こんな2年を過ごしてました


 AM7:20。

 目覚まし2つが交互に鳴り響きます。起きます。前日何時に寝付いたとか、どれ位深く眠れたかとか関係ありません。起きます。

 寝惚け眼で着替えて顔洗って、台所に降りて朝食を準備。寝ている親父を起こしにいきます。朝だよー。起きなんねー。もぞもぞと体を起こす親父をまずはトイレに。

 これがあるから絶対に寝坊はできません。まずは起こしてトイレ連れていないと。予防としてリハビリパンツを常用しているとは言え、それでも安心はできませんので。寝坊してしまうと・・・えぇすごいことになりますよ・・・のっけから食事中の方すいません。

 そっから洗面台に連れていって顔を洗わせて。またテーブルまで連れていって、朝食を食べてもらいます。その横でわさわさと私もパン飲み込んで朝食を済ませます。

 食事が終わったら食後の薬。効率考えてしまえば、私が全部封切ってオブラートに包んで口に放り込んでしまうのが一番なんですけど。薬を飲むための一連の動作自体が手先のリハビリになるということで、時間のロスには目をつぶって本人にやらせます。無論飲み残しのチェックはしますし、最終手段としてはやはり無理矢理口に捩じ込みますがね。

 次に着替え。こちらも手伝いはしますが、基本は自分でやってもらう方針で。パンツシャツ上着ズボンに靴下。退院直後はこれだけで30分はゆうに費していたものですが、本人の練習の甲斐もあってか、最後の方は15分程度まで短縮されてました。人間ってどこまで経っても練習で上達できるもんなんですね。ここは私も逆に見習わないとなぁ。常にぶっつけ本番、私の人生。をい。

 AM8:30

 そうこうしてる間にデイケアセンターのお迎えがやってきました。おはようございますー。よたよた歩きの親父を玄関へ、そしてヘルパーさんの手も借りながら送迎の車まで誘導。今日使って貰う着替え、タオル、バスタオル、予備の下着、昼食の薬、連絡帳その他諸々の荷物一式も一緒にヘルパーさんに託して。

 んじゃ今日もよろしくお願いしますー。いってらっしゃーい。

 デイケアさんに関しては、本当感謝感謝に尽きますね。これ無しではわてら家族の生活が成り立たないです。ここはどんなに強調しても強調し過ぎることは無いでしょう。無理に抱え込んでたら、絶対に持たなかった・・・。

 って耽ってる暇は無いのでした。まだバタバタは続きます。本人が居ない間に部屋の掃除。漏らしてないかチェックして、シーツ替えて掃除機かけて。夜飲むお薬を振り分けてテーブルに置いて。そっから翻って自分の荷物まとめて、戸締り諸々確かめて。んじゃおしごと行ってきまーす。

 10:30頃

 てな訳でオフィス到着です。おはようございまーす。

 「おはようございまーす」

 他の社員さんはとっくに業務に入ってるので、生半可なお返事が帰ってきます。ま、そりゃそーだ。今の会社では就業規則で10時始業厳守、それ以降は遅刻ではなく欠勤扱いとなるのですが、私は介護による「特例」ということでで時差出勤/時短勤務が認められています。

 ていうかこの特例が無かったら、この会社にも入らず無職かフリーター続けてたんでしょう。何せ就職活動の時(今だから話せますが、この時既に介護しなからの就職活動でした)、某転職エージェントさんの部署総動員でローラー作戦かけて貰ったのですが、フルフレックスまたは10:00を超えての出勤が許される就業規則を採用してる会社が存在しなかったものですから。この特例にしたって交渉で無理矢理捩じ込んだとも言える訳で。

 ですので、その事を知っている人はともかくとして、知らない人から「なんでフジハラをクビにしねーんだ毎日毎日遅刻しやがって」的な話が何度かあったらしい、というのを知ったのは随分後になってからです。ま、人間だしね。やっかみがあるのは仕方無し。

 ってそんなこぼれ話してる暇は無かったんです。しごとしごと。

 PM2:00頃(不定期)

