「万人」の虚構


 ふと思うんですけど。

 この文章が通算で264本目の文章になる訳なんですが、この過去ぜーんぶの 文章にすべて賛同できるような人間って果たしているんでしょーか。

 いるんかなー。いねぇんだろーなー。

 つーか元ネタめちゃめちゃ古くねぇかそれ?書いたはいいけど、 誰が元ネタなのか全然思い出せやしねぇし。えーとえーと。 「わっかるかなーわっかんねぇだろうなー」つってた男の人。 えーと誰だったんだっけ。

 あ、主旨違う。それ以前にそのネタはもうモダチョキで使って しまってるではないか俺。じゃあ消せよ俺。

 そうじゃなくって。私が言いたいのは、一人の書いている文章 のすべてが正しい、すべてが間違いなんてこた、決してあり得ない んじゃないの、ってこと。

 ひとつの文章があったとしても、当然それに賛同する意見も あれば、反対する意見もある訳で。逆にみんながみんなぴしっと 同じ意見になるなんて気持ち悪いよなーと思ってしまいます。

 だから私は「これ読んでどう思おうがそんなもん知ったこっちゃないよ。 どう思うかは己で勝手に考えてね。」と突き放すことにしております。 メールで反論とか来たらそれに対して弁明することもありますが、 そこから議論起こそうとかそんな考えさらさら持っちゃいませんしね。 弁明から起こる再反論に関しては一切無視してますし。

 結局人の考えることなんてそれぞれなんだし、そのそれぞれの 意見に対していちいち反論するなんて疲れるだけだし。 いいんですよ、自分の現在位置さえちゃんと把握できてしまえば。 自分の意見が総スカン食らおうが、つるしあげの材料にでも使って くれればそれでいいや、と完全に割り切ってます。

 さて、なんでこんな前フリをしたかなんですが。

 別にこうゆう「価値観の違い」ってのはこうゆう堅っ苦しい 主張だの論点だのに限った話じゃないんですよね。

 Web作りだってそう。バナー一枚がガマンできない私のような 人間がいる一方で、ごてごてに絵が貼り付けられて、アニメが ぐいぐい動くようなWebが好きな人だっている。レイアウトなんて 無駄と考える私のような人がいる一方で、レイアウトにこだわらない Webなんて見る価値無いと思う人もいる。

 こう書くと、なんか改めて世間と自分の距離感を実感させられた ような気がするのですがまぁそれはおいといて。

 結局、ありとあらゆる面ですべての人に受けよう、すべての人 に喜んでもらおうなんてこたありえないんじゃないの?つーのが あるんですよ。

 現に作ってる人も、それぞれに「自分の好み」つーのがあって、 それにそって自分のブックマークなりお気に入りなりに追加して いってるでしょ?このお気に入りが、全員一致します、なんて こた絶対にありえないはずでしょ?

 現に読み手は純粋にかつわがままに「自分のすきなもの」を 勝手に取捨選択してるんですから。その時点で「万人に」なんて こた通用しないような気がするんですよね。

 だからこのことをちーっとも理解していないバカ企業とかは ありもしねぇ「万人」にこだわり続けて無味乾燥なWeb作って 大失敗するなんてことを繰り返してるのが現実じゃないですか。

 より多くの人に、とこだわる余りに自分のページを必要と してくれている人の存在を忘れ去る。自分のシッポ追いかけ 続けて気絶するサルかあんたは。

 モノを作る以上、意識無意識を問わず、「読者の切り捨て」は 冷酷に行われてるんですよね。レイアウトに凝れば、これがキライな 人は寄りつきもしない。画像排除すれば、画像見たい人の目には入らない。 これが現実でしょ?

 逆に切り捨てを恐れて、Webの主張を放棄すれば・・・。 どこぞのバカ企業Webと同じ運命を辿るのは目に見えてますわ。

 じゃあ作り手として必要なことは何か。「読み手の欲求を いかにWebに反映させていくか」。面白くもなんともねぇ 結論だけどさ、結局はここに行き着くんじゃないですかね?

 「より多くの人に」ってよく言われる詭弁だけどさ。私は 逆に考えるな、やっぱ。999人にそっぽ向かれようが 1人が喜んでくれるか。それがすべてだと思います。

 逆を言えば、1人でもいいから「このWebは必要」と本気で思って くれる人さえいれば、もうそのWebは存在価値を持ってるんですよ。

 アクセスカウンタやメールの量、掲示板チャットの賑わい。 そんなもん関係なくね。

 ・・・え?んじゃこのページはどうなんだって?

 うーん、「はよ潰れろ」と願ってる人が少なからず存在してる ことはおぼろげながら把握してますけど・・・。いーんじゃないの? 作ってる私が満足してるから。

 だから最後の最後で今までの主張すべて水泡と化すようなことを書くな。


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