お師匠さん。
どーも前回ちと暴走気味だったらしく、「何かあったんか?」みたいなレスポンスを頂いてしまいました。まぁいつものことなんですけどね。何回でも言いますが慣れろ。それで終わりかよ>俺。
ただ、毎回毎回叫び散らしてたら脳溢血が怖いんで今回は基本的に落ち着きモードで。ただでさえ血圧高いからのぉ。一番ピーク時で155-95。今は138-78位まで下げましたけど。これ面接とかでネタがてらに話したりすると(何せ退職理由が退職理由ですから)、40代とか50代のおっちゃんとかに「ありゃま若いのに」と驚かれる・・・。まぁこのおかげで残業が習慣になってるような企業からはことごとく不採用通知受け取ってるんでいいんですけど・・・。
え?本題行け?はいはい。
突然ですが日頃デスマーチに苦しんでる皆様。
皆様にとって、「師匠」って誰ですか?
言っておくけど茶化し無しよ。今の自分の礎になるであろう、イロハを教えてくれたお師匠さん。そうゆう方っています?
中には「今までも俺はすべて一人でやってきた。これからも一人でやっていく」と断言される方もいらっしゃるかもしれませんが。特に私のようにこの世界入ってきた職業PG/SEさんなんかの場合は、大抵の場合こうゆう師匠格に当たる人ってのが一人か二人は脳裏に浮かぶのではないかと思います。例えば研修の時に講師してた先輩であったり。初めてのプロジェクトでチーム組むことになった別会社のメンバーさんだったり。シチュエーションは様々でせう。
まぁ別に師匠という言葉に拘る必要もないんですけどね。先生でも先輩でも兄貴でも、好きな呼び名で呼べばよろし。最後のは意味次第によってはひくけどな。今回はそんなお話。
私自身も例の如く、この業界に入ってから(=就職してから)の職業プログラマな訳なんですが。なおかつ、研修もそこそこにいきなり1ヶ月目からいきなり孫請けの派遣として放り出された典型的人材飛ばしだったりする訳ですが(今のご時世、これをやる会社は80%以上の確率でアウト)。
ただ、そんな中で「これが良かった」ということもありまして。そのひとつがこのお師匠さんの存在だったりするんです。
ひとりめはAさん。孫請けの仲介に当たる(いわゆる子)会社に所属してた協力会社の方で、私が一番最初のプロジェクトでエース張ってた方。私の直接の上司兼世話役兼教育係となってくれたのがこの方でした。
そん時はUNIX Cの簡単な実装のお仕事からだったんですけど。まー叩き込まれましたね。いろいろと。一応独学ではそこそこ学んだりもしてましたが、やっぱ実践ならではのノウハウとかに関してはそれこそAさんに1から10まで教えてもらいました。ついでに派遣の世界での生き延び方的なノウハウも一緒に教えてもらいましたです(笑)。
ただ私にとってよかったのは、Aさんがいわゆる「押しつけタイプ」では無かったということですか。「わかるんならやってみればー」的な突き放しタイプ。当時の血気盛ん(ジジイみたいな表現だな)な私としては非常にありがたかった。結果としては私はAさんのおしごとを見よう見まねしつつ、プログラミングの基礎、システムの基礎といったものを学んでいったんだと思います。
そしてもう一人のお師匠さんであるBさん。同じく私の一番最初のプロジェクトのプロパーさん&PMだった方です。
元々プログラマとしても先のAさんに負けず劣らずの知識/経験を持ってるエース格なんですが、まぁいわゆる年功序列の形でなんでしょう、マネージャークラスに上がって私やAさんに指示を出す、という立場でした。
始めのウチは技術に振り回されるのが精一杯ですから、現在の組織がどーだ進捗がどーだ、的な部分に関してはマッタク無頓着なまま月日が流れていくんですけど。半年経ち、一年経ちでだんだん周りが冷静に見え始めてきた頃から。
だんだんとBさんの持つすごさってのがわかってきましたね。何気ない言動から出てくる正確な判断。現状の把握度合いから取られる次の一手。かつチームの志気や雰囲気を壊さない人間性。当時の私には絶対真似できないであろう言動/行動でした。つーか私の場合、今を持ってしても怪しいもんだ。こちとら人間のクズですし。
プロジェクトに関わる人間が、組織の一員として、または個人としてどのように動いていくのか、それを把握していくのか、のノウハウの源は、私の場合Bさんの立ち振る舞いからかなり影響を受けているような気がします。
