ぼろころな
平成元年式コロナクーペ、通称「ぼろころな」がやってきたのは今から5年前の春のことでした。
元々は自他共に認めるアンチ車派、でかける時は原付バイクか電車、を貫き通していた私が車を保有するということは自分にとっても周りにとってもちょっとした事件でした。世間の至るところで「なぁ藤原が車買ったってよ」「何?あんだけ車に金つぎ込む人間を小馬鹿にしまくっていたあいつかがかよ」「やっぱ所詮人間なんて身勝手なもんだよね」「まぁヤツもその程度の人間だってことよ」「堕落したね」「落ちぶれたな」「この人間のクズが」などと噂されたものです。ほんとかよ。
とは言え買った本人にも戸惑いがあったのも正直なところでした。納車されたての「ぼろころな」を眺めながら「なんでこうなったんだろ?」と首をかしげていたのも実際のところだったりします。
理由はちゃんとあったんですけどね。就職活動に全滅して最後にやけっぱちで受けた院入試、奇跡的に合格したはいいけど、そこは電車で行くには遠すぎる、下宿するには近すぎるという非常に微妙な位置に存在していたのです。自然と「車でも買いましょう」つう結論に達したのですが、目の前に運ばれた車を見てもこれが自分の車だ、これからはこれが自分の足だ、なんてことはこれっぽっちも思いやしませんでした。
あ、そうそう。なぜ「ぼろころな」なのかを説明してませんでしたね。理由はいたって単純。ぼろだからです。まんまじゃねぇか。買った時点でこのコロナ、10万kmを越えていました。確か10万5千kmではなかったかと記憶しています。中古車市場では10万kmを越えた車の価値はぐんと下がるらしく、2リッターカーであるにも関わらず「込み込み30万円でいいですよ」というディーラーのお姉さんの口車に喜び勇んで飛び乗ったのが実際のところです。
とは言えもともと車に関する知識話題をとことん避けて通っていたこともあり、多少古かろうが距離走ってようが走るんなら構うもんか、と結局は喜び勇んで乗り回してました。そです。車キライだった人間が車をキャッキャ言って走り回ってる訳ですから。ミイラ取りがミイラとはまさにこの事です。
もっぱら「ぼろころな」は自宅と学校の移動手段として使われていましたが、ごくごく希にどこかに遊びに行く時とかにも使われました。初めて名古屋市街を走った時は周りのスピードの流れや車間距離の狭さについていけず、死ぬかと思いました。ましてや極度な方向オンチ癖も持ち合わせているために、道に迷うなんてこともしょっちゅうで、後ろからクラクション鳴らされたり、一方通行の道突っ込んで衝突寸前なんてことも日常茶飯事。周りから「死のドライバー」と名誉を称えられたことも今となってはいい思い出です。
その一方で悲しいこともありました。交差点で横断歩行を渡っていた女子高生を思いっきり轢いてしまったことがあります。幸いにもぶつかる前に女子高生が逃げてくれたおかげで、奇跡的に軽症ですんだのですが、事故起こした日から2、3日は一睡もできずご飯も喉を通りませんでした。交通事故という自動車産業が産んだ弊害の現実をまざまざと見せ付けられた気分でした。今でもぶつかった瞬間の「ごん」という感触ははっきりと覚えています。ごん。きゃーやめてー。反省してんのかテメェ。
そんな出来事を積み重ねつつ、次第にぼろころなは自分にとって欠かせない存在になっていきました。基本的には春日井市とその周辺しか乗り回さない車とは言え、車でないと不便な行き付けの場所も増えていきました。社会人になってから重要度はさらに増え、一日車に乗らない日というのはほとんど存在しなくなりました。
事故った後に受けた講習の中で警察のおっちゃんがこう言ってたのを思い出します。「車は一歩間違えれば人を殺める凶器と化します。でも気をつけて乗れば、すごく便利な道具なんですよ。」他の人が聞いてもなんとも思わないような一言なんですけど、今の自分の生活とすごくオーバーラップします。
んー、これボロだからさぁと口では罵りつつも、なんだかんだで愛着を感じつつ。そうゆう存在になっていたんだと思います。
そんなぼろころなにも転機は訪れました。形あるものはいつか壊れます。
15万円+α。車検に伴う修理費の見積もりを見てひっくり返りました。まぁ前から予測はついてはいたのですが、実際に金額として提示されるとちょっと困ってしまいます。ファンベルトからブレーキから全部交換、しかも交換したとしてももう根本にガタがき始めてるから直しても2年乗れる保証はないよ、と。
ちょっと位高いだけなら、2年乗れなくてもいいから車検通そうかな、とは考えてました。でもこっから車検費用だの税金だのを重ねあわせると20万以上の出費、となるとさすがにもうひとつの案を意識せざるを得ませんでした。
「潮時かぁ。買い替えだな。」
納車の日。新しい私の足となる平成5年産シビックと今まで散々足としてこき使ってたぼろころなを並べて、眺めています。
シビックはぺっかぺかに洗い磨かれ、これでもかとばかりに光沢を保っております。一方のぼろころな。前後左右を問わず至るところ傷だらけのぼっこぼこ。お世辞にも奇麗とは呼べません。
でもなんか違和感を抱えこんでました。ぼろころなに積んであった荷物をシビックに移し替えながらも、何度もぼろころなの方に視線を運びました。
最後の最後、座り慣れたぼろころなの運転席に座り、距離メーターを眺めてみました。
14万7千346km。
そっか。こんだけ走ってたんだな。
中古車屋さん曰く、一応再度売りには出してみます、でも正直走行距離も長いし修理箇所も多いから、買い手が付く可能性は低いでしょうね、とのことでした。買い手が付かなければ解体ということになるでしょう、と。
つーことは。スクラップか。平成元年に産まれたぼろころな、享年12年、か。最近は部品リサイクルが進んでいるとは言え、全部が使えるという訳じゃない。車としての生涯はここまで、ということになるのでしょう。おそらくは。
車としてはそこそこ走ってくれたことになるんでしょうか。少なくとも私は「ぎりぎりまで使い潰したよ」という変な満足感はあります。
問題は、ぼろころなが、モノが人格持つなんてこと普段は信じちゃいませんけど、それでもあるとすれば、「もう十分に走ったよ」と満足してくれたかどうか。
それだけが気にかかるのです。