用語解説「デジタルドカタ」
きーんこーんかーんこーん。がらがらがら。
はいおはよー。時間だぞー席につけー。あい日直よろしくー。起立ー礼ー着席ー。
という訳で今日私は先生役ですから。君ら生徒ね。はいはいそこ何をおっぱじめるんだとか怪訝な顔しないー。これ書く直前にスペ中見てただけだろとか的確な分析をしないー。先生の発想力なんて所詮そんなもんですから気にしないっと。パクれるもんはパ〜ク〜れ〜。
こほん。
あーさてさて。皆さんも事前に今回の授業タイトル見て面食らった方も多いのではないかと思います。実際以前にも、
「よりによってドカタとはどうゆう了見だ」
「書き手としての良識を疑う」
「てめぇに職業としてのプライドはねぇのか」
「本物の土方に失礼」などなど、いくつかの意見などを頂いております。無視してるけどなわっはっは。笑うな。
いやね。確かに「じゃあ使わなきゃいい」と切って捨てるのは簡単なんですよ。キチガイ然りクルクルパー然り。でもね。それじゃああまりにも意味が無いじゃないですかと。その言葉が出てくる理由を掘り下げていくことでその背景が見えてくるかもしれないじゃないですかと。じゃあそれを皆さんと一緒にお勉強していきましょうという訳なんです。
んじゃまずはこちらをご覧ください。ほーい。
土方(どかた)
「土木工事に従事する労働者。土工。」(infoseek辞書より)まずはデジドカの継承元、本来の土方の意味になります。あまりにも簡素的な説明ですよね、これ。
で、実は土方=差別表現、というのは実は短絡的な判断に過ぎない、という側面もある訳で。例えば俗に言う放送禁止用語云々というのも言葉単位で明確に決められてるものではなく、単純にNHKなどの各団体が自主的にルールを決めているに過ぎません。
その証拠に実際にこの職業についてる方が、己のプロフェッショナルを誇示する意味合いで「ドカタやってます」なんて言うこともあるそうで。もちろんこの場合は否定的なニュアンスは含まれてませんよね?この傾向は鳶とかでも見られると。
となるとあくまでニュアンスは言葉自体にある訳ではなく、その使い方次第、ということが言える訳ですね。これ今日のチェックポイント。
んじゃ。これを踏まえた上でこれを見てみましょーかね?黒板に注目ー。
・・・あれ?書いてないじゃん。おーい副担(以降スペ中見てないと解らない小ネタが続いてしまったので編集時削除)。
まぁ言葉としての歴史も無いでしょうし。厳密に定義できる訳でもないですしな。んじゃちょっと先生が独断で書いてみます。えーチョークチョーク。
デジタルドカタ
「プログラマ、SE等IT関連職の労働環境や社会的立場の劣悪さを 土方等の肉体労働に例えた蔑称。(略称)デジドカ。デカタ。」(Throughによる仮定義)えっとこんな感じになると思います。まぁあくまで仮定義ですので言葉云々しっかり定義したいのでしたら他所でやってください。
さて、ここで皆さんに質問でーす。ここまでちゃんと授業聞いてたならすぐにわかると思います。ドカタとデジタルドカタ、このふたつの単語の決定的な違いとは何でしょう?
