ジベタリアンが街を徘徊
・・・へ?ジベタリアン?
何じゃこりゃ?ベジタリアンの誤植じゃねぇの?あ、これで合ってるの?
全然意味わかんねぇじゃん。どんな意味?ベジタリアンの肉を好む肉食人の 総称?すまん、つまんないわ。
正解は「駅とかコンビニとかで、地べたに座り込んでくっちゃべってる 若者の総称」、なんだそうです。なんでもかんでも名前付けちゃうのね。 ジベタリアンねぇ・・・センス悪いね。まぁいいか。
車の修理待ちをしている間に、中日新聞でこのジベタリアンを扱ってる 記事見つけたんですよね。記事の舞台はよりによって愛知県は春日井市。 無条件に読んでまったぞ。駅やコンビニの前で、 地べたで座りこんで時を過ごす若者と、それをよく思わない 駅員や警察、双方のコメントを紹介していました。
「地べたに座って行き交う人を眺めてるとなんか楽しい。 違う高校の子とかとも友達になれるし、有意義だよ」と語る地元の 女子高校生。
「往来の邪魔になるし正直言って迷惑。地べたに座る子に対して 周りのグループなども集まってくるので治安的にも不安」と語る 駅員やコンビニ店員。
駅とかでは既に自衛を始めていて、狭い通路や階段に水を撒き、 座れないようにしてるんだそうで。なるほどそれでか。 外は晴れてるのに地面が湿ってるのは。
これに対して、今までは実害がないということで静観していた 春日井市警が、要請を受け本腰を入れて駅前やコンビニでの 地べた座りの排除を開始。これまでに約30人を未成年喫煙や怠学で補導。 これはすぐに携帯を通じて若者にも伝わり、現在は落ち着いた状態になっている。
・・・・とまぁこんな感じの記事でした。記事引用できればよかった んだけどね。何分外で読んだもんでそこまではできなかったんよ。すまんね。
まぁ高蔵寺駅とかにもごろごろいますよ。 座り込んで堂々とタバコ吸ってる男子とか、パンツ丸出しで座り込んでる 女子とか。どうでもいいけど色気ないよなぁあそこまで堂々と見せられると。 もう少し見えそで見えないチラリズムを勉強せぇよ・・・そんな話じゃねぇっての。
私としては、まぁいいんじゃないすか?ってのが基本的な考え。
たまぁに幅の狭い階段にどっかと座って通行の邪魔になってるときとかは 後ろから蹴飛ばして階段下まで叩き落としたろかと殺意覚えたりすることも ありますが(注:本当にやったら傷害罪)、基本的には広い通路のやや端っこで、 ちょこんと座ってるのがほとんどだからね。 たいして邪魔にもならんし、意識しないと視界にも 入ってこないし(あと高蔵寺駅の場合、駅周辺にベンチが多いのでそっちに 人が流れるってのもある)。
タバコだの学校さぼるだの言ったのを注意した所で、本人達がそれに 悪意を持っていない以上どうにもならないことだしねぇ。今の所他人に 危害を加えている訳じゃなし、今の所は黙認でいいんではないでしょうか。 あ、ゴミだけはちゃんと持ち帰ってね。
つうのが単純なジベタリアンちゃん達に対する感想。なぜちゃん付けか。
でもねぇ、残念ながらこの世の中、そんなに甘くないってのも現実。 ある意味悲しいことかもしれないけど、周りの人とか、ケーサツとかにはね、 ジベタリアンって今かなりマークされてる存在だと思うよ。
というのも、同じくここ1、2年、バイクやクルマ改造して大音響で走り回ってる 頭にウジ湧いてる人が高蔵寺区内でも増えてまして、そやつらがたむろってるのが 同じように駅前とかコンビニ前なんですよね。で、傍目から見てると、そいつらが そのウジ湧いてる人なのかジベタリアンなのか、さっぱり区別つかない。 下手すりゃ両者が仲良くなって同化しちゃってることあるから なおさら始末悪いんよ。
ジベタリアンなら何の躊躇も必要ないんですけど、こいつらだと 冗談抜きでキックやらナイフやら飛んでくる可能性ある(実際、そうゆう事件 起こってる)もんだから、そうそう近づくことできないんです、正直。
恐いから店員やら住民やら駅員やらが通報する。警官飛んでくる。ジベタリアン& ウジ湧いてる人逃げる。この繰り返しが続いてる状況。
ジベタリアンから見れば「私ら座ってくっちゃべってるだけやん。何も悪い ことしてへんもん」つう言い訳はもっともだと思うし、本心だとは思うよ。 でも、傍目から見ると悪いけど一緒に見えちゃうもんな。現にジベタリアンが いることで、そうゆう人達が寄ってきちゃう、いわば虫寄せの蛍光燈の役割に なっちゃってるんよ。仮に私がウジ湧いてる人の立場だったらやっぱ ナンパしに行くと思うもん、ジベタリアンの女子の人を。 本人にしたら悪意は無いのに第三者から見れば悪意に見えちゃうから ややこしいんだよね。言ってしまえば「無自覚の悪意」か。
個人的には、こうやってジベタリアンってのが成り立つこと自体、まだまだ 日本って平和なんだなぁ、とか思います。深夜とかに女性が一人で とことこ当てもなく遊びにいって、五体満足で帰ってこれる可能性が (100%ではなくても)極めて高いんだもんね。 日本出たことない私が言っても説得力ないだろうけど、 そんでもやっぱり安全なんだなぁ、と。
ただ。それがいつまで続くんだろうか。そんな疑問も頭をよぎります。 一介のジベタリアンが事件の被害者や加害者になってしまわないか。 ならない、なんて保証どこにもないよね。今日にだって起こる可能性あるんだし。
ジベタリアンってこと自体、所詮は一過性のものなんだと思うんですよ。 これまでもそうでしたし、これからもそうなんでしょうし。ただ、ジベタリアン の現象が終わった原因が「単に飽きられた」のか、「恐くて表に出られなくなった」 のかでは、天と地の差があると思うんですけど。
この辺どうなんでしょうね。「そこに座ってて、身に危険感じたことってない?」 って、一度聞いてみたい気もする。
あ、でも仮に「ない」と答え返ってきたとしても、ほんとに恐怖感じてないのか、 恐怖覚えるべき出来事に気が付いていないだけなのかは、わかんないのかもしれない。
ひょっとしたら「何が恐いのか」の価値観すら変わってきてる、のかもしれないな。