慟哭の声を聞け


 ここんところ重い話が続いてたから、そろそろバカな話書きたいよなぁとも思いつつも、今回もやっぱり重い話。すいませんねぇ。

 という訳でまずは警告。これから一冊の本紹介しますけど。ニートやひきこもり願望を自覚している方はこの先読まない方がいいかもしれません。下手すると外出られなくなっちゃうかもしれないんで。まぁ読むなとまでは言いませんが、それでも相当の覚悟が必要になると思いますんで。読むなら腹決めてください。

 

 さて。

 最近、書籍代節約のため2週間に1度図書館行ってきて、興味ありそうな本適当に引っ張り出して読み漁り、てのをやってるのですが。その中の一冊が大当たりでした。今年一番衝撃走りましたね。これ。

「死ぬほど大切な仕事ってなんですか―リストラ・職場いじめ時代に過労死を考える」(編:全国過労死を考える家族の会)

 その名の通り、過労死の「遺族」の方々による手記集です。もうタイトルからしてローブロー入るんですが一応概要を。

 遺族の皆さんのそれぞれの体験(逝く前の殺人的忙しさから過労死の瞬間、その後の孤独な闘いも含めて)が事細かに記されてるんですが。

 もうね、読んでて辛いよ。本気でひく。何せ読んでも読んでもそこに「希望」が無いですもん。嘆き。怒り。悲しみ。絶望のみが渦巻いてます。人が一人死ぬってことがどれだけ致命的なダメージを、特に家族にもたらすかって事を嫌が上にでも痛感させられます。

 「手記だから主体的な記述に偏ってる」「客観的に双方の意見を書け」そんな戯言は門前払いだコラ!その時の(そして今も続く)憎悪的な感情を詰め込んだ、というだけで十二分にこの本の存在意義は果たしてますから。黙って負の感情の「洗礼」を浴びとけ!

 それにしてもねぇ。従業員を過労死させた、言い換えれば従業員殺した企業が、どこもかしこも事件後手のひらを返したように冷酷・非協力的になるのは今に始まったこっちゃないんですけど(それだけでも充分外道ですけど)。

 それ以上に腹が立つのが、それぞれの労働基準監督署の対応。難癖つけて申し出を受理しない、受理だけしておいて何年と放置なんてのは当たり前。被害者家族に協力しないよう加害者企業に圧力をかける、裁判所の控え室で脅迫まがいの暴言を吐く。そんな言動がゴロゴロと出てきます。全国都道府県の労監に一軒一軒火つけて回りたい衝動に駆られるねマジで。こいつらのやってることってほんと人でなし。セカンドレイプ魔、もしくは殺人鬼呼ばわりされても弁明の余地無いでしょ。それ位酷いの一言。これじゃあ労基法が「守るヤツが馬鹿」とまで言われるのも当然の結果ですよ。行政は奴隷制度を事実上容認してるようなもんなのかもしれません。

 さて話を戻しまして。今回の最重要ポイント指摘しておきます。

 この本の刊行、1997年です。これ書いてる今は2004年(の師走)。7年前ということになるんですが。

 はっきり言って7年前の本だということを、読中意識することは全くありませんでした。文中の年号だけ7年分インクリメントすれば、すべて「今」の話でも通用するんですよね。

 ということは。彼等の死が教訓となって改善されるどころか、何も変わってない、もしくは却って悪化している、ということが言えませんかね?

 確かに7年前と比べれば、過労死認定件数に関しては幾分増加しました。しかしその一方でまさに氷山の一角のように、潜在的過労死者とその遺族がいて、さらにはその背後で把握できない程の「過労死候補者」がその出番を待ち構えてると。もちろん過労死認定に至るまでの申請の煩雑さや過酷さ、行政/企業の「非協力性」は今日に至るまで一向に改善されてないし、改善しようという動きさえ無いと。

 すげー残酷な物言いしてしまいますけど。これって結局「死ぬまで働かせておいて、死んだら死んだで替わり入れる。賠償はひたすらバックレて遺族が力尽きるのを待つ」やり方が最も安上がりだ、ということを認識し、かつ積極的に支持支援してる、ということを表してるんじゃないですか?

 どーなんよ?労務取締り強化案に必ず反対してくる自民党に経団連の爺さん達よ。金のためなら人命なんて捨ててしまえってのがてめぇらの価値観か?

