ブレーキを踏む人


 先日メールやりとりしてましたら、こんなコメント頂きまして。許諾頂きましたんでかいつまんで要約。

『ただ、自分としてはもっと早く「休まざるを得ない状況」を会社が作ってくれればよ かったのかな?と思うのですが、こんな考えは「甘い」のでしょうかね?なにしろ「嫌 とは言えない」性格ですので。』

 これ見てハッとさせられるものがありまして。

 確かに言われてみればそうなんですよね。例えばウツ。いきなりディープなもん例に出しますけど。以前に比べればそれなりに知名度もあったりしますけど、それでもやはりいざ自分がとなると現実味が無い、というのもまた事実。元々ウツ初期の自覚症状なんてあって無いようなもんですし、少々調子悪かろうが「あっれぇ?なんか体ダルいなぁ風邪でもひいたか?まぁ寝ておけば大丈夫だろ」程度にやり過ごしてしまう。結果、ずるずると気付かぬ内に時間が経ち、「明らかにおかしい」と本人も周りも気付いた時には既に遅し・・・みたいになってしまう。

 例えば燃え尽き(Burn Out)。毎日毎日死ぬ気で働いて働いて。常に全力疾走、もしくはそれ以上のオーバースピードでアクセル踏みまくってる状態が続いてる。でもこうゆう時って、自分自身では安全速度内に収まってるかなんてわかりゃしないんですよね。概して過信の方向に傾きがちです。本人ノリにノッちゃってますし。でもそこが燃え尽きの怖いところで。きっかけなんてホント些細ですから。周りにしてみたら(本人にしてみても)小石に躓く程度の小さなきっかけで、そのまま坂道を転がり落ちるように一瞬で精も魂も燃やし尽くしてしまうと。一寸先は闇の典型例。

 そりゃあ自分で「おかしいな」と気付いて自発的に病院行くなり仕事量セーブしたりすることができるなら、それに越したことは無いんです。そんな苦労する必要もないんだし。話ここで終わっちまう。

 できねーから問題なんであって。それも本人に自覚すらない場合(ウツを風邪と勘違いするのなんかいい例)、手の施しようが無いやんけと。どないすんねんこうゆうの。ということでこの辺を突付いてみたいと思うのですが。

 その前に、まずこうゆう初期段階での発見ができるかどうかの前提条件として会社組織が「原因が何であれ退職や長期離脱は困る」と考えているか否か、というのは、いくら使い捨てだのなんだ言われていながらも、依然として非常に強く作用してると思います。

 まぁ中には「人なんていっくらでも代わりいるんだよ。イヤだったらとっとと辞めろやボケ」なんて考え方してるようなトコもありますが、そんなところに社員を守るために何かをするということ自体全く期待もできない訳で。問題外の外。もし自分のところがそうゆう所であるのでしたら、お気の毒ですが己の人生守るためにも明日退職届出しましょうと。そうとしか言えません。

 その上で。ある程度のまっとうな組織であれば「退職?休職?そんなの困る困る困る」とうろたえるところってのが大半だとは思うんですよ。たとえそれが末端の一社員であろうが、一人に抜けられたら一時的/限定的であれその仕事は止まってしまいまう訳ですし。特に退職の場合はそれまでその人が蓄積してきた経験、ノウハウ、判断基準といったものを失ってしまう訳ですから、その人ができる人であればあるほど、少々倒れようが壊れようが離したくない、と考えるのは一般的な心理かと思われるんですな。

(それが行き過ぎて、入院先のベッドにノートパソコンと資料送りつけて仕事させたなんて実例もあるみたいですけど。ここまで行くと単なる馬鹿ですのでここでは除外します)

 ですので、最近はいわゆるメンタルケアや休職後の復職制度に力いれてる所もあるようです。産業医と契約し、定期的にカウンセリングを行い、病気治った後のアフターケアも大事にして・・・なんて企業も少数ながら存在するようです(参考文献:デキるヤツほどウツになるより)。

 が。なーんかひっかかるんですよね。

 もちろんこれらはこれらで必要なことですし、今後もどんどん推し進めて広げていって欲しいのですが。その一方で「それで足りるんかの?」と。それで冒頭の問いかけにつながる訳でして。

 確かにこうゆう対処は早ければ早い程効果的です。あくまで早期発見早期治療が大原則。じゃあそれがどれだけ組織内で実践できるか、に帰結するのではないかと思うんですが如何でしょ?

 ということはだ。自分たちの仕事のペースを乱さないために「おい、ちょっとペース緩めろ」とセーブさせるブレーキ役ってのがやはりどうしても欲しくなってきますよねぇ?

