全部頭の外に出す


 例のごとく私事から入るのですが、この数ヶ月位ですか。いわゆるスケジュール管理ってヤツをGTD(Getting Thing Done)なるモノで進めていたりします。

 えっとGTDに関してはここでは深くは説明しません。興味ある人はITmedia Biz.IDのまとめページを通読して頂くなり、Life Hacks PRESSを購入して頂くなり、各々勝手に調べてくらはい。なんだその突き放しは>俺。

 まぁ私自身がまだ「GTD信者でーす」と公言できるところまで行ってないというか、半信半疑のまま続けてるため、そこまで深く言及できないってのが正直なところなんですけどね。GTD主体の読み物をお探しの方は他所を当たってくらはい。すまぬ。

 それよりもだ。実際にXP信者(のはず)の私が実際にGTDに触れてみて。今更ながらに「あーーーーっ!!」と思ったことがあったのでそのあたりをたらたらと金魚の糞の如く書き並べてみる次第。

 GTDにおいてはまず最初の絶対にやらなきゃいけない、ある種通過儀式的な行動ってのが存在します。ステップで言うところの「収集」。2時間でも4時間でも、とにかく時間たっぷりかけて「やらなきゃいけないこと」「やりたいこと」「いつかはやろうと思ってること」全部が全部捻り出してリストアップすると。

 言い方変えれば頭ん中に万力かけるような拷問的作業ではあるのですが、どしょっぱにとことんリストアップするからこそ、「あ、あれ忘れてた!」が防止できるようになる、てのがGTDの言い分。David Allen曰く「脳味噌程アテにならないシステムは無い」(意訳)ってヤツです。

 それよりも何よりも、収集ステップにおける何よりもの収穫ってのは、「全部頭の外に出すことによって起こるスッキリ感」にあるそうで。この点は日本におけるGTDエバンジェリストであるところの田口元さんが何回も口酸っぱくして強調してるのですが、確かにやってみると頭ん中軽くなったよーな印象はありますです。

 でね。この感覚なんかに似てるんだよなー、でもそれがなにかが思い出せないんだよなー、一体何だろうなー、とはずっと気にはかかっていたんですわ。別にGTD自体は斬新なスケジュール管理法という訳でも無いし(David氏自身認めてる)。こうゆう感覚が残るってことは以前にもどっかで多分やってるんだよなー・・・と思いあぐねていたのですが。

 よーやっと思い出しましたです。

 XPにおける「開発ゲーム」。

 過去にやってんじゃん俺。システム作るにあたってやらなきゃいけないこと、できたらいいこと、やるかもしれないこと、とにかくまずは全部が全部ストーリーカードに書き出させる。「もうこれ以上書けませーん」と脳味噌に悲鳴を上げさせる。そっから改めて「じゃあ何から始めましょうか」を考える。

 一緒じゃんこれ。GTDの収集リスト書き終えた時の満足感と、ストーリーカード書き終えた時の満足感。これかなり似てるぞ。同じじゃねぇかっつってもいい位似てる。灯台下暗しとはこのことか。なんで気が付かなかった俺。

 ということはあれか。ストーリーカード書けない、とお悩みの顧客諸氏にGTDの収集プロセスの要領でとにかく書きましょう、と背中を押してあげることは充分に可能なのか。ていうかいっそのことまずは顧客にGTDを始めてもらって、収集の「スッキリ感」を会得してもらった段階で改めてストーリーカードに着手してもらえば・・・・。

 よっしゃー!これ長年の疑問だった「なぜ顧客はストーリーカードを書こうとしないのか」に対する突破口になる!これでもう日本のシステム開発が墓場一歩手前なんて言わせねぇぜ!!ジークGTD!ジークXP!!ばんざーい!!!

  

  

 となるんだったら始めから苦労なんかしない訳で。このままポジティブ一本槍で最後まで突き進むと思ってました?甘いなぁ私のひねくれ具合をなめちゃあいけませんぜ。威張るなそんなことで。

 という訳でこっから行きます手のひら返し。

 いやね、実は上の段落において私ひとつ「ウソ」を紛れ込ませておりました。

 GTDにおいて自分の頭の中にあることを全部吐き出すことでスッキリ感が芽生える。ここまではオッケ。でもね。じゃあ同じ要領で頭の中にあるシステム概要をすべてストーリーカードに吐き出したら、同様にスッキリ感を得ることができるのでしょうか?