 んにゃ。携帯電話に着信が。デイケアさんからだ。この時は一瞬とは言え体の血液が止まるような緊張感を覚えます。というのも電話の内容によってこの先取る行動が変化するからです。

 まずは単なる連絡事項だった場合。書類お願いしますとか、◯◯してよろしいでしょうかとか。この場合は胸をなで下ろします。予定も変更無し。電話を切って、ついでにタバコ一本ふかして仕事に戻ります。

 次に軽度の体調不良が起こった場合。入浴の際に眩暈を覚えた、食事後に吐いた、トイレで転倒した等々が発生した場合に連絡が入ります。こうなると手持ちのタスクをなるべく切り上げて帰宅することになります。様子見と、異変があった場合は病院に連れていく可能性も考えなければならないんで。タバコ一本ふかして仕事のギアを上げます。

 そして最悪の場合。「すいません、すぐに迎えに来て下さい」うわー。こうなると〆切があろうがお構い無しに即時中止。早退して帰宅してデイケア経由本人拾って病院直行です。この場合タバコもふかせません。ちっ(そこかよ)。

#更に最悪なケースとして救急車乗りましたので・・・というケースも有り得たのですが、幸いにして実現はしませんでした。

 そんなことがあるものですから、目の前には仕事はある、でも不意にどうなるかは分からないから、頭の片隅では常に介護のことも考えておかなければ対応できない・・・どうしてもそんな働き方になってしまいます。というかそうやらないと働けなかったです。仕事そのものに100%集中できたことって、多分一度たりも無かったんじゃないかな。フロー?そんなもん夢のまた夢ですって。無理無理。私ゃ仙人でも達人でもありませんから。

 この感覚って、おそらく当事者にならないと絶対にわからない、もしくは掴めないんだろうなぁと思います。介護然り育児然り。現行法の制度も運用も不十分だからってもありますが、それだけではカバーできない感情的な阻害要因ってのも多々あって。まだまだ壁は高く厚く硬いです。

 ・・・ってまた主旨外れてるやん。戻す戻す。

 PM6:00-7:00頃

 「お先に失礼しまーす」「おつかれさまですー」

 特に連絡も無く、無事に一日が過ぎた場合はこの時間帯には帰宅を開始します。残業は余程の緊急事態でもない限りはしません。ていうかできません。「なんだフジハラの野郎一番遅く出てきたくせに一番早く(ry」の類の話は幾度か(ry。まぁ全社員中ぶっちぎりの勤務時間の短さですからね。どうしても目立ってしまいますが、致し方無しです。

 とは言え、私にとってはまだ一日は終わってはいません。殆どの場合は寄り道することもなく家まで直行です。今の生活になってからというもの、飲み会とか食事とかの類は完全に無縁になりました。好き嫌い関係無く、どうやったって時間捻出できません。

 家に帰ってから、まずは夕食を食べ終えていること(夕食に関しては早く帰る家族が準備してくれてます)、薬の飲み残しが無いことを確認。デイケアから貰った連絡帳も確認して、着替えは洗濯機に放り込み、明日の着替えやらタオルやらの荷物を準備。

 ここまでやってから自分の夕食です。横目で親父の様子観察しつつ、ぽつぽつと話とかもしつつで、有り物をかっ食らいます。

 PM9:00頃

 さて、そろそろおねむですかねー。病院に居た時も大体この時間には寝てたからなぁ。

 んじゃ準備しますか。着替えのパジャマを渡して着替えさせて。テレビ消させてコタツも消して(冬季限定)。寝る前のトイレ連れていってベッドまで付き添って。よっこいしょー。

 実は転倒のリスクが高いこの時間帯。一日の疲れと眠気が混じって足ふらついてるのですが、本人にはその自覚が薄い。ですので気が付けば、そこらでアマガエルみたくひっくり返ってるなんてことも度々。子供だったら放っておけばいいんですけど怪我も怖いですし。さすがに見ておかねばなりませんな。

 さて、んじゃ明日もデイケアだからねー。しっかり寝ときなよー。おやすみー。

 部屋の電気を消して。親父の一日がここで終わりました・・・ふぅ。安堵。自分も風呂入って、ちょっとだけPC向かってあれやこれやして。んじゃ明日も仕事だしとっとと寝ますねーおやすみー。

 ・・・・・・・・・・・・・・・。

 AM2:30(不定期)

 がっしゃーーーーーーーーん!!

