トイレに学ぶ
だあぁぁぁっ。どこのどいつやっ。いっちゃん最初に人間の三大欲なんてもんをぬかしたヤツはぁ。
食欲。これはいい。食べなきゃ死ぬ。睡眠欲。これもいい。寝なきゃ気が狂ってしまう。どっちもあって当然の欲求だ。
性欲。ええい貴様だ貴様。どの面下げてこの三大界に紛れ込みやがったか己は。貴様がそこにいられる身分だとでも思っているのかこの狼藉者がっ。
どけっどけどけい!貴様が座る席など無い!そこは真の三大欲の資格を持たれうる排泄欲様の席に他ならぬわ!とっとと失せるがいいわ!!
しょっぱなからくだらない書き出しだな。すまぬ。
でもなんで排泄欲じゃなくって性欲の方が扱いが上なんでしょ?この辺はかなり諸派あるみたいね。わすとしてはガマンできない、という点で排泄欲の方が上のような気もするんですけど。
まぁ所詮は前フリなんでどっちでもいーや。三代性欲=食欲睡眠欲排泄欲、と定義してる説もちゃんと存在してるし。つー訳で今回はお手洗いのお話。ごめんね、性欲の話期待してた人はRadio13当たりを頼ってください。なお性欲と排泄欲をごっちゃにする嗜好のある方、ここにそれを求める自体間違ってます。
さて。私基本的にトイレ近い体質でして、大・小を問わずしょっちゅうトイレに駆け込んでしまう人間です。小の方で通常1時間、長くても2時間が限界。それ以上のインターバルはかなり苦痛に感じてしまうタイプです。
ですので旅行の時とかは神経使いますよぉ。どこでトイレ休憩入るから、どれくらいガマンしなきゃいけないかとかを常に計算しなきゃならないもんですから、いらんところで気疲れしちゃうんですな。
しかも悪いことに、下痢体質でしかも洋式トイレでないと落ち着いて用が足せない体質(理由は単純、体硬いから)なもんだから更に事態はややこしくなります。
洋式専門の方は多いと思いますけど、たとえ方向音痴であっても、洋式トイレのある場所は覚えていたりしません?私頭の中に「春日井市内洋式トイレマップ」入ってますよ。最近は掃除整ってる洋式トイレが増えてきているので非常に助かります。
さて、なんでこんなお話をするのか。今でこそ「お腹痛い〜トイレ〜」と欲望の赴くままに駆け込むこともできるのですが、子供の時、特に小学校から高校まではホント大変でした。
それは何故か?それは以下の点に集約されるからです。
・洋式トイレがない(全部和式)
・完全な密室じゃない(ドアの下や上はがらんどうになってる)
・何よりも学校で大をすることを許さない文化が子供心に張り付いてるもうねぇ。このおかげで何回泣かされたことか。
お腹痛くなってトイレ入ります。慣れない和式トイレにあたふたしてると外から声がします。
「おーい。誰かがトイレでうんこしてるぞー」
やっぱ子供ってバカだね。きゃっきゃ言いながら7、8人が集まってきます。下からホウキ突っ込んできたり、上からトイレットペーパー投げ込まれてきたり。ひどい時には水なんてのもあったな。そん時じゃなかったっけ。キレて出ていって相手を特定するなりイスで頭ぶん殴って病院送りにしたの。わすの生涯の中でただ一度のリアルな殺傷体験。イスの鉄パイプがドタマにがすっと入った瞬間、ちょっと気持ち良かったけどね。こらこら。
まぁこうゆうのが小学生でならまだわかるんですけど、高校でもあったもんな。やっぱガキなんだな、高校生って言っても。ですので学校でもよおした時は常に潜伏戦闘モードでした。入る時は誰にも気付かれずに教室を出て、その教室から一番遠くかつ普段人が近づかないトイレに向かい、かつ誰もいないことを確認してからトイレに入る。してる時も万が一の際にはすぐ反撃できるように簡単な凶器を用意してすぐさま戦闘モードに入れるようにする・・・をー、さながらちょっとしたミッションじゃんか。かっこえー・・・のか?
でもまぁ現実には授業中に「せんせートイレー」が一番確実かつ安全だったんすけどね。授業中にまでトイレに追っかけてくるヤツはさすがにいなかったし。何回もやってると先生も周りも「あぁまたか」程度にしか思わなくなりますし。そうなると周りにも認知されるようになるので、休み時間であっても「藤原ー?またなのー?」「そうー、ううー」「クスリあるよー。後で飲むー?」「ありがとー、飲むー」といたって穏便に用を足せるようになる訳です。やっぱカミングアウトって最初勇気いるけど意義があるね、というお話でした。
ん?
まぁこれはもちろんわてらの世代での話なので、今の子達がどうなってるのかは知らないです。案外小学生でも「誰だってウンコするんだからそん時位そっとしといたれや」と割り切れてるのかもしんないし。
でもなぁ、ことトイレ話に関しては体質上事欠かないので、思うことは多いよ。特に公衆トイレのマナーとかって、もろに個人の差とか出ると思うもん。
よく汚すだけ汚してトンズラこいてるヤツとかいるでしょ。会社のビルで清掃管理してるおばちゃんとかしょっちゅう怒ってるもん。「もう!子供じゃあるまいし!学校でトイレのマナー学ばなかったのかね!」わすも同意して頷くんですけど、言われて見りゃ学校でこうこうだよ、と教わったことってないよな。
これこそ、下手に知識詰め込ませることよりもずっと重要なことだと思うんだけど。「トイレはみんなが使います。ですからできるだけキレイに使いましょう」「人のものだったらイヤだって思うかもしれないけど、自分のものならなんとか大丈夫でしょ?その時にティッシュで拭けばいいだけなんだからキレイにしちゃいましょうね。」「誰だってうんこもするんだから、人がやってるの見ても騒がないこと。それって一番恥ずかしいことだよ。」てな感じで言ってくれれば、たかがトイレ行くだけであんなに苦労することもなかったんじゃないかな、って思うんですよね、体験的に。
なによりも学校のトイレって教室の机とかと違って誰のものでもない、完全な共有のものでしょ?そこからマナーを学び、他人の存在を学んでいくことができるじゃないですか。情操教育だのゆとりの教育だのと文部省のバカはさも知ったように繰り返してるけど、そんなもんにがーがー言うよりも、こうゆう「場所」を通じて身につけていく、という作業の方がずっと有意義なんじゃないですかね?
最近は小学校や中学校でもトイレを完全な個室にしたり洋式を入れたりということも聞きます。それはそれで嬉しいことなんですけど、こうゆう場の共有を体験することを意識する、意識させる。これはこれで必要なんだと思います。この程度のことだったら、校則規律に頼らずともできるはずだよね?
しかしまさか下痢からここまで論理飛躍するとは自分でも思わんかったな。え?妄想だから?そうかも。