限界点のその先に


 ぐてー。

 疲れました息絶えました死にました。ほんと大変だったぜ今回は。電車の中で喫煙室の椅子で自室のベッドで、何回気絶したことか。それ位今回のはきつかった。ふー。

 いやね、今年後半からずっと作り続けていたものがリリースとあいなりまして。そのためにしこしこと準備進めてたりしていたんですが。

 まぁ例の如く直前に仕様変更とかで終電帰りが続いたとか、システムテスト終了直前になって単体テストレベルのバグが発覚したとか、そうゆう細かいこともあったんですが、それはこの際目をつぶろう。目をそらすとも言いますが。

 それよりも何よりも、今回何がきつかったかというと体調なんですわ。リリース前々日に風邪をひくという最悪の事態を招いてしまいまして。

 その日の朝起きたとき、おかしいな、とは思ったんですよ。なんか体が重くてキレがない。どーにもダルい。そんな状態で出勤したところ、時間の経過と共に体調が急激に悪化。「あ、こりゃだめだ」と思ったときには既に手遅れでした。体温38度5分(平熱36度1分)。完全に自分の体がボロ雑巾。

 これが普通の日であれば、当然無理することなく倒れるのが普通なのですが、悲しいことに今はリリース時期。期日は3ヵ月以上前から設定されており、上からは「車に轢かれても這って来い」と厳命されていると。

 ベッドの上で唸りながらPalmでスケジュールを確認してみます。

水曜日終日:マスターアップ及び各種書類提出、リリース準備
木曜日PM8-11:本番環境導入作業
金曜日AM7-9:初動監視確認

 ・・・・・・。

 今回の箇所はすべて私一人で作成・管理していたということもあり、代理を立てての作業依頼は現実不可能。イコール私が行かないとリリース不可能。マジかよぉぉぉ。号泣。

 その日から闘いが始まりました。何との闘いだ。そんなもんは自分でもわかんねぇよぐわぁぁぁぁ。逆ギレ。

 水曜日。朝オフィスに付く前に最寄りの薬屋さんにより、ありったけの薬購入&用法を無視しての大量投入。いきなり反則技ですが。とりあえずどーにでも熱少しでも押さえないと頭も体も動かない状態ですので、手段を選ばずで無謀な策に出ています。良い子はマネしないでねっ。

 その上で、その日はもうその日の作業に完全集中。当然理由はその日の作業が終わった時点でとっとと早退するため・・・・・だったんですが、やっぱこの辺は限界がありましたね。午後2時を過ぎた当たりからじわじわと意識が遠くなってくのがわかります。実際、多分2、3回は確実に意識飛んでました。

 結局、努力の甲斐なく、マスターアップ終えたのはほぼ定時の6時でした。この時点で灰になるワタクシ。視界に靄がかかった状態で帰路に就きます。そしてダウン。正直、この辺から翌日朝までの記憶がございません。どうやって家に帰ったんだ俺は。

 という訳で木曜日朝。常駐先にTEL。う、うごけませーん。

「頼む、頼むから這ってでも来てくれぇ」

 うー。じゃあ実際の作業が始まるのは午後過ぎからだから、それまで寝させてー。

「そうしてください。頼みますぅ」

 引き続き常駐先にもTEL。すいませーん、これこれしかじかで半休くださーい。

「うーん、ただその場合ですと半休でなくて遅刻の扱いになるんですが。」

 ・・・・・何?なんじゃそれ・・・あ、でもそういえば前自社戻ったときにそんなことを聞いたことがあるようなないような・・・。

 遅刻ってことはその分の給料出なくて、評価や賞与にも直結するってことだよな。てことは遅刻するよか、有り余ってる有給使って・・・なんてことまでは頭回りませんでした。とにかく寝たいの一心で「あい、それでいーです」と即答。くそぉ。

 まぁこの件に関してはいろいろと言いたいこととかもあるんですけど、つーか既に文句は言ったんですけどけんもほろろでしたな。実際に心臓に小爆弾抱えてる身分としては体調如何によっては半休に頼らざるを得ない場面ってのは出てくるだけに、心理的不安は大きいし。「もしもの時には相談して」とはフォローしてくれたけど、いざという時には相談する余裕無いんだよなぁ・・・・。

 なんてことを考える余裕すらもなく昼過ぎまで意識を失ってました。あたりめーだ。38度熱ある状態でそこまで考えられるか(笑)。

 てな訳でちょっとは寝て、どうにかなるかなと思った状態にて出勤、そのまま即実作業開始。作業そのものは既に事前に手順化されており、その通りにオペレートするだけと至って単純なんですけど、他の部品とかの絡みとかもあるため、作業間での待ち時間が長いんだ。この待ち時間ってのがすごくつらかったです。実際、3回程気を失いましたし。同僚さんからリーダーさんから皆が皆から「大丈夫かよをい」と心配される始末。

