Linuxであっても。


 「ねぇねぇ、今ウチの会社のプロジェクトで既存のシステムを Linuxに乗せ変えようっつう動きあるんだけどさ。」

 はぁ、Linuxですか。それにしてもあんたの会社、どっちかといったら メインフレーム系の会社なのに。どうゆう風の吹き回し?

 「わかんない。こっちも寝耳に水だよ。今までLinuxなんか 完璧に忌み嫌ってたもん。なんか上の方から『やってみれば?』と言われた んじゃないの?どっかのバカが「これからはLinuxだ!」と意味も 知らずに叫んだのがオチだと思う。」

 ふ〜ん、鶴の一声ねぇ。そんだけLinuxブームが勢いづいてる証拠 ではあるよなぁ。で、なぜ俺にそんな話を?

 「普通こうゆうのだったら、まずはそこらのNTで走ってるような 止まっても影響少ないような小さいシステムをLinuxに乗せ変えてみて、 それで様子見るのが筋じゃない?」

 確かに。それで信頼性とか測定するのも必要だしね。

 「それがさ今回言われたのが、なんと***システムの乗り換え。 当然ながらクリティカルシステム。」 (クリティカルシステム・・・止まった時点で業務が完全に 停止してしまうような、社内でも特に重要なシステムという意味。 いろんな言い方あると思うけど、ここではこう言わせてね)

 ・・・・へ?

 「流通データ件数1時間で数万はザラ。DBもウン百メガは軽く行くね。 当然ながら実行速度もかなりシビアなもの要求される。どう思う?」

 無茶だと思います。ていうかいきなりLinuxって言い出すんだったら 大馬鹿野郎です。

 「やっぱり?じゃあもっぺん交渉してみるわ。ありがと。」

 ガチャ。

 あ、失礼しました。読者無視でくっちゃべってしまいました。

 えっと、一時期のLinuxの「ちょっとどうかと思うほど」過熱した Linux騒動もとりあえずは一段落し、ユーザの関心が「いかに使うか、 いかに動かすか」に移行しつつある今日この頃、皆様いかが おすごしでしょうか。訳わかんねぇなこの挨拶。

 世間的にはLinuxがどうゆうものか、どれ位の能力を発揮するか、 どうゆう用途に適切なのかがわかってきて、地道ながらも着実に 運用実績を積み上げ始めている、といったところだと思います。 Linux全体のことを考えると、ギャーギャー過熱気味に盛り上がるよりも、 こうやって地に足つけてくやり方の方が伸びるんだろうな、という 判断をしています。

 ところが。やっぱいるもんなんだね。常に時代の波に乗ることも できず、嵐が過ぎ去った後で「何?今なんだったの?」とほざくような 輩が。

 まさに上の例なんかその典型なんだろうな。

 確か一昨年か昨年位でしたかね?Linuxが注目を集め始めたのは。 個人・企業を問わず「Linuxって何やねん!」と情報をかき集め、 ブツを取りよせいじってみて、を繰り返すことによって、皆は Linuxがどうゆうものであるか、どうゆう用途に向くのか向かないのか、 つーのを己の感覚として会得していったんですよね。

 ところが、このおっちゃんはそうじゃない。

 おそらくLinux出た当時には耳も貸さなかっただろうし目もくれなかった。 「へん?Linix?どこが作ったかもわからんようなモノにシステムのせられるか」 等と、評価聞く前に完全に切り捨ててた(今でもこうゆう雰囲気、無くなっては いないわね)。

 んでこうゆう人達に限って決定権は握ってますから、「今回Linix使って みませんか?」なんて提案が部下から出ようものなら即座にカミナリが落ちた ことでしょう。

 「馬鹿野郎!ふざけんのもいいかげんにしろ!これは遊びじゃねぇんだ! ユーザサポートもなければ品質保証もできないお遊びOSをお客様に 納入できる訳ないだろ!顔洗って出直してこいこのドアホ!」

