で、納期って何。
「ザ・プロジェクト〜成功の軌跡」っつー本を読了しました。資金難のため図書館で借りたものなんですけどね。ありがとう東部市民センター図書館。
とはいえどーにも。砂抜きしなかったアサリ汁を飲んだ後のよーな、ビミョーな読後感が残りました、てのが正直な感想。
確かにどの事例にも「こんだけ苦労してカットオーバーにこぎつけました!」てな記事が、お偉いさんの写真と共に誇らしげに並んでおります。が。
読んでても「成功」の空気を感じないんですよね。栄光の陰に隠れた幾多の屍累々が行間から霞んで見える。極端な話すれば、それぞれのプロジェクトで何人が死んで何人が倒れて何人がウツになったのかなぁ、そんなことばかり考えてしまいますと(この手の話は絶対に表に出ないだけに尚更)。
この本の中ではXPの事例も取り上げられてるのですが、残念ながらXPをもってしてもこの不穏な空気は振り払うことはできませんでしたな。ていうかこんなこと言っちゃうとカドがたつかもしれんけど、平鍋/牛尾クラスを持ってしてもダメなのかと。「週40時間残業」(p.161)ってなんじゃそりゃと。
とまぁこんな具合に終始なんかどんよーりした気分での読了となってしまいました。これ読んで「それじゃうちも頑張ろう!徹夜じゃ休出じゃ!」とかノーテンキにのたまえる精神構造が羨ましいですマジで。草葉の陰からライフルで狙撃したくなります(やめなさい)。
でまぁこれだけだったら別にここに書くまでもなく、せいぜい日記で書き捨ててポイ、でもよかったんですけど。ちょいと一箇所気になる表現があったのよ。同じくXP事例のところから。
〜XPは基本的に「漸進的にシステムを成長させていく」方針をとっており、最終期限と最終成果物をかっちり決める形はとらない。だが「実際のシステム開発ではこの二つは『絶対』だ」とNEC側のプロジェクト・マネジャを担当した第三産業システム開発事業部主任の名倉完一は強調する。(p.157)うーん。
まぁ実際そうなんでしょう。絶対っちゃあ絶対。おそらく100人中99人はそう答えそうな気がする。私もうっかりすると首縦に振ってしまいそうな、ごくごく当たり前の常識。なので名倉さんにイチャモンつける気も毛頭無いのですが。
でも、ちょっと言ってみちゃっていい?
その「絶対」という感覚がプロジェクトを破滅に導いてないかい?
実はこれ、随分と前から考え続けてることではあるんですけどね。いい機会なんでちょっとつらつらと書かせてください、てのが今回の本題。
上の引用で出てる「最終期限」、そして「最終成果物」。これらは通常は「納期」つー単語でひとくくりにされますわな。
じゃあその納期ってなんじゃらホイ?と辞書をひいてみるとこーなる。
【納期】
金・注文品などを納める時期・期日。また、納入の期限。
(infoseek辞書より)ふむ。となるとまず納期の第1義として出てくるのが「時間」ですよね。○月×日の△時迄に持っていきます。だから納期。これだけならわかりやすい。ていうかわざわざ字数使って説明する必要もない(だったら何故書く>俺)。
ただし、わてらの言うところの「納期」ではもう一つ、暗黙的に決められてしまう制限ってのが存在します。それが「最終成果物」、もっと言い切ってしまえば納めるブツの「品質」。
一口に品質ゆーてもその意味するところは随分と幅が広いです。表に見えるところでは機能数や画面数。同時に納品するマニュアルのページ数なんてのもそう。
その一方で「潜在的な」品質ってのも存在すると。不良発生率やリカバリ率。セキュリティの堅牢性、ユーザや保守要員への引継ぎの容易性、etc、etc・・・。
で。なんで納期が恐ろしいかとなると、時間と品質、この両方に対して否応無しにデッドラインをばすっ!と引かれてしまうことなんですよねと。逃げ道無し。NO WAY OUT。
なんでこんな危険な数値を、いとも簡単に「納期」の一言だけで引くことができちゃうの?それで本当にできるとでも思ってんの?そんな前々から死刑宣告なんかしなくても、よーし今から作るぞーとんとんかんかんできましたー終わりでーすお金くださーい、でいいんじゃねーの?
てのが前々から抱きつづけてる素朴な疑問なんです。能天気だ言われよーがガキのママゴトと馬鹿にされよーが、そう思っちゃうんだから仕方無い。
ただしこの疑問、ビジネス側から見た場合には判で押したよーに明確な回答が帰ってくる、ということを忘れてはいけません。納期が決まらないと予算が出ない、他の事業計画への影響が甚大になる。既に外部に公報してしまったから絶対に動かせられない、etc。結局はそれが決まらないとビジネスができない!ビジネスにならない!だから納期出せ!つーのがあちらさんのお答えになりますと。
まぁ確かにそれはそれでひとつの真実ではあるんだろうけどさー。でもさ、だからといってそのために100%不可能なものを100%可能と嘘ついてまで納期強行決定する理由にはならないんじゃねーの?それがビジネスだからって理由なだけで場合によっては人命差し出してまでも納期完遂しなきゃいけない理由の説明にはならないよなぁ?
