09:15の儀式
XPのプラクティスや推奨事項の中には「なんだ。別にそれ今更新しい訳でもないじゃん。昔からずーっと言われてるけどできなかっただけで。ていうかすんなりできりゃそんなもん誰も苦労しねーよ」的なモノも結構ある訳で。
てな訳で今回のネタはスタンドアップミーティングなのですが。これも特に目新しいとかそうゆう訳じゃないですよね。ずーっと前から結構頻繁にいろんなところで話出てる。
で、これ実は既に経験済です。前の常駐先で強制的にやらされまして(笑)。んじゃ始めに感想書いておきましょうか?素直に。シンプルに。
(・∀・)イイ!
顔文字使うなよ>俺。
いやね。信じられない、と言う方もいるかもしれませんけど。このプラクティス(まぁ正確にはプラクティスじゃないんだけど)、ちゃんと使えば、確実に機能します。ちゃんと使えば・・・ね。
含みを持たせたところでちょっと体験談を書いてみようと思いますが。
とある常駐先に合流した私。そこのまとめ役の人にこんなことを伝えられたんです。「ここでは毎朝9:15に軽いミーティングを行ってますので出席してください。」てな感じで。
もちろんその時の私の反応は「えーーーーーーーっ」というものでした。だって毎朝集まるなんてめんどくせーの一言じゃん。週一のミーティングでさえ意義を感じないことがほとんどなのに、それをここでは毎日ですか?そんなことして何になるんだよー、と不満たらたらでの参加だったのですが。
ところが。これが実際にやってみると意外とラクなんだ。作業を進める、という意味合いにおいて。
まず朝、どこからともかく人が湧いて出てきます。会議室とかミーティング机に集まるという訳ではありません。それこそ誰かの机の周りに群がって、という感じで。周りから見たらそれこそミーティングというよりはただの雑談(笑)。
で、始まるとまず「その日の連絡事項」が簡単に告げられます。今日□□さん休みですとか、今日の3時エレベータ止まりますとか。使われるのはせいぜい1、2分。
その後、参加者各自が「これから何をやるのか」てなことを簡単に述べます。それこそ一人頭30秒〜1分位ですかね。これによって「この人は今何をやってるか」というのを把握していくと。
で、肝はここからです。ある人がこう言います。「で、今ちょっとここで決めかねてるところがありまして。○○さんと××さん、すいません後で時間貰えますか?」○○さんと××さん、その場で「いいですよ」と返答してこの場ではその話終了。
↑ここが素晴らしい。問題点の解決を試みるのではなく、問題点をいつ解決しようか、ということだけに議題を限定してる訳です。ここ重要。ノート取っておけーテスト出すぞー。
これを各人廻していって、合計せいぜい10分位ですか。これでおはり。「じゃあ宜しくお願いしまーす」と散り散りになっていきます。さっき呼びかけた人と呼びかけられた人は資料片手にミーティング机に向かっていきます・・・というのが毎朝の恒例行事でした。
いやね。「世の中の会議の99%は不要説」を声高々に叫びまくってる私がこんなこと言うのもなんなんですけど。これは非常にうまく機能してましたよ。他の人の状況がこれで大体頭に入りますし、何よりも忙しそうにしてる人の作業中断させて教えを乞うようなストレスから解放される。かなりデカいですこれは。
割り込む側ではなく、割り込まれる側からしてもこのメリットは大きいです。いきなりやってこられて質問されるのと、予め予告された上で質問されるのとではそりゃあ全然違いますよ。作業が中断されない(自分で調整できる)のもありがたいし。そのちょっとの間に質問される側が「より優れた答え」を用意できる、なんてこともありますし。
まさにXPで言うところのコミュニケーションですよね。スタンドアップミーティングが「その場」になるのではなく「きっかけ」「触媒」として機能していくと。
さて。じゃあここまで読んで「そんじゃあウチでもスタンドアップやるぞー。毎朝集合だー!」と息巻いてるそこの貴方。