 特にウツとかの場合、本人よりも家族や同僚の方が早く「おかしい」と気付くことが多いってのはよく言われてることですし。逆に早期に手を打たなかったばっかりに致命的なダメージを受けてしまった、という例を挙げはじめたらそれこそ枚挙に暇が無い訳で。いい加減、この負の連鎖断ち切るための行動ってのが必要になってきてるのかもしれません。

 でも、ここで障害が発生するんですよねぇ・・・。組織全体で予防する方向に意識を持っていければいいんですけど、残念ながらまだそこまでは意識付けができないと。いまだに「ウツ?燃え尽き?そんなもん単なる怠け者の言い訳だろ」と聴く耳持たない糞爺さんもいっぱいいることですし。こうゆう輩はとっとと射殺しなきゃいけませんが本当にナイフでぐさぐさする訳にもいきませんし。当たり前だ。

 その場合どうしたらいいんでしょうねぇ・・・?

 うーむ。

 ・・・・・・・いかん。思考停止してしまった。例出すぞ例。

 例えば。若い人を味方につけてみるという手はある。元気いっぱいの新人クンとか、ちょいとしょぼくれ気味の新人さんとか。いや実際の話、「組織の思考に染まりきってない」第三者的視点ってのはすっごく貴重になってくると思うし。逆に「何年これやってるから慣れてるだろう」とか思っちゃうと逆に怖いですから。

 お昼時に話がてら、新人クン/さんに「疲れてそうな人っている?」とか聴いてみると、案外思いもよらなかった人の名前が出てきたりすることもあるはず。そこから糸を辿るように「最近どう?」てな具合にゲリラカウンセリングを敢行すると。さすがに自分たちで診断するのはまずいのでそこでは「こうゆう症例があるんですよ」程度に留めておいて、自発的に然るべきルートで相談/加療できるよう導いてあげる・・・。

 え?リストラきつくて新人なんかいない?賞味期限切れのおっさんばかり?

 だとしたらだ。えーとね。もしその場合だったら、ひょっとして既に過去にウツとかで休職したとかの経験者とかっていません?もしいたら打診してみるのはどうでしょう。「ブレーキ役」として抜擢すると。

(もちろんこの場合、無理矢理じゃなくって、自発的にご協力頂くのが絶対条件になりますけどね。ブレーキ役押しつけたがために再発したなんてなったら目も当てられませんから)

 これ自体、先に挙げた参考文献の受け売りでもあるんですけど。結局「限界超えた者の苦しみ」は超えたことのある人にしかわからない的な側面ってのがあると思うんですな。もちろんその体験は本人にしたら二度と味わいたくない地獄の苦しみでもあるんですけど、逆に通常ではなかなか巡り会えない「貴重な体験」の持ち主でもある訳で。

 もしその経験が「次の犠牲者を出さないため」に使えるのであれば・・・かなり強力なんじゃない?

 ・・・え?非現実的?できっこない?

 ・・・まぁできないできない言うのは勝手ですけど。それこそ上から指示あるまで何もせずに放置するつもりなのでしたらお好きにどうぞ、で終わりですし。

 でもねぇ。早かれ遅かれ、こうゆうメンタルケアとかが「いつかやればいいや」程度のプライオリティでは通用しなくなりつつある、というのは皆さんも感じてるんじゃないです?言ってしまえば「明日は我が身」と。いずれにせよ、なんらかの形で「ブレーキ役」の必要性が出てきてるような気がしますです。

 かつてはそれは上司とか先輩とかの役割だったのかもしれんけど、今のご時世の中ではみんながみんなが良くてガソリン、悪けりゃニトログリセリンでしょ?今やれすぐやれ早くやれ逃げるな休むな帰るなサボるな。こればっかり。エンジン焼き切れるっつーの。

 よく経営云々がとインチキ垂れ流してるエセ本の中で、「ストップウォッチ使って無駄な時間を計測した」なんてことが、さも美談のように語られてますけど。あんなもん所詮馬鹿の自己満足に過ぎない詐欺行為ですよ。「モモ」でも読んで人生の初歩から考え直しやがれボケ。

 今必要とされてるのは明らかに逆であって。どこに負荷がかかってるのか、どう取り除けばエンジンに余裕を持たせられるのか、を考え直す段階に来てるんじゃないですかね?いくら瞬間最大速度出せたところで、長く続かなきゃ意味ないんじゃねーのかね?

 こうゆう発想ができるかできないかが、体力差の形でいずれ差になりそうな気がするんですけどね。一方では犠牲者が出る前に普段から対策打っていざという時のショックを最小限に抑える。もう一方では犠牲者が生贄として捧げられて慌てて後追い対策に駆けずり回る。どっちがいいかなんて聞くまでもないよね?これおめぇらがさも普段知ったかぶって口にしてるリスクマネジメントとやらの基本中の基本よ?

 そんなこと位わからんくってどーすんだカスが、と最後はなんかいつものような煽りになってしまいましたが。

 ま、なんにせよまずは自衛から、その上で浸透、という感じですかな。

 つー訳で皆さん。仕事なんかしないでサボりましょう。知ったことか仕事なんか。遊べ遊べおらおらおら。

 え?最後の最後で論理破綻してる?いいんです、オチですから。おい。


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