 確かに周りにしてみたら「顔真っ青目うつろで死人みたくなってるヤツが本番環境のPGMいじってるぞおい大丈夫かよコラ」で、気が気ではなかったでしょうねぇ。すまぬ。ここで謝ってどうする。

 結局その日の全作業が終わったのが深夜の11時。おつかれーで速攻家帰って倒れて。で次の日朝5時半に起きて始発で即会社行って起動確認。

 死ぬかと思いました。

 で、実はこの段階で、リーダーさんにはこんな了解を既にもらってたんですな。「朝の段階で、問題なく動作してたら、その時点で帰っていい」と。まぁ要は風邪周りに移されても迷惑なだけだし、他の仕事できそうにないからとっとと帰って寝やがれ、ってことなんですが。何にせよありがたや。天の声。

 ですので、朝会社に着いて運用センターからエラー報告が来ていない(異常終了が起こると即座に社に連絡が行く仕組みになってる)、ってのを聞いた時点でほっと緊張の糸がほぐれたんですな。あぁやっと終わると。暖かい布団の中で時間を気にせずに寝られると。

 甘かったすね。そうは問屋がおろさなかった。こらソコ、「やっぱりな」とディスプレイの前でにやつくなムカつく。読み手に怒ってどーするよ俺。

 んでは確認、てな訳でログファイルを眺めてみます。うん、これOK。あれもOK。ここも良しと。えっとあとは・・・・あり?ログファイルいっこ足りないぞ。なんで?

 しばし考え込む。えっと、ログそのものが無いってことは・・・。

 ・・・・・・起動されてねぇぇぇぇ!!

 そらエラー報告も来る訳ねぇわな。意識が遠のくのを感じながらその旨報告。幸いにもその動かなかった部分は1日や2日動かなかったところでどうとなる訳でもないと。でも放っておく訳にはいかんだろと。昼間は頻繁にデータ更新されている以上、そうやすやすと手を入れる 訳にもいかんだろと。リーダーさんしばし考えた後「じゃあ、今日の夜に修正版再度上げてから、明日の朝にまた動作確認しましょう」。そして一拍置いて「大丈夫?」。

 あぁぁママンお星様が見えるよ。

 ここが精神的な限界でしたねぇ。ここで私、再び記憶途切れてます。今更家に帰る気力も残っておらず、喫煙室で体を歪めながら時間が経つのを待ち続け、夜になってから常に視界が歪み続けるような状態で再切替。ひーこら言いながら深夜に家に帰り、また5時半に起きて・・・、ということをやってた、はずです。えぇ、なんら覚えてませんとも。えせプログラマ生活も約4年となりますが、初めてじゃないですかね。どうやら小人さんを召還してしまったようです。勿論、ホントに小人さんが私の代わりにおしごとをやってくれるはずはなく、私自身が作業やってるに違いないのですが、ほんとに記憶飛んでますから。あぁこれが世に言われる小人さん状態なんだなぁと。

 次に自分の意識を確認できたのは、次の日(土曜日)の朝でした。すべてのログファイルが正常終了してる旨のメッセージを残しているのを確認できたときには涙出てきそうでしたよ。マジで。今度こそ終わったと。あぁありがとう小人さん(笑)。

 その後再び自宅へと舞い戻り、お薬と頓服(眠くなるので期間中は飲めなかった)かっくらってお布団直行。のべ約23時間、死んでるように眠り続けました。つーか眠るように死んでました。

 そうして、目覚めた今、こうやってパソコンに向かって駄文を連ねている訳ですが。えぇ、やっと熱も収まりました。

 まぁ、なんつーか。経験に勝る知識はないというか、あらゆる意味で貴重な体験だったかもしんないですな。2回目は死んでも御免ですが。当たり前のことですが、本来こんな苦労なんかせずに一連の作業やり終えなければならん訳で。その点では反省しきり。私がいなきゃ作業ができないということが発生するということ自体、プロジェクトとしては良くないことであることも明白だし。ほんとすんません。

 それに。実際周りにも迷惑かけたしねぇ。私の風邪移ってしまったであろうオフィスの数多の人達も含めて。あー。明日からの職場、違う意味で修羅場だろーなー。飛び交う咳くしゃみ鼻水。そこらを飛びまくってるであろう風邪の菌。

 すまん。だからここで謝るなっての。


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