 んはぁ?なにがあった?寝惚け眼でベッドを抜け出し親父の部屋へ。電気を付けると、アマガエルの如くひっくり返った親父の姿。

 どうした?あートイレ行った帰りに転んじゃったか。椅子につかまったけどダメだったと。ケガは?腰痛い?けど打っただけ?大丈夫?そっかじゃあまたベッド行って寝ますかよっこらしょおっと。うい、んじゃおやすみねー。

 はぁ。

 そーなんすよね。これがあるんですわ。やっぱり夜中のトイレとか、喉が乾いて水を飲むとかで、ベッドを抜け出すことがあって。その時に転んじゃったり、モノを落としちゃったり、後始末で叩き起こされること度々です。

 頻度的には親父の体調とシンクロする感じで変動してますね。調子良い時は何も起こらず朝までぐっすり、が続きますし。入院前には起こされること多いです。ある意味わかりやすいっちゃあわかりやすいんだけど・・・私の睡眠時間削られるのは正直厳しい。程々にしておくれぇ。

 んじゃ親父も再び寝付いたみたいなんで。私も再び寝ますね。おやすみぃ・・・。

 【そして冒頭に戻る

 

 

 


 とまぁ相変わらず長くなってしまい、かつまとまりもありませんが(文章リハビリということでご容赦を)。この約2年間の平均的な一日を思い出しながら書き並べてみました。そうだよなぁ。この生活を2年間、一日の休みも無く続けてたんだよなぁ。土日も祝日も盆も正月も一切関係無しの繰り返し。エンドレスエイトなんてメじゃねーぞ!こちとらエンドレスセブンハンドレッドサーティだぞゴラぁ!そこキレるところじゃないから黙れ>俺。

 自分で言うのも何ですけど。よぉできたなと。

 まぁ実際のところは、できるできないの泣き言すら許されず、ひたすらにやるしか選択肢無かっただけなんですけどね。お金もなかったし、手厚く見てくれるような施設には金銭的に手が届かず、かといって手の届くところだと待機人数ハンパなく、いつ入れるかどうかすらメドが立たない、なんて事情もありましたし。

 それでも最後の最後までほぼ家で介護できただけ、幸せだったんでしょう。本人にとっても家族にとっても。


 一部には既にご周知の通り、2009年6月27日に父が逝去したことで、介護生活は終了ということになりました。つまりはエンドレスでもなんでもなかった訳ですが。この2年間が長かったのか短かったのか。今の私には、まだわかりません。ぼんやりと考えながら、日々をドブに捨ててます。

 自分が死ぬまでに答え出るといいんですけどね。出なきゃ出ないで、それはそれ。

 え?言葉を濁してるって?そうとも言いますね。

 という訳で、実に1年と9ヶ月振りの更新はこんな言い訳に終始する形で進めさせて頂きました。こんなんなってました、という報告も兼ねて。あとは私自身がこれからどうするか、ですね。なにせこの間、介護以外のことは殆ど何もできませんでした。そんな中で突然にいざ「好きなことやっていいよ」言われても、何も思い浮かびません。そうゆう意味ではまだ虚無感からは抜け出せておりません。仕事続ける意義ですら、完全に亡失しています・・・その辺も含めて、まぁもう少しお時間頂ければと思います。

 あとは末筆になりますが、生前様々な形でご支援頂きましたこと、改めて御礼申し上げます。

 んでは〆とさせて頂きたく。オチとかも思いつかないんで。ていうか余計なことをするな>俺。

 合掌。


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