 答えはNOです。実はストーリーカードを完璧に仕上げることによって顧客側に芽生える感情は「喪失感」であったり「羞恥心」であったり。そんな負の感情が産まれてしまう可能性があるんですよ。

 じゃあ何故そうなっちゃうの?似たようなことやってるはずなのになぜ着地点が正反対の方向に向いてしまうの?というのを説明しなければなりません。

 簡単に行ってしまえば、吐き出した「後」のリスト(ストーリー)の処遇に違いがあるんです。

 GTDの場合、リストに吐き出したものは処理、整理、レビュー、実行等のプロセスをもって自分自身で管理していくことになります。つまり置き場所が頭の中から紙なりPCなりに移動するだけの話で、あくまで「それをどうする」の決定権は100%自分自身が完全に掌握しています。他人にリスト見せる必要なんかハナっからありませんし、ましてや他人にどーのこーの言われる筋合いなんか更々無い。だからこそ安心して存分に脳味噌の中身さらけ出すことができると。

 一方のストーリーカードの場合どうなりますか?書いた瞬間から関係者全員の下に晒されますよね。出した瞬間から既に自分自身の手を離れていってしまうし、決定権も自分自身だけのものではなくなりますから。

 そんな「負の感情」がストーリーカード書く手を止めてしまう・・・・・・。書くのが人間である以上、本能的無意識に全部を晒さなくなってしまうのも、不思議じゃないような気がするんです。人間の防衛本能ってところまで考えれば、むしろ隠す方が自然な反応ではないかと。ましてや己の希望欲望をあからさまに表に出すこと自体、日本人のメンタリティから考えたら無条件で「悪」とみなされてしまいますから。

 いやはや、改めて考えると、壁高いなぁ。今更気付いたか俺。

 #ですので(本題とは外れますけど)、開発ゲームにせよプロダクトバックログ(SCRUM)にせよ、シンプルな手法が嫌われ続け、意味不明な分厚い仕様書の文化がいまだに続くのも、ここら辺に理由あるのかもしれません。どんなに不完全な仕様でも、さも完全であるかのようにごまかしが効きますから。不完全であることが、自らの痛い腹を探られずに済む、格好の隠蔽策なのかもしれません。

 さてさて。んじゃどうしたらいいんでしょうか、つーところの話になるのですが。

 冷淡に切り捨ててしまうのであれば、それでもシステム作りたい、それもちゃんと使えるいいシステム作りたいと心底から思っているのであれば、壁乗り越えてもらうしか無いんですけどね。顧客自身が「できれば隠し通したい」と思ってることが、実はシステムの上で核心=真の欲求に直結することは多いですし。古い例えになっちゃいますけど、「私(システム)が欲しいのならこの炎を飛び越えてきて!」(by.潮騒)つーことになるんでしょうか(笑)。

 逆に言ってしまえば、そこだけのよーな気もするんですけどね。別にストーリーカードの中にヘンな記述が1枚2枚あったところで、全人格まで否定されるよーなことなんぞそうそうありゃしませんって。大抵はやんわりと指摘されて終わり、次の日には忘れてます。もしくはそのヘンな記述から思わぬ方向にシステムが発展できるかもしれません。そんなこんなの苦難(?)を乗り越えて、すべての欲求がストーリーカードに移ってしまえば。実は案外GTDのリスト同様に「全部出したぞー」的な爽快感が待ち受けているのかもしれません。ネガティブ(喪失、羞恥)を乗り越えたブーメラン型ポジティブ、みたいな。

 まぁまずは脳味噌の中から出してみることが重要なんですよ。ということをこちらストーリーカード受け取る側からは言っておきたいと思います。大丈夫怖くない怖くないよ(^^;;;;。

  

  

 まぁそれでも実際には「デスマでもクズシステムでも構わないから絶対に弱みは出したくない」ってところが圧倒的に多数派なような気も実はしてますけど。まぁそれならそれでってことになるのかな?根本原因から目を背けたままにデスマーチ乱発して、システムとは名ばかりのガラクタを愚痴愚痴言いながら使い続ける。

 それを望んでるのならば。こちらとしては何も手助けはできませぬ。

 南無南無。フォロー無しかよ、俺。


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