ですます。


 おことわり。今回話が二転三転します。肩の力抜いてお気楽に。

 という訳で第2回雑文祭、勝手に書かせて頂きました。説明しますと、 文章Web作ってる面々がある日突然、同じタイトル、同じ書き出し、同じ結びで てんで勝手に雑文を書いてアップするという、一種のイタズラでございます。

 あ、ちなみに本来でしたら文章書いたことを示すリンクを雑文祭 掲示板に張らなきゃいけないんですけど、本Webの性質上、控えさせて もらってます。自分からリンクを張るのはもうリスクが大きすぎるんですよ。 申し訳ないですがご了承を。

(98/12/27補足)・・・と書いたら「なんで?」と結構波紋を呼んでしまいました。 申し訳ない。現在、自分のページの宣伝はすべて自粛しています。その関係で リンクは張らない、というのが理由です。いろいろとありまして。 混乱させるような事を書いてしまい、申し訳ない。

 さて、今回のお題、
  タイトル:「寒い寒い寒い夜」
  書き出し:「その晩は近来まれに見る寒さだった。」
  結び:「寒くて寒くてしょうがなかった。」
 という訳で、前回の拙作をアップさせて頂いた、のですが。

 個人的には・・・う〜ん、ちょっと微妙かなぁ。結びに持って いくまでがかなり弱い。「やってもた」以降は蛇足になっちゃってるし。 なにせ題材そのものが反則技だからねぇ。あんまり人に見せられる類の 文章ではないかもしれませんな。

 それにしても。正直に言います。今回めちゃめちゃ書くの難しかった。 タイトル、書き出し、結び、この3つの縛りがあるだけで、ここまで 書けなくなるとは思いもしなかったです。たっぱ文章って難しいのね。 自分の実力の無さを改めて思い知らされましたよ。

 今回これ一本書くのにネタ考えるだけで1週間以上かかってます (布団の中で心臓押さえつつうんうん唸りながら考えてた俺、あほかも)。 紆余曲折を経てこの方向で書くって決めてから、実際に書き出す まで、さらに1週間かかってます。

 頭の中の筋道に添って文章書こうとするんですけど全然手が進まない。

 実はこの時点で私にとって第4の縛り、かつ最大の縛りが存在 してたんです。

 お題をよく見てください。書き出し・結びが「だった。」で 終わってます。文語体なんです。口語体(話し言葉)じゃない んです。

 確かに文語体は縛りだけにして、中身は話し言葉にしちゃう手もある。 ただこれだと(私の実力では)真ん中とはじっこで文章が分断されちゃう 恐れが多いにある。という訳で全編通じて文語体で書いたのですが。

 いやほんと、書き出してからが辛かったです。

 この「素晴らしき」でも日記でも、 私は常に話し言葉で文章書いてます。もうこれはクセに なってまして、どんな文章でもまず頭に浮かぶのは話し言葉。

 それが今回の場合、「口語体で思い付く」→「文語体に書き直す」と 2回文章思い浮かばなきゃならない。で、文語体に直してみると 文章ボロボロなんですよ。アップしたのは修正に修正重ねたものなので 幾分マシにはなってますが、その前のものなんて読めたもんじゃなかった ですから。

 んな訳で「書く→納得いかない→消す→書き直す」の永久ループに はまってしまった、ってのがこんだけ時間がかかってしまった原因です。

 ま、今回のはいわば「遊び」ですから、苦悩しつつも顔はにやけてた からいいんですけどね。単純に書いてておもろかった。第3回もやろっと。

 という訳で以上前置き。いいかげんこの悪いクセ直せや俺。

 普段Webとかの文章を読んでると、圧倒的に多いのはやっぱり 話し言葉です。理由はごくごくシンプルで、読みやすいから、 書きやすいから、ってところからだと思います。実際私が 話し言葉使ってるのも書きやすいってのが理由ですしね。

 (なお、こっからは「話し言葉」は本当に会話してる感じの 文章、というニュアンスでとってください。)

 ところが、世の中にはそうは思ってない方もいらっしゃるようでして、 たまにこんな意見に出くわすことがあります。

「話し言葉で書いてるような文章なんか読む気になれません。」 「説得力がない。相手に読ませようとしていない。」 「ふざけて書いてるように見えるしね。真意が伝わらない。」

 私これ始め冗談でこう言ってるのかなとも思ったのですが、 どうやら本気でこう思ってるようですね。文語体で書かれたのは いい文章、話し言葉の文章はふざけた悪い文章の典型的ステレオタイプ。

 ひょっとしてこの人達の中ではまだ第2次世界大戦終わってませんか? 両耳スピーカー押さえ付けて終戦サイレン響かせてあげましょうか? 鼓膜くらい破っといても罪にはならんだろ。

 話し言葉だろうが文語体だろうが、それはあくまで「手段」に過ぎない の。どう書かれてようが面白いものは面白いし、つまらないものは つまらない。それだけのこと。

 こんな初歩的な事今更私がここで書く必要すらないと思うんですけど、 いまだにこうゆうこと抜かすヤツがいるってのが驚きなんだよな。 あ、言っておきますが私怨入ってます。ページ初期とかにさんざん このセリフ言われてさ。「大変いいことを書いてると思います。 ただもう少し文章を丁寧に書いてくれるともっとはっきり伝わると思います」 とか言うな!大きなお世話じゃ! いいんだいいんだ、どうせ俺は悪文書きさ、しくしくいじいじ。

 ってそんなことはどうでもいいんだ。じゃあ書くなよ。

 さらに踏み込んでみるとこうゆう意見って、Web見慣れてない人程この傾向が あるかな、と思うんですがいかがなもんでしょ。具体的には Webにはエロしかないと思い込んでるような中間管理職 のオヤジとかね(しかしそうゆうたとえしかできんのか藤原)。 「コンピュータ見てる暇があったら新聞読め本読め!」と部下に 説教してるようなパターン。

 こうゆう輩にしてみたら確かに話し言葉のページ見ても ちゃらちゃらした印象しか受けないかもしれないし、そうゆう色眼鏡 で見てしまうんだろうなぁ、と同情もしてしまう。

 でもやっぱり、こうゆう表面的な見方って損するだけだと 思うんだけどな。中身見てナンボ。それから判断すると。 だから結局は何言ったところでこうゆう結論になる んじゃないですかね?

 「面白ければそれでいい。」

 これでいいんじゃないの?他に何か必要?

 とりあえずさ、もし身の周りにこうゆう輩いたら雑文祭に参加 してる文章サイト、徹夜させてでもムリヤリ読ませましょうよ。 その固定概念壊すにはこれが一番。

 目にモノ見せてやるわ。ってあんたが作ったわけじゃねぇだろ。 すんません。


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