趣味?鍛練?


 本日はバレンタインデー。普段「女性に好かれる努力」的な事を1%さえもしていない私にとって、この日が全く縁のない代物であるという事はもはや動かしようのない事実なのですが。それでもせっかくこうゆう題材が転がっているのだから、せめてなんか一言言ってはみたい訳で。

 は、なんか知らず知らずの内に涙が。ごしごしごし。泣いてないもん。

 というもはやベタと化した前振りをしつつ、なーんかないかのぉ、とつらつらとWebを眺めていた訳だったんですが。

 思わぬ形でネタを見付けてしまったという。つー訳で前振りと本文で内容が全然違う点、何卒ご了承を。

 それにしてもなぁ。なんでわざわざこうゆう記事を書くもんなのかなぁ。読んでいて思わず首を捻ってしまいましたわ。

 まぁまずは読んでみてよ。


 〜バレンタインに「手編み」はもう贈らない?

 「着てはもらえぬセーターを」と演歌にも歌われた手編み。あったかそうな手編みのセーターやマフラーは、冬のプレゼントの定番だったはずなのに、このところ事情が変わったようだ。手芸品店は若い女性でにぎわっているけれど、彼女たちが作るのはもっぱら自分のおしゃれ用。編み物はいまや贈り物ではなく、「マイニット」の時代と事情通は言う。バレンタインデーに、愛情たっぷりの手編みはもうもらえない?

 東京・新宿の繁華街にある総合服飾手芸店「オカダヤ新宿本店」。色とりどりの毛糸が並ぶフロアに、若い女性があふれる。

 女子大2年のアヤコさん(19)は、首に自作の白いマフラー。「手編みは2本目。材料費だけだし、愛着がわく」。でも、プレゼントするのは「相手が使いにくい」と控えめだ。一緒に毛糸を選んでいた同級生のセイコさん(20)も、彼にあげるか、自分のにするか迷っている。

 売り場責任者の斎藤和恵さんによると、客層の中心は中学生から20代後半。買っていく毛糸の量や、売り場で受けている相談の内容から、9割以上がマフラーや帽子などの小物が目的とわかる。

 3年ほど前、羽根のようにふわっとした毛糸を使い、ざっくりと編むマフラーがはやり、以来、自分用の小物がブームになっているという。

 「プレゼント用もないことはないですが、セーターまで挑戦する人は少ないですね」そもそも、愛情を込めて恋人に贈るための「プレゼントニット」がブームになったのは、20年ほど前。業界のキャンペーンで盛り上がった。背景には、母親が家族のセーターを機械で編む光景が失われ、家庭用の毛糸の消費が激減していた事情があった。

 人気男性タレントをモデルに、男性用セーターの編み方を紹介した作品集が多数出版され、毛糸の売れ行きが一時的に盛り返すほどだった。

 しかし「ここ4、5年で状況が変わった」と、業界誌「毛糸と手芸」の永島武夫さんは言う。「プレゼントニットが停滞して、メンズの作品集は出版点数が大幅に落ち込んだ。自分用に気に入ったものだけを作る『マイニット』時代到来です」


 ここまではいいんよ。別に格段文句をつけなきゃいけないような記事でもない。「へぇ、マイニットかぁ」と素直ににやけていればいい。問題はこっから。


 また、手編み関係の本を発行する出版社「雄鶏社」の小苅米アヰ子さんは、「若い女の子の価値観が変わった」とみる。自分用の小物なら毛糸玉1、2個で2時間もあればできる。贈り物となると毛糸玉を10個も20個も使い、時間もお金もかかる。「今の子は携帯電話やCDにお金をかけ、遊びも多様化して時間がない。加えて根気もない」というのだ。新宿の繁華街を歩いていた女子大生リカさん(21)。編み物はできるが、彼に贈るつもりはない。「買った方が安いし、見た目もいい。手編みのセーターってごわごわするんだもん」。彼女の背中ごしに見える映画館では、ヒロインの編み上げた白いセーターがラストで涙をさそう話題作が上映されているというのに。

(以上、asahi.com00/02/14掲載分より引用)


 ・・・・・・???

 何故にいきなりそんなラスト?何故に古き良き過去の回顧願望が?

