だらだらの自由
昔話。職場以外の話題がないとこうゆうネタがむやみに思い浮かんでしまったりする。トシ取ったんかな私も。
小学生だろうが大学生だろうが、とにもかくにも学生ってのは無闇に時間だけはあるもんでして。特に大学生ともなるとロクに授業は出ないわレポートは他人の丸写しだわ試験は持ち込み許可だからロクにべんきょーしねーわで、バイトしてる時間と寝てる時間以外は特にやることもなく。そうなると同士共が連なってあーだこーだとじゃれあってる訳で。
となれば、登場するのは麻雀牌、点3、点5の低レートでさぁ朝まで打ち続けるぞぉ、となるのが王道なのですが。そういえば「合宿だぁ!」なんて言いつつ学校の合宿所に牌2つにコタツまで持ち込んで2泊3日でやり続けたなんてこともあったな。よく怒られなかったもんだ。
でもまぁ今回は麻雀の話をしたいんじゃなくって。当時の負け総額が今を考えても思い返したくない程積もり積もったというのもあるが。それはそれ。
麻雀が人数的制約(3人でも5人でもダメ)や場所的制約(うるさいし卓が置ける場所も必要)が厳しかったこともあり、麻雀が不可能な時には、もうひとつ好んで行われるゲームがありました。
それが今回の主題になります大富豪。世間的には大貧民という言い方の方がメジャーなのかな?要はトランプゲーム。
そこそこのスペースがあればすぐにできる、それほどうるさくもない、人数に対する柔軟性も高い、金銭絡めずにすむので誰でも気軽にできる、誰でも大体のルールは把握してるのでいきなり本チャンに入れる・・・などのメリットから、これも学生の頃、相当場数をこなしました。
あ、ここでは基本的なルールに関しては知ってるものと前提して話進めても構いませんよね?わかんない方はWebとか検索すれば説明載ってますんで適時参照してくだされ。
で。この大富豪、とにかくハウスルール(地方ルール)が多いことでも有名で、これを書くだけで雑文の一本もできてしまうんではないかってな位様々なルールが存在するんですが、とりあえず私の周りで使われてたのはこんなルール。
- ジョーカー2枚。ワイルドカード使用可
- ジョーカー上がり・2上がり禁止(違反は大貧民転落)
- 連続数字は同一スーツ3枚以上
- ゲーム前に大富豪・大貧民間で2枚、富豪・貧民間で1枚カード強制交換
- 大貧民がカードを出してスタート
- 革命は即時有功、革命返しあり
ま、ここら辺はまぁわかるって感じのハウスルールなんですが、問題はこの後か。
- 回の度に時計回りに大貧民→貧民→平民→富豪→大富豪の順に席替え。明確にするためのオプションとして大富豪は座布団2枚、大貧民は座布団なし+正座。
- 破産あり。大富豪は1位になれなければ即大貧民
- 最終的な勝敗は大富豪の連続防衛回数で決定
これを他のメンツでやるときに説明すると「え?」てな顔をされるんですが。そんなにおかしいですかねこれ?特に破産に関しては「それやったら大富豪じゃねぇぞ」とまでの言われよう。
思うに大富豪というゲームのどこに面白味を感じるか、というのがルールの差異に表れてくるんでしょう。破産なしの場合は、「強者が弱者を叩きのめす」というサディスティックな部分に惹かれているのではないかと。
逆に破産ありの場合は「弱者は強者叩いてなんぼ」的なハングリーさが求められます。事実、このルールの場合自ずと「大富豪V.S.その他」という構図ができあがりますから、大貧民がのほほんと構えている一方で大富豪がド真剣になったりします。そういえば以前、誰かが防衛を重ねてまして初めは周りも「すげーなおい」と笑ってたのですが、10連勝過ぎた当たりから次第に口数が少なくなってきまして。20連勝到達するかしないか辺りでは周りはいかに大富豪を負かすかを考え始め、大富豪はいかに切り抜けるかで考え始め。まるで連荘で二幡縛り入った時が如く場が重苦しい緊張感に包まれたなんてこともありましたな。大富豪で、しかも金も賭けてないのにそこまで真剣になるなよ>俺&その周り。
とまぁそんな感じで、暇となれば随分とやってたよなぁ、等と過去を思い出したりしてるわたくしなのですが。今になってふと考えることもあって。
大富豪って何回も続けて行う連続性で遊ぶタイプのゲームですから、下手うつと3時間4時間やってました的なこともままある訳で。時間経つとさすがにこれだけでは飽きてくると。で、そうなると誰からともなく、とりとめもない雑談モードに入るんですよね。なんとなく喋って、なんとなくカード切って。そんな終わりなきまどろみ感が今を思うと好きだったよーな気がしてね。
あと大富豪ってそのゲームの性格上、途中で人数が増えたりしても、あんまし影響なかったじゃないですか(途中参加は平民として入ってもらってた)。で、サークルの中とかでぽつーんと立ってる子とかがいると、とりあえず誘うんですよ。おーい暇なら入れーてな感じで。で誘われる方も大抵ルールは知ってるし、知らなくてもすぐ把握できるので比較的すんなり輪の中には入れると。喋れればそれで良しですし、慣れてなくてもゲームに参加することで輪の中にいるという安心感があったりと。
意外と重宝してたのかな、と。いろいろと。
今の己を振り返ってみても思うんですけど、今ってなかなかこうゆう「いいかげんさ」とかって持ち合わせてないよなぁ、と。大富豪のルールには厳密になる割に、それに則って動く人間側は比較的、いやかなりルーズに動いてたような気がしててね。てきとーに始めててきとーに止める。てきとーに入っててきとーに抜ける。おしごとにせよプライベートにせよ、なかなかこのよーにはできませんよね?
じゃあそのいいかげんさをいい方向に捉えるのか、悪い方向に捉えるのかは、各個人によっても違ってくるとは思うんだ。でも、個人的にはやっぱり、たまにはこんくらいのてきとーさ加減も欲しいよなぁ、と。息詰まっちゃうじゃんやっぱ?今の自分の状況が状況だけに、なんか考えちゃうんだな。
んー。なんかここまで書いてたら、無性にまた大富豪やりたくなってきたなー。とはいえなかなか人が集まるという機会もないし。ここはパソコンのゲームででもお茶濁すかのぉ?
「違うっ、こんなルールは認めねぇ!」ってツッコミまくって終わっちゃったりして。進歩ないです生きててすんません。