はい、そうですね。ドカタはその使い手によってプラスにもマイナスにも触れますが、デジドカの場合はそうはいきません。まず99%、否定的意味合いです。
親のドカタクラスから子のデジドカクラスが継承されるにあたって、親の持つ否定的ニュアンスのみが引き継がれ、肯定的ニュアンスはすべてnullリターンでオーバーライドされてしまった、と説明すれば理解できますでしょうか?なんつー説明だよという説もありますが。
で、さらに。こう考えてみると、さらにもうひとつ、ドカタとデジドカとの違いが見えてくるんですよ。はーいんじゃこれわかる人ー。
・・・・・・いませんかぁもうちょっと頑張って欲しいけどなー。んじゃ正解行きまーす。
ドカタはいわゆる外部の人、無関係の人から否定的ニュアンスで使われるのに対し、デジドカの場合は内部からの声が圧倒的に多い。
ドカタの場合ですと、
「やかましいこのドカタ野郎!」by赤の他人
となるのですが、デジドカの場合、
「所詮デジドカだからな・・・」byプログラマ
となってくる。とことん自虐的なんですね。どうです?興味深いでしょ?ここに目をつけると、何故にデジドカがデジドカと揶揄されるのか、てのが見えてくる・・・
きーんこーんかーんこーん。
お、もうこんな時間か。んじゃ続きは休み時間挟んで、次の時間でー。
<休み時間中/くわえタバコの雑談モード>
なにもこんなところまでパロにせんでもええだろとも思いつつ。
まぁ実際の話、この手の話題って実にデリケートだったりするんですけどね。内容云々以前にドカタだから駄目キチガイだから駄目、で切りつけてくる輩も少なからず存在しますし。それが怖いから雑誌とか書籍とかでも絶対にこの手の単語は出てこない(だからこそWebが生きてくる訳ですけど)。
でもそれって結局そのこと自体が問題から目を逸らしてるだけ、ということにもなりかねない訳で。これはこれでマズいよね?という意味合いもある訳ですな、と。
自分自身デジドカという単語は口にしますし耳にします。少なくとも関係者内での認知度はそれなりにあると。じゃあなんでそうなっちゃったのよ?というのは辿っていく意義あるんじゃないかな、と思いましてね。
まぁ続きは次の時間で展開してみましょーかね。休み時間3分って短ぇよ。んじゃ行きますかー。
きーんこーんかーんこーん。
はいはい席についてー、こらそこ「先生タバコ臭いー」とか言わない。
まぁそれはさておき。前の時間でデジドカという単語があくまで自虐的なこと、外から攻撃するというよりは自らを痛めつける、自傷行為的なことばである、ということを学んだ訳ですが。
じゃあその根拠はどこから来てるの?ということからこの時間は進めていこうかと思いますです。んじゃ黒板注目ー。
- 体力/精神的負担
- 報われない
- 将来的な閉塞感
とりあえず大項目として3つ先生挙げてみました。じゃあちょっとここでケーススタディやってみたいと思います。これら各項目について、思い当たる具体例を書いて先生に見せてくださいー。はじめっ。
(ちゃかちゃかちゃちゃちゃ〜とBGM鳴らしつつ5分経過)
ほいほいいろいろ出てきましたねー。じゃあちょっと順番にやってみましょうか。いちいちひとつづつやりとりしてたらキリがないのでまとめて出します。
・体力/精神的負担
まずはこれ。ほい。
「残業続き、休日もあってないようなもの」
「体も心も休まらない。」
「増える仕様、増えない納期、プレッシャーに常にさらされる」
「心身破壊率トップクラス」なんだこの破壊率って?あー体壊した+心壊したで就労が不可能になった人の発生率ですか。確かにそうかもしれませんねぇ。この手のヤツは何分正式な統計が無いので断言することはできないのですが、それでも増加傾向にあるのは容易に推測できるでしょう。先生の周りでも過去に■■■■で■■■■■■■から■■■■■■■■■■たから。
え?なんかマズいこと言っちゃった?まぁいいやピー入れといて。
まずは体力的負担からですね。これは言うまでもなく長時間労働が挙げられるでしょ。徹夜残業休出当たり前。寝る時間とクソする時間以外はすべて労働、という世界。俺は400時間いやいやワシは450時間なんて馬鹿がごろごろしてます。労働基準法なんてここでは鼻糞以下の存在意義。労基局なんざウンコにたかるハエ位にしか思われてませんから。悔しかったらもっと動け>労基局。
で、ここは逆に知らない人からツッコまれるところなんですけど、お前らパソコンの前で座ってるやないかいどこがしんどいんだボケと。しかし実際には同じなんですな。長時間同じ姿勢を強いられることは長時間動き続けるのと同じ位、体のありとあらゆる個所に負担を強いられます。言葉としてはどっちも「キツい」んですねと。この辺からドカタ→デジドカの継承関係が産まれているのかもしれません。