 これ書いた人、おそらく「気を利かせて」こうゆう締めくくりにしたとは思うんだ。「そうだねぇ、今どきの若い子はセーターのひとつもロクに編めやしないもんねぇ」と同情を誘えれば位の事を考えたんじゃないんだろうか。

 あのぉ、思いっきり逆効果になってるんですけど。

 まずこの記事によって明らかになること。この記事書いた人、並びにこの記事読んで同感を覚えた人は「セーターのひとつも編まないようでは根気もなく気も短く自分勝手で、ロクなもんじゃない」と精神論をこれでもかといわんばかりに見せ付けてるってこと。

 正直な話、私自身は編み物にチャレンジしたことって一度もないです。敢えて挙げるなら高校の時の家庭科でレース編みやらされた位か。それも人並み外れた不器用さが災いして、1cmたりとも編み上げることができなかったという。編んだというよりは単に絡まった糸と化したレースを見て先生呆れてました。わはははは。威張るな。

 でもなぁ、セーターを贈らなくなったからって、それが即精神に結びつくってのはあまりに短絡的じゃねぇの?と思ってしまう訳なんですが。だってそうでしょ?今のこの世の中セーターにこだわらなくったって掃いて捨てるほどギフトになりえるものが溢れてる訳だし。記事最後のリカさんの「買った方が安くてきれい」って極めて合理的だと思うんだけどなぁ。つーか買った方が安くてきれいな世の中にしたのってそもそも誰よ?

 それに記事で書かれている「時間がない、だからセーターを編まない」つう発想自体、編み物を遊びとして捉えていない側面が伺えるんだけどなぁ。だって、女の子達は「かわいいものが手軽に安く作れる」からマイニットに手を染める訳でしょ?短い時間でできる、しかも楽しいから彼女たちの編み物が立派に遊びとして成立してる訳で。一方の「時間をかけなきゃ、贈り物にしなきゃ」って姿勢は遊びとしては重過ぎやしないかい?精神鍛練じゃないでしょ、編み物は。

 いいじゃねぇか遊びで。本人の自己満足で。遊びってのはいかに自分が満足できるか、で決まるんだから。遊びの領域までうだぐだと上に言われたかねぇよ。

 ひょっとしたらここまでお読みの方で「何をセーターひとつでぐだぐだ言ってやがんだ」とかお思いの方もいるのかもしんないね。けどね、こんな事だからぐだぐだと言うんよ。

 上の編み物の例でもそうなんだけど「根気がないから趣味に深く入りこまない」とか「安易にすませようにする」とか言われるとすっげぇカチーン!と来るんよ。

 輩の言い分は大抵こう。「遊び、趣味とも言えども本当の楽しみを覚えるには始めは我慢も必要。でも今の人達はその我慢をしないから安易な遊びに逃げる。まったくもって嘆かわしい。」

 やかましいわボケ!何が悲しゅうて趣味や遊びでガマンせなならんのだ。手軽にやれるいい加減にやめれるってのが遊びのいい所なんだろうが!タダでさえ仕事やら学校やらでがんじがらめになってんだから遊びの時位好きにやらせろこの酢ダコ!

 つー反論をせずにはいられないんですわ。だからここまでグダグダ言ってた訳で。

 で、ついでに言っておくと、もはや今の子達(こうゆう表現をする事自体、自分は既にこの世代にはいないのかなとも思いつつ)は、従来の苦労して我慢して技術やコツを覚えていくなんてことはしないよ。

 なにせ同じことを楽しみながら喜びながら会得していく術ってのをカンペキにマスターしてるんですから。この点ではあんたらおっちゃんおばちゃんが思ってる以上にカシコだよ。

 そうゆう歴然とした変化に気もつかず、ただ自分の体験談を振りかざしてみたところで、何の説得力もないし、それに従うつもりも毛頭ないという言うことに、いい加減気がつかなきゃいけないんじゃないの?

 どうなの?実はわかってるけど、認めたくないだけなんじゃないの?

 え?どーなのよ?ねえ?

 ・・・・・・とまぁそんな感じで。にしてもなんだかんだでバレンタインとは似ても似つかぬ文章になっちゃったな。まぁいっかいつものこと。

 何はともあれ、来年・・・いや、再来年・・・やっぱサバ読もう、5年後位には、どーにかしてのろけ話のひとつでも書き足してみたいもんですのぉ。

 ・・・・・・無理かもなぁ。


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