みんな何かに怯えてる?
こんなくっだらない文章書きではありますがそれでも続けているからなのか。時にはいろんな方から様々なフィードバックを頂くことがありまして。その中にはいわゆる独立だの起業だの、要は世間一般的なサラリーマン世界をドロップアウトしてしまった方々なんかもいらっしゃって。
そうゆう方々からは、こうゆうお声を頂くことが実に多い。
「多少給料高かろうが地位が上がろうが、あの世界に戻る気は更々無いです」
まぁ確かにそうだろうねぇと。多少リスクがあろうが今の面白み・魅力を知ってしまっている以上は、そうゆう感情も抱いてしまうんだろうなぁ、と羨しさ半分妬っかみ半分(をい)で聞いていた訳で。
さて一方の私はというと、ついこないだ三度リーマンとして出戻りを果たしてしまった訳で。行ってきましたですよ初出勤。初日ってことでえっちらおっちらとスーツ着込んで。電車乗ってオフィス行って。お偉いさんと挨拶交わして。「それじゃ席のある開発室にご案内します」と促されて。いよいよですなぁ久々のリーマン生活。んじゃそれなりに程々にやっていきませうかねぇ。
よろしくお願いしま・・・・・・・・す・・・・・・・・・?
強烈な違和感が私を襲いました。あれ?なんだこの空気?
従業員さん全員が集合しまして。型通りの自己紹介とかやりまして。「んじゃよろしくお願いしまーす」「しまーす」と解散して再び皆さん席に戻って仕事始めて。私もあてがわれた席に着席して支給されたPCの電源入れて。それでもまだ消えない違和感。
・・・・・・?・・・・・・・・・なんだこれ。
PCの起動を待ちながら、周りをちらちら盗み見します。皆さん集中して仕事してます。靜かにキーボードを叩く音だけが響いてます。
数分間位でしょうかね。混乱した頭から搾り出すようにして、ようやくひとつの言葉が頭を過りました。予め謝っておきます。今からとんでもない暴言吐きます。それはとてもじゃありませんが絶対に口に出来ない言葉でした。
「ここってブロイラーの飼育場?それともブタ箱?」
新職場の従業員さんの名誉のためにもこれは明言しておく必要がありますが。むしろ今度の職場環境に関しては、充分及第点どころか合格点付けてもいい位だと思ってます。靜かで集中もしやすいし清潔だし。ですので極端な話、あのエンジニアのユートピアとすら言われているGoogleのオフィスに行ったとしても。同じ暴言を思いついていたような気すらしています。
じゃあなんでこんな暴言が脳裏を過ったのか。純粋な私の欲求というか本音というか素の感情がゴロリと出てしまったのか。思いあたるフシがひとつ。ていうかこれしか無ぇ。
「人の目の存在」そのもの。
己を振り返ってみますとこの1年弱、元々の性格+無職ということで家族と極一部の関係者さん以外とは口も利かなきゃ目も合わさない、そんな生活を送ってきました。で、それだけじゃなくて。その前1年間の前職では、個室をあてがわれ、一人でずーっとプログラミングしてました。つまり合算すること約2年。ずーっと「人に見られる(かもしれない)可能性」を考慮することの無い生活及び仕事をしてきた訳で。
んでもってそこにリハビリも無しに、いきなり皆さんの視線をダイレクトに浴びてしまった訳で。そこにテンパってしまったのかなぁ。そんな自己分析をしているのです。が。
それにしてもブロイラー、ブタ箱呼ばわりはねぇだろと。そう。そこなのよそこが肝。ひょっとして。先のフィードバックくれた方々の言う事ってのはこれのことなのか?ってことを強烈に意識せざるを得ない感覚が残ったんですよね。あぁこの事を言ってるのかぁ?てな感じで繋ってしまったと。
あったりまえの何を今更な話なんですが、企業つーのは営利目的の組織です。金を稼ぐっつー目的があり、それを達成する為に人々が集い、ミッションに挑んでいくと。
だからなのかな?そのオフィスに居る人々のダイレクトな視線に加えて、物理的には存在しない筈の、オフィスそのものを覗かれてるような、そんな強烈な視線というか気配というかプレッシャーというか。そうゆう得体のしれない空気を感じてしまって・・・。これ以上の言語的な説明は不可能ですねぇ。表現のしようが無いっす。
正直、ぞぞぞぞぉ、と背筋が凍りました。私自身は霊的な類はほとんど信用しないのでこの例えが適切なのかどうか微妙なのですが。約2年世間から隔離されてたからこそ、感じることができた、もしくは感じてしまった感覚なのかなと。それこそ丹波さん(故人)曰く「見ちゃったんだから仕方が無い」の世界に突入してしまうのかもしんない。
そりゃもちろん営利が目的である以上、内外からのプレッシャーはあって当然ですし、常に外から中からの「お前ちゃんとやってんのか?」的なチェックは働いて然るべきだとは思います。そこに打ち克つことができるからこそ、営利という目標も果せるのだと思います。思うんですけど。
それが果たして目的を遂行するための手段として意味を成しているのか、という意味では改めて疑問符をつけなくちゃいけないのかなと。そんな事を考えてしまいました。なーんかベクトルがズレてきちゃってんじゃねぇ?と。相互監視とか、同調圧力とか、そんな単語で片付けるには難解過ぎる、もの凄く複雑に絡みあった有形無形のプレッシャーの中で。それこそ全員が全員目に見える/見えない何かに怯えながら仕事してる。それこそブロイラーや豚の如く自己犠牲も厭わずに。
これがほとんどすべての日本中、いや下手すると世界中のオフィスに蔓延しちゃってると。デマルコ師匠は「ピープルウエア」でも「ゆとりの法則」でも散々この点に関しては言及してる筈なんですけど。それでも現実はより「最悪の方向」へと突き進んでるのかなと。どうしてもそんなことを考えずにはいられなかったですね。なんてゆーか。切なかった。
で最後にもうひとつだけ。
こんだけ仰々しく書き散らかしてきましたが。おそらく私自身が、この感覚を忘れてしまうと思うんです。時間の経過と共に。だって今までがそうだったもん。
偽装派遣で次の現場に飛される度に、会社が引越しする度に。似たようなことを実は感じていたのかもしれないです。んでも程度の差こそあれ絶対に忘れてしまうんだよな。視線だろーがプレッシャーだろーが、許容範囲を越えさえしなければ慣れてしまう訳で。ある意味「住めば都」つーのは真実。
でも、この感覚だけは何としても覚えておかきゃいけないような気がしてまして。せめてもの文章で書き留めておきたいってのが本心でございます。プレッシャーを「暴走」させない為にも。俺らはブロイラーでも豚でもねぇと。人間様だぞと。さて、こやつをどーやって手懐ければいいものか・・・・・。
こりゃあとんでもないモンを見たというか、感じてしまったのかなぁと。いっそのこと気付かなかった方が幸せだったのかもしれません。まぁ元々不幸がデフォルトだろという説もありますが。ほっといてくれ。