0%の壁


 メガネのネジ締めようと思って、カバンの中に入ってるはずのドライバーを探してた時のこと。

 私のカバンって普段からいらんもんいっぱい詰め込んでるもんですから、いざという時になかなか目的のものが取り出せません。がさごそがさごそ。

 免許証。のど飴。キャラメル。フリスク。心臓の頓服。頭痛薬。栄養ドリンク。「みかん」フロッピー。インターネットマガジンの付録CD。スペアのモジュラーケーブル。ザウルスとパソコンの接続ケーブル。CDプレイヤー、CD8枚、新作CDのオビ。傘2本。スペアの電池単3と単4各3セット。使用済み電池山ほど。出なくなったボールペン。消しゴム3個。3ヶ月目を通してない文庫本。1年前の給料明細。サイコロ3つ。

 なんでこんなに入れてるんだ俺。

 これらの品々に交じって、一枚の紙切れを見付けました。

 あれ・・・これ。・・・・・・かつて高蔵寺駅でもらった、谷坂奈美ちゃんの心臓移植支援のビラだ。まだカバンの中入ってたんだ。

 奈美ちゃんは生まれつき心臓に難病を抱えていて、移植以外に助かる手段はないと宣告されました。既に臓器移植法案による臓器移植は始まっていましたが、今の法律では子供からの臓器提供は認められていません。奈美ちゃんの体に合う小さい心臓は大人のドナー(臓器提供者)から得ることはまず不可能。結局海外移植に助けを求めるしかありませんでした。地元である愛知県春日井市を中心に、カンパ活動などが行われましたが、祈り虚しく、99年2月11日、帰らぬ人となりました。

 ・・・・・・・・・・・。

 そっか。奈美ちゃんが亡くなって、もう1年経つんだな。ついこないだのような気がするんだけど。月日が流れるのってそれだけ早いんだな。

 そう言えばあの件以来、まだ一度も臓器移植問題触れてないな。

 あれから臓器移植問題は幾度に渡り大きく取上げられています。既に数例の脳死移植も行われました。ドミノ移植なんてのもありました。それに伴ってオナー・ドナー双方家族の精神的な負担、プライバシー、医療倫理。さまざまな問題が浮かび上がっては宙にさまよっています。

 これら一連の記事は私も眺めてました。けど、いっくら見てても、自分の中で答え出てこない。Webに散らばってる文献とかも読み漁ってみたけど、様々な意見が頭の中でぶつかってて自分の中での答えが出せない状態が続いてます。

 正直な話、もう既に自分のキャパシティは明らかに超えちゃってます。消化できない。なんか見る度にぐるぐる〜と考えは巡るんですけど、結論まで落ちてこないんです。だから今までなかなか文章にできなかった、というのもあるんですけど。

 ただ、やはり私にとっては奈美ちゃんの出来事ってのは深く頭に残ってるんだ。という訳で自分の頭の整理も兼ねて、書き連ねてみたいと思います。現時点で私ができるのは多分これが精一杯なので読みづらい点とかもあるとは思いますが、なんとかついてきてください。

 奈美ちゃんが亡くなって以来、ずーっと考えていること。

 「もし仮に奈美ちゃんが日本で移植手術を受けられたとしたら、生き続けることって果たしてできたのだろうか?」これなんですよ。

 ご承知のように、現在の日本の臓器移植法では、15歳未満の子供が臓器のドナーになることを禁じています。「子供には自分の死後、臓器の提供していいかの判断をすることができない」というのがその主な理由なのですが。

 もしこの壁が存在しなかったら、奈美ちゃんの命助かる可能性、1%でも上がったのかな、と思うとどうしてもやるせないんですよ。そりゃあ仮に15歳未満の、しかも血液タイプから何から何まで一致したドナーが運良く国内に表れる可能性を考えれば蜘蛛の糸のようなもんなのかもしんないよ。しかも心臓移植が成功したからといって、決してその後ずっと生きられる保証すらないということも頭ではわかってる。

 でも、割り切れないんよ。

 もし15歳未満の移植が可能だったら、「できない」から「できるかもしれない」にステップアップできた訳でしょ?なんで一律に「0%に叩き落とす」必要がある訳?0%ってことは「子供が難病かかろうが知らん。大金払ってでも外国で手術しろ。それができなきゃ死ね。」こう宣言してるに等しいんじゃねぇの?

 俺、どーしてもこの点が感情的に納得できないんよ。

 確かに子供、特に幼児に「死んじゃったら臓器提供していい?」なんて聞いたところて、だぁだのばぶぅだの訳わかんねぇ答えしか返ってこないのは誰だって知ってるよ。つーかわかる訳ねーじゃん。大人にだってわかんねぇんだから。

 でもね、「じゃあわかんねぇから知らんわ」と投げ出しちゃっていい訳?今この時点でも、移植しか助かる手段がなくて、でも国内じゃ移植受けられなくて途方に暮れてる子供、そして親ってのが存在してるんだぜ?それ見殺しにしろってこと?そのまま苦しんで死ぬの黙って見てろってこと?

 納得できる訳ねーじゃんかよ。

 こっからは完全に俺個人の独断だってことを承知の上で読んで欲しいんだけど、俺、子供に関しては親の独断に任せちゃってもいいと思うんだ。親が前もって「子供に万が一のことがあった場合は、臓器を使ってください」と宣言しておく。要は意思表示カードの子供版よ。当然ながら意思表示が無き場合は無効とみなし臓器摘出は行わない。もし万が一の事態になっても、最終確認前ならば意志の取消ができる。親の宣言の有効期間は子供が自分の意志で宣言できる年齢まで。それ以降は改めて自身で臓器提供の意志を表明する・・・。

 これじゃあダメなの?この制度で逆に「子供の臓器は提供しない」という意志も表明できるんじゃないです?

 つーかこれでもダメなのかよ?子供本人の意思なんて永久にわかる訳ねぇよ。だから子供なんじゃないの?「わかんないからダメ」なんて逃げの言葉にしか聞こえねぇんだよ!どっちにしろ人間である以上死んじゃうときには死んじゃうんだよ!だったらせめてその亡骸で別の人間の命伸ばせるんだったらそっちに希望与えてやってもいいだろ!いいかげんぐだぐだ抜かしてないで決めてくれよ!

 ・・・・・・すまんね。こうまで書かないと私自身の本音は書き切れないと思って。異論があるのは承知してます。でもいっくら異論があろうが、これは私の本音であり意見です。

 結局、反対するもの、賛成するもの、両者の溝なんてそう簡単に埋まらないと思いますよ。死の考え方なんてそれこそ根本的なもんだもん。そう簡単にわかってたまるか位に思っていたほうがいい。

 でもさ、だったらせめて、お互いがお互いの足引っ張るような真似はやめて欲しいよ。私、今の臓器移植問題ってそこで両者が両者の足引っ張りあって、身動きできてない側面、ムチャクチャ大きいと思うんだ。15歳未満の壁も、少なからずこの要素存在してると思う。

 己のエゴなんかどーでもいいんだよ。誰のための臓器移植法なんだよ。患者の為に決まってんじゃねぇか。だったら早くその患者のための方策を見付けてやれよ。

 とりあえず。一刻も早く、いまだ0%で止まってる子供達を国内で助けられる可能性、0.1%、0.01%でもいい。引き上げてやってくれ。

 0%の壁の前に力尽きた奈美ちゃんの、二の舞、三の舞は。

 もう見たくないんだよ。

 改めて谷坂奈美ちゃんのご冥福をお祈りします。合掌。


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