ちょいと待った。話はまだ終わってない。まだ続きがあるんだ。今からそれを話しましょうか。
その後も毎朝のミーティングは続いていきました。しかし、時が経つにつれ、当初感じていたメリットは薄れ、代わりにデメリットが頭をもたげるようになってきました。
まず、この風景を見ていた上司(直属ではなく、さらにその上の上司)がこんなことを言い出しました。
「せっかく集まってるのに議事録を取らないとは何事か」
その次の日には議事録当番が決められ、当番の人は各人の喋ったことをひたすらメモ、終了後時間をかけて議事録を作成、展開ということが行われるようになりました。
次にプロジェクトの進行が思わしくなくなると同時に、次々に人員が投入されるようになってきました。するとこんな苦情が出てきました。
「そんなところでやられちゃ適わん。会議室でやってくれ」
毎朝会議室が確保され、ミーティングはそこで行われることになりました。イスに座るようになってしまい、時間が長くなってもいいようになってしまいました。
そしてトドメは上司さん(同じく直属ではない)のこんな一言でした。
「このプロジェクトの進行がかなり危うい状況です。したがって私も参加します。ユーザさんとか周りの方々に関してもできるだけ参加して頂きます。日々の問題はここで解決することにしましょう」
こうして、毎朝毎朝、各作業担当者は各問題点を、その場で発表、解決しなければいけなくなりました。出席することが苦痛となり、皆が皆、理由をつけては欠席するようになりました。
こうして、毎朝10分のスタンドアップミーティングは、毎朝1時間半の存在意義の無い、会議の名を借りた『儀式』と変わり果ててしまったのさ。
ちゃんちゃん。めでたしめでたし。
さて、どうでしょう?スタンドアップミーティングの光と影。おわかり頂けましたか?
ちなみに今思い返してみると。別にミーティングに上司とかがしゃしゃり出てくること自体は別に悪いことではないとは思うんですよ。それこそ「出たいんなら出れば?」でいいと思う。ただその過程の中で、本来の目的であった「コミュニケーションの触媒」の意義が歪められてしまった。これが結局最大の敗因になってしまったのではないでしょうか。
という訳で改めて教訓なのですが。
スタンドアップミーティングは、使い所を間違えなければ絶対に機能します。それは体験的に保証します。
ただし、それは決定のための会議ではなく、そこに至るまでのコミュニケーションの触媒である、という点を強く肝に銘じるべしです。
従って、これを阻害すると思われる要素に関しては徹底的に駆除してください。具体的には、
- 議事録禁止。どうせ残したって利用価値無し。その場で喋ること、聞くことの方が大事。
- 座るな。会議室なんぞ言語道断。1分長くなる度に、ミーティングの価値は25%づつ損失するものと思え。
(*ただし体調が悪い、そもそも立てないという場合は当然例外です)- 喧嘩議論は余所でやれ。もしその場でやらかしたら、蹴飛ばしてでもその場からそいつらをつまみ出せ。
- 『儀式』にするな。それやる位だったらミーティング止めろ。
こんな感じで。冗談抜きで、こん位の気持ちでやる必要があると思いますよ。
逆にこの程度のことでもできないんだったら、まぁお前ら素人は週一回3時間の進捗会議でも開いて居眠りしてなさいってこった。
吉野家コピペかよ>俺。
んー。でも。ここまで書いていて思ったんですけど。ひょっとしてスタンドアップミーティングが各所で推薦されている割には、XPの正式なプラクティスとしては挙げられていませんよ、と。
これはやはり、ミーティングが『儀式』と化してしまうことを恐れてのことなのかな?実際、包括的なアジャイルの場合、これでもかとばかりに推奨されている項目だったりしますしね(詳細は「アジャイルソフトウェア開発」参照)。
もしそうだとしたら・・・やはり侮りがたし、だな。