一方の精神的な負担が高いというのはホワイトカラーとしては共通の悩みどころなんでしょうな。元に戻すタイミングが無いからずるずるといっちゃう。気がついた時にはもう手遅れ。
・報われない
んじゃ次、これ。
「なんのためにこれ作ってるのか理解できない」
「言われた通り作っても評価が得られない」
「散々こき使われた挙句あっさり切られる」
「所詮使い捨て。早く逃げたい」なんか切羽詰まった人がいますねぇ。人のこと言えませんが。
まぁこの辺の切実さ加減についてはここでうだうだ言うよりも本校推薦図書である「窒息するオフィス」読めば、イヤになるほどわかってついでに自分も首吊りたくなること必至なんですが。
元々慢性的な長時間労働でそれでなくてもかなりの時間や体力を費やしてるのに一向に報われない、それどころか役立たず扱い。終わったら終わったでポイと捨てられて。これが潰れるまで延々と繰り返し。
これじゃあ悲観論に傾いて当然だな、的な諦めがどうしてもでてきてしまいますわね。
・将来的な閉塞感
んじゃ最後これ。時間押してるんでサクサク行きます。
「一生このままのような気がする」
「上に行っても下にいてもロクなことが無い」
「IT自体斜陽産業」
「将来ホームレスになってる自分が思い浮かぶ」マシンルーム内で仕方なしに仮眠取ったことあるんですけど、意外と段ボールって暖かいんだよ。床が堅いのはどうにもなりませんが。何の話だ。
でまぁここまで来るともはや夢も希望も見えやしねぇ、八方塞りな状況になってしまいますねぇ。いちいち掘り下げる気にもなりませんなぁ。
ただでさえマイナス思考ってのは恐ろしいもんでして。一旦転がっちゃうと、冷静な判断もクソもなく、どんどん坂を転げ落ちるように加速していきます。先生もかなり筋金入りの悲観主義者ですから気持ちはよーくわかる。わかるぞぉ・・・な、泣いてなんかないやい、ぐすんぐすん。
さて。これだけの現状を踏まえてみると、なんか自分達が自分達のことをデジタルドカタ呼ばわりしてしまう心理状態、というのもなんとなく感じてきませんかね?ということでまとめに入りますが。ノート取っておきましょう。
「自分達が不満を抱えているのに、その不満が外に行くのではなく内面に向かってしまう。それも鋭い刃の如くエグい言葉で。」
自分達のことをデジドカと卑下してしまうこと自体が、完全に自傷行為になってる、という側面があると思うんです先生は。極端なことを言ってしまえばリストカットと一緒。
「自分はこんな苦しい思いしてるのに、なんでわかってくれないんだよぉ!どうすればこの思いわかってくれるんだよぉ!!」
決して嘘ハッタリの誇張表現ではなく、純粋な苦しさの表現として、とことんネガティブな意味での「ドカタ」を選択してしまっているのでは、と考えているのですがいかがでしょうかね?
もしそうだとすると「デジタルドカタ」という単語を自ら発すること自体が、相手に対してSOSを発信しているということになりませんかね?
私自身この単語は幾度と耳にしてきました。で、その時の情景をよーく思い出してみると。
目が死んでるんですよね。ほぼ例外なく。そこに「生」の感情を見つけることはできませんでした。先生自身が「所詮デジドカ」発言を連呼していた時も、同じように死んだ目をしていたかもしれません・・・。
あ、ちょいと語ってしまいましたね。失礼失礼。
しかーし!ばんばん!わざとらしく机も叩くぞぉ。
過去のことはいざ知らず、これからもデジタルドカタのままじゃ当然未来なんか、いや、未来どころか今現在すらも既に無いということになりかねないんでありますな。当然食い止めないと。
具体策に関してはたくさんあるでしょうし、それこそどれが有効かなんてのはその人次第でしょうし。でもね。手を打たないといいかげんマズい、という危機感だけは伝わってくるような気がしてきませんかね?
とりあえず。今回の授業受けられた皆さんは、これまでより少しだけ自分、そして周りの言動を見回してみましょう。デジドカに限らず、後ろ向き、閉塞感しか伝わってこない言動に終始する人はいませんか?または自分がそうなってはいませんか?
閉塞感抱えたまま待ち続けたところで、解決なんか致しません。潰れるのを待ってるだけです。そうなる前に、なんらかの突破口を見つけましょう。助けを求めましょう。
きーんこーんかーんこーん。あ、終わりですか。なんとか収まりましたな。んじゃ帰りの歌・・・とかはもう省略でいーや。授業終わりー帰宅ーおつかれーんではー。
・・・・・・やってみたら意外としんどかったなこの形式は。続編は基本的に無しの方向でひとつ。誰に言ってんだ俺。