無論私のことですから、時には衝突したりもしましたが(笑)。終わってみればBさんの下でやらせてもらったプロジェクト、大小問わずすべて期限通りのリリース達成でしたもん。そりゃある程度の残業とかはありましたけどね。そんなもん後に喰らうことになるデスマに比べりゃ可愛いもんですわ。それだけに今更ながらBさんの能力に恐れいってる自分がいたりする訳で。
そんなこんなで、時には中断期間を挟みつつ、トータルで4年半位ですかね?AさんやBさんの背中を見つつ仕事をこなす日々を送っていました。その後まぁ自社の都合とかもあってまた別のプロジェに送られて。エースに祭り上げられたりもしつつ、デスマにはまってみたりしつつを経由した後、今こうしてここに無職の私がいます、と。
あかんやんけ。
なんでこんな話を今更のように蒸し返してきたかと言いますと。
最近また「ソフトウェア職人気質」を読み返す機会がありまして。そりゃあ無職だしねぇ、時間だけは売るほどある・・・あ、それはいいですか。
で、これを初めて読んだ時にはこんな悪態もついたりしてたんですけど。この時に言ってた「職人がいねぇ」的状況は相変わらずだと思うんですけど。
こと私に関しては実は恵まれてたんかなぁ?
なーんてことを思うんですな。今になって。ホント今頃だけど。
職人気質に照らし合わせて当時の自分を見てみれば、私にとってのお師匠さんの2人が間違いなく「熟練職人(クラフトマン)」なんです。私がそこで腕を磨く「アプレンティス」。さしずめ私やお師匠さん以外のメンバーの人達とかが「ジャーニーマン」となるのかなぁ、と。
無論当時はプロジェクトが終わるたびにハイ解散〜、次のプロジェクトに集合〜。てな感じで、ひとつのチームの中にソフトウェアが留まるということはありませんでしたので、完全に「職人気質」的なチーム構成ができていたという訳ではありませんが。
こと範囲を教育という一点に絞ってみた場合、結果論ですけど、この図式に乗っ取っていたことによりうまくいった側面もあるのかなぁと。職人気質を読み返しながら、そんな考えに至りまして。
今こう思うのって、私が今無職だから、というのは確実にあると思います。現状取り組まなきゃならない問題も特になく、ただひたすら過去の出来事の整理に時間を使える。そんな脳味噌の使用状況だからこそ思い浮かぶのかなぁ、と。ぶっちゃけ、過去に文章書いた時は、自分のデスマ的状況が目の前にあるすべてで、それまでの状況なんててんで頭にありませんでしたから。
ということは、だ。逆にこんなことも言える訳で。
こういったことでさえも振り返る余裕さえ与えない、それこそ目の前の状況だけに押し潰されるデスマーチ的環境や心理的影響って、相当ヤバいんじゃないの?と。
良くも悪くも(まぁ95%以上は悪いんだけど)、デスマ的環境って視点がすべて「今どうするか」に集約されてしまうじゃないですか。教育?モラル?健康?そんなん知ったことか納期がすべてだ働け働け!これが全てになります。
現に去年の私がまさにそうだった訳で。本来であれば、去年この本を読んだ時に、今回のこの思い出話をしなきゃいけなかったはずなんだよ。でも当時、そんなことなーんもなかったよね?現状を嘆くだけ。八方塞がりな状況に飲み込まれるのみ。
そう考えたらねぇ。改めて当時のこと思い返して冷や汗かきましたよ。未だに胸がきゅーっって締め付けられます。きゅーって。ほらほら。触ってごらんきゅーっきゅーっ。
ごまかすな。ウケに走るな>俺。
やっぱさぁ。結局最後はいつも同じ結論になっちゃうかもしれないけど。デスマーチって誰も幸せになれないよなー。巻き込まれる開発者や管理者、顧客の現在はもちろんのこと、その将来までも含めてすべてを破壊に追い込んでしまう。
考えなきゃいかんぜ。人として。かつ職人として・・・か。
つー訳で改めて「ソフトウェア職人気質」、お勧め本として挙げておこうと思います。そしてできましたら私の反省も込みで、お読みの皆さんの過去や現在の状況とも照らし合わせながら読んで頂けると、さらに幸い。
そうして頭に残ったものを、いかにして「次」に繋げていくか、が大事だと思いますんで。
今回、オチは無しで。断るな。