大体さ、何をもってその納期を「正しいモノ」と判断してる訳よ?客の都合?お偉いさんのメンツ潰さないため?自らの出世願望?それとも営業の都合?今回は捨て鉢で次のパイ狙い?単に売上あげたいがための赤字覚悟物件?まぁそれぞれの利害関係者の腹の内なんぞ知ったこっちゃないけど。作る側にしてみたら、現実離れした数値ってのはもはや目標でもなんでもない、単なるキチガイの血迷い事にしか見えない聞こえない、ということを忘れてやしないかね?
誰か俺に説明してくれっつーの。何読んでも誰に聞いても、誰一人として納得する答えなんか示してくれねーっての。
一度作る側がこう感じちゃったらもう悲惨よ。アメ与えようがムチで叩こうが、面白い位にピクリとも反応しなくなるから。そしていつの間にかいなくなる。何回も何回も同じヘマして、それでもまだ懲りずに繰返しますか?今度は逃げられないために北朝鮮でも見習って家族でも人質に取りますか?
とまぁこんな具合にぐるぐると罵声罵倒が頭ん中でウズ巻いてる訳で。これ考えてるだけで脳味噌が疲弊してくるんですが。でもさ、どんだけ言ってもキリないんですよね結局は。言えども言えども空しいばかり。それだけ溝が深いってこともあるでしょうし、お互いの利害関係があまりにも食い違ってると。つー訳で、ここは溝を埋めるというよりは、溝を無視するアプローチを勝手に取ってみる。
まず単純(かつ無責任)な提案がいっこ。
いい加減、納期納期と臭い息と汚い唾撒き散らして連呼するのヤメにしません?もちろんビジネス側も、わてら開発側も。
無論、納期なんて概念を完全に駆逐することはできないでしょうし、文字通り「できないと死ぬ」プロジェクトもある訳ですが(みずほ統合なんか典型)、それでもデッドラインと目標は別口で考えなきゃいけないような気がしてるんですよね。
理由は2つ。
まず、納期という概念が上でも上げたように「時間」と「品質」の両方を縛るものであるならば、結局は自分で自分縛ってるだけ、ということ。
考えてみりゃトーゼンですもんねぇ。品質上げたいんなら時間かけるしかない。時間削りたいんだったら品質落すしかない。みんなy=1/xのわっかりやすい反比例曲線から目逸らし過ぎ。現実見ろ現実。お前もな>俺。
んでもうひとつなんですが。個人的にはむしろこっちを推したいんですけど。上の愚痴でも挙げたんですけど、もはや納期という概念が、実現できそうな「目標」と著しく乖離を始めてるよーな気がしてるんですよね。
最近はただでさえ短納期傾向強いですし。以前だったら冗談で済んだ「すべての納期は『昨日』です」なんて台詞(または寝言)が、そのうち大真面目に、さも当然のように客の口から出てきそうな。そんな空気すら感じることも少なくないです(あくまで私周りでのお話ですが)。
そうなると、もはや信用無くした国の紙幣制度と一緒で、納期なんて単語自体に意味なくなるどころか、誰もが無視を始める一方だと思うんですよね。それこそオオカミ少年まっしぐら。
あと極端に一人歩きした納期が先走ることで、結局は「どーせあいつらウソツキだ」と顧客満足度(ほーらテメェラが大好きな言葉だ)が失墜していくであろうことも見逃すべきではないと思いますし。結局現実味があってこそですもんね、こーゆーのも。
皆さんウソはやめましょうと。そーゆー小学生レベルの教訓が大人の世界で守られていない以上、もはや叱ろうが脅そうが意味をなさないのかなと。そんなことを考える訳で。
こっちが欲しいのはあくまで現実可能と見込まれる中での最大値よ。それを目標として設定するってのはダメなの?ってこと。システムの奴隷と化すこともなく論理的にかつ計算の上で最大能力を発揮する。これが達成できれば、それは俺等にとってもプラスのはずなんだけどね?
無論、それなりの工夫は必要だと思うけど。それこそXPで言うところの「プロジェクトの運転」でしょ?細かい目標の設定と確認、修正の繰り返し。「○月×日納期必須!」とか張り紙するよりはこっちの方がよっぽど現実的で効率的な気がするんですがねぇ?
・・・・・まぁ果たして今書いたことがどれだけ伝わるか(逆に伝わらないか)は私の文章能力次第なんですけど。
いつまで「できる」「できない」の禅問答繰返さなきゃいけないんでしょうね。そしていつまで「達成できっこない」白昼夢に七転八倒を続けなきゃならんのか。
それが一番辛かったりする。