満」ってのはくすぶってる 訳じゃない。それをいかに理性側がコントロールしてるか、というより コントロールしようという考えそのものがあるのかどうか。
鬱積たまってドッカンときた時の反発力ってハンパじゃないんだけどね。
この辺、ちゃんと把握できてるんでしょうかね?「黙ってオレについてこい」 と自負してる皆さん?