 ・・・・・・とはいえ、お上にグチ垂れてもどーにもならないのは今も昔も変わらぬ世の常ですからねぇ。言ってても虚しくなるだけだし。どーせアイツらはアイツらで自分のことしか考えてないんだし。現実的な方向に話を持っていきましょうか。

 とはいえ実際には一にも二にも「自衛」しかない、てのがある種悲しい現実なんですけどねぇ。残念ながらこれからも「自分の身は自分で守る」しか無いような気がしております。

 ただ、それでも少しばかりの希望はあるのよね。まず「仕事命」な価値観層の大半を占めるであろう団塊世代の集団引退。それに伴う「仕事至上主義」的な影響力の低下ですか。既にビジネス誌とかでは「2007年問題」とか言ってますけど、少なくともこの点に関しては早く来い来い2007年、とっととくたばれジジイ共、に他ならない訳で。

 その一方で、今から入ってくる新しい世代の「仕事以外にも人生の価値(QoL)を求める」層は間違いなく増加するでしょうし。そうなれば実は認知だの啓蒙だのとせせこましいことしなくても、おのずと自然体の自衛を身に付けちゃったりもするんですよね。

 強いぜー無意識無自覚な自衛は。そこに良心の呵責は無いからね。

 ただその一方で指折り数えながら耐え忍んだ挙句に2007年前に死んでしまっては元も子もありませんからね。それまでは人が死ぬことの悲惨さ、それもたかが仕事のために死んでしまうという虚しさといったものを地道に吹き込んでいく必要があるんでしょうな。それをつらつらと書き連ねていくのが今の私にできることなのかな、そんなことを考えたりしますです、はい。

 という訳でこっからシステム業界関係者に提言。ていうか注文。これが書きたいから本編じゃなくて隔離棟(間違えてる人いるみたいですけどあくまでここは隔離棟です)に書くという説もある。

 まず本人さん。こちらは至極単純です。死ぬなよと。その前に逃げろよと。今までは幸いなのかあいにくなのか、システム業界=人が死ぬ業界、という事実をなんとか隠蔽することはできたのかもしれませんが。

 もう隠せませんから!自殺に過労死うつ病の巣窟だって事バレてますから!残念!!

 通夜の後会社に戻って故人担当分のコーディング(実話)斬りっ!!

 何故に羽田陽区か>俺。微妙に笑えないし。

 んでもまぁ隠せない以上は、これ以上実例を増やさないように努める以外、策なんて無いと思うんですよね。デスマーチなんてその典型でしょ。人権がアリンコ並(誇張無し)に軽視され、人殺してでも納期が優先されるような世界に誰が好き好んで近付いてくれますかってーの。

 間違ってるのはデスマーチを由とする価値観の方であって。合わせる必要なんか無いんです。デスマーチを終結させようって行為は客にとっても開発にとっても、業界に取っても世界にとっても、案外百害あって一利無しなのかもしれませんな。今よりもうウン十年も前に「策は無い。逃げろ(意訳)」と言い切ったエドワード・ヨードンさんはすごい人なんだなぁ、とか改めて思います。

 で、次。重要なのはむしろこっち。

 システム業界関係者のご家族の皆様。妻、夫、親、子供さんの皆様。普段あんましこうゆう呼びかけやらないのでいまいち勝手が違うのですが。

 もしこの文章読んで興味持たれたら、ぜひ一度この本お読みになってください。手記を寄稿された方も、貴方達にこの本を一番読んでもらいたいのでは、と思ってます。

 遺族の皆さんは一様に、縛りつけてでも会社に行かせてはならかなったのに、それを食い止めることができなかった。結果的に死に追い込んでしまった。このことを心の底から後悔し、自らを責め続けてます。一生かけても癒えることのない傷を負い、今でも重い十字架を背負い続けているんです。

 愛する者を鬼籍に追い込まないためにも、自らが遺族とならないためにも。ぜひ前例から学んでください。そしていざという時には、ひっぱたいてでも本人を仕事の呪縛から引き剥がしてやってください。

 追い込まれた本人には、案外自らがどんな状況なのかわかっていません。それだけ麻痺してるんです。

 最後の最後で、最悪の結末を阻止できるのは。

 貴方なのかもしれないのです。


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