 ドアホはお前じゃ、つー冷静なツッコミはともかく。むしろ今までの 常識から考えればこうゆう判断をされてしまうのもいたしかたなかった。 (もっともこうゆう判断をさせる土壌に問題がある訳だけどね)

 ところがそんな予想は裏目って、じわじわとLinuxは浸透していきました、と。 以前みたいな得体の知れないモノ的なイメージは消え失せ、次第に 「使いこなしていこう」という雰囲気も現われ始めました。

 一人後悔するおっちゃんなのであります。「しまったなぁ、なんだかんだで Linux浸透しちゃったよなぁ。出遅れちゃったよなぁ。最近はユーザから Linuxの要望もあるくらいだし。うむ。仕方ない。今までのしがらみとは きれいさっぱり決別しよう。明日からちゃんとLinuxを理解して、 どんどんLinuxを支援していくぞ!」

 かくしてここにまた一名、にわかLinux賛同者が誕生した訳です。

 って本当かよおい。誤解ないように言っておきますけどこのおっちゃん、 当然ながら藤原の妄想によるでっちあげの人物ですからね。探すなよ。

 でも現在、最初からLinux信者でしたなんて人、日本にそうはいなかったんじゃ ないの?と思うんですけどね。「リナックス?リヌクス?なんて読むんじゃこりゃ?」 つー疑心暗鬼な所から始まって、触り始めてじわじわとLinuxを 信頼できるようになった。そうゆう人がほとんどだと思うんです。

 ですから、「以前はLinuxなんてとボロクソ言ってたけど、今はもう手放せない」 人、いっぱいいると思うんですよね。上のおっちゃんに限らず。 だから、過去がどうだったとかなんて、それ程重要なことじゃないんですよ。 今がどうか、それで十分。

 ただ、それとはまったく別の視点で、こうゆう「突然裏切り賛同しますた」 的な乱入ってのは、ある危険をはらんでると思うんです。

 というのも。いきなり全面反対から全面賛成に回るってことはイコール 「盲目的に信じこんじゃう」つう側面があるんですよ。マイクロソフトが 大躍進した時がそうだったでしょ。これからはパソコンだ!メインフレームなんて いらねぇ!と大手振って大参入した結果、コケにコケて心身ズタボロに なった例、掃いて捨てるほどあるでしょ。これと一緒。

 かつての「マイクロソフトだから、これはいいんだ」ってのがそのまま 「Linuxだから、これはいいんだ」って摩り替わっただけだったら、 これはこれですっごく恐いことだと思いますよ。

 上のシステムLinux乗り換えなんかほんとまさにこれだよね。 なんで自分ところに実績もないのに「できる!」って自信持てるのよ。 私自身はLinuxでこうゆうクリティカルシステムができないとは思わないよ。 むしろリブート許されないような過酷条件であればあるほどLinuxも アリだと思う。

 でもさ、この「鶴の一声」が果たしてそこまで考えられてるかどうか。 甚だギモンなんだけどね。つーか森羅万象あらゆる面すべてにおいて カンペキなOSなんて存在しないでしょ?LinuxだろうがNTだろうが スーパーコンピュータだろうが、必ず長所・短所つーのは存在するでしょ? 場合によっちゃリプレースなんか行わないでメインフレームに任した 方がいい場合だっていっぱいあるんよ。

 盲目的に信用するってのはこの短所に目が行かなくなっちゃうことにしか ならないのよ。違うでしょ?まず目的ありきでしょ?その上でどれ選んでいくか つうのが「使う者」としての自然な行動でしょ?

 これ別にLinux信者に限ったこっちゃないよ。Mac信者でもNT信者でも、 アンチマイクロソフトでさえも言えることじゃないのかね。

 弱点を見極める。その弱点をどう回避するか考える。それでも駄目なら いっそのこと他に逃げ出す。これくらいのこと考えていかなきゃ、 Linux使おうが、結果は見えてると思いますよ。

 競馬馬視点なんて絶対ダメ。常に、広く。広く。


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