あの白い物体が


 考えてみれば。常にそれは、その場所の「どこか」に必ずありました。

 それは会議室であったり、フロアの隅っこに佇んでたり。結果的にですが自分の仕事する席の横に配置されたいた、なんてこともありましたな。単に場所が狭かっただけの話ですが(笑)。

 でも、今考えてみたら、それの存在とプロジェクトの成否って。

 結構無関係とは言い切れないような気がするぞ?

 XP関係の本を紐解くと、どの本にも必ず登場するこの小道具、ホワイトボード。普段別になんてこたなく使ってるこれ、ちょっと改めて考え直してみましょうか。

 まずは単純に私の過去例を挙げてみますね。

・うまくいったプロジェクト(1)

 島があって、そのはじっこが私の席(赤)。その横にミーティング用の席があって、それを区切るようにしてホワイトボード(青)がありました。

 要は会議机の横ですから「うっせぇなぁ人が仕事してんのに」と思うこともしばしありましたが(笑)、こん時のプロジェクトは順調に作成、リリースされました。今も動いてるはずよ、こん時作ったヤツ。

 で、考えてみればこのホワイトボードはフル活用されてました。もちろん会議の時はそうだけど、メンバー間であーだこーだうやる時もこのホワイトボード使ってましたし、私自身煮詰まった時にはこれにラクガキしてました。

・うまくいったプロジェクト(2)

 これも(結果的には)うまくいったプロジェん時の座席配置。というかこん時は部屋が狭かったので、島一列とミーティング机置くのが精一杯だったんだよな、確か。2つのミーティング机の目隠し代わりとしてホワイトボードが置かれてました。

 こん時もなんだかんだでよく使ったよなぁ。誰かが煮詰まった時「おーい集合〜」なんてのが自然にできていた、ような気がします。

・うまくいかなかったプロジェクト(1)

 ま、正確にはうまくいかなかった、というのには語弊があるんですが。一応リリースにはこぎつけたんで。でも相当手こずりましたね。残業して休出して。ひーひー言いながら作った覚えが。途中一回倒れたし。

 でっかいフロアの中に何列も島があって、その端っこに私の席。大体ここから15m近く離れた場所に会議机があって、そこにホワイトボードが常備されてました。

 不思議なのは、実際にミーティングとかにはこの机まで歩いていくんですけど、この備え付けのホワイトボードを使う、という習慣がほとんど無かったこと。

 なんでだろ?

・うまくいかなかったプロジェクト(2)

 同じようにドでかいフロアに島が何列も。その端っこにぽつんとホワイトボードが置かれてました。距離は大体30m前後。

 これまでとの決定的な違いとして、ホワイトボードが会議机に置かれてない、という点にご注目。つまりこのホワイトボードは、スケジュール合わせとか電話番号一覧とかの書き出し(または紙の張り出し)に使われていたため、普段のミーティングでは滅多に使われませんでした。まぁいわゆる駅の伝言板状態ですな。何か書いてあるけど誰も見ずに通り過ぎ、みたいな。

 こん時も集まる時はまた別の位置に存在する会議室でしたかね。呼び出されるたびにてくてく歩いて。ホワイトボードも全く使った記憶無いや(他の人は書いてましたけどね)。

で、結果的にはこのプロジェクトによって、私は体を壊してプロジェ離脱、退職、となった訳で。無惨そのものでしたね。忌まわしき記憶です、いまだに。


 という訳でとりあえず4例挙げてみましたが。

 ホワイトボードがいつも使えた環境では無事リリースできて、使えなかった環境では遅れたりデスマーチ突入してると。

 果たしてホワイトボードの有無、距離、使いやすさといったものが、果たしてプロジェクトそのもの成否に重要に関わるものなんでしょーか?それとも単なるこじつけ考えすぎに過ぎないものなんでしょーか?

 先に結論の方書いておきましょうか。

「ホワイトボードが無いからといってプロジェクトがコケるという訳ではない。ただし、コミュニケーション不足というコケる原因の兆候として、ホワイトボードの利用度は大きく左右されている」

 というのが、今現在のわすの最終的な考えです。

 つまりコミュニケーション不足という要因が、ホワイトボードが活用されてないという事実を産み出してるということだと思うんですわーな。

 これがどうゆうことか。順番に書き出してみましょうか。

 そもそもホワイトボードの使い出として圧倒的に多いのが、「数人でホワイトボード囲みながらあーだこーだと言い合う」というシチュエーションでの利用だと思うんですよ。

 今まで出てこなかった問題点の洗い出しや解決策の模索。体裁もへったくれもなく、思い浮かぶことを書き殴ることで、その場にいる人間での「共通認識」を作りあげていくと。

 つまり、ホワイトボードに書かれた書き殴りってのはあくまでメモリの一時スワップに過ぎない程度のもんで。メインはそのメンバー間の中での会話であり、考えのすり合わせの方なんですな。

 で、考えてみれば。結局はプロジェクトが最終的にうまくいったかいかなかったかは、この「共通認識」をいかに増やしていくか、かつ強固にしていくかってのが最終的な成否のカギ(のひとつ)になるんじゃないかな?と思うんですな。

 だって思い返してみなさいって。たかだかA4数ページの文章でさえ、読む人次第でいくらでも誤読される危険性があるってのに、それがキングファイル1冊分とか30冊分とかなってみ?誤読生みまくり考え違い起こりまくりなんて当たり前のことじゃない?今まで何回それでケンカしたよ?(笑)

 で、実際にシステム開発の場合、こうゆう些細なすれ違いが致命的な障害起こしたりする訳でしょ?

 それを防ぐ、というかこうゆうすれ違いを埋め合わせるために使われるのが質問であったりミーティングであったり、つまるところの「会話」なんでしょーが?その会話をよりスムーズに進行・理解させるためにホワイトボードとかを使う、ってことになるんじゃないの?

 で、念のために補足しておきますけど、メンバーが自発的に始めるミーティングと、強制的に駆り出される「儀式的会議」はまったくの別物なんで注意してくださいね。つーか後者は百害あって一利無しミサイル打ち込んででも撲滅させろ。極端だな>俺。

 組織云々じゃなくて、いかに自発的に、言い換えれば必要に応じて臨機応変に集まれるか、会話ができるか・・・・ってのがそのプロジェクトにおけるホワイトボードの存在価値にも、反映されてるんじゃないのかな?

 ・・・てなことを最近考